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結婚式で手紙を読むということ
あくまでも、僕の趣味の話です。
知り合いの結婚式に出席してきました。
みんなが、主役の2人やその2人のご家族を祝う、普段職場で嫌というほど出会っている悪意や嫌味のない素晴らしい空間でした。
ホテルでの結婚式は最近では珍しいらしく、60人ほどでも近年では比較的大きい式だったようです。
職場の人も呼ばず、なのでそれぞれの上司による2人の紹介もなく、余興も一つ、すっきりとしたいい式でした。
そんな結婚式に、決してケチをつけたいわけではないのですが、いつも感じることを。みなさんはどう思ってるのだろうか。
友人代表スピーチは、新郎側も新婦側も「お手紙を書いてきたので読みます」スタイルでした。
僕はこれがとても苦手で、どんなにいい式であってもこの瞬間にどうしても、なんというか自分の感情の温度が下がってしまいます。
まず、書かれた文章を読むことの難しさ。
プロならまだしも、素人が文章を読むのはとても難しい。結果、話し言葉とは異なる、語尾に重さが出てくる独特のイントネーション?になってしまいます。ざっくり言うと「読んでる感」に満ち溢れたスピーチになってしまう。
次に、普段言い慣れてない言い回しと、定型文。
「〜だったよね。〜してくれたよね」「〜を今でも覚えています」「〜はいい思い出です」
友人へのスピーチなので、敬語ではなくくだけた言葉にする。でも、手紙になるとなぜか自然と「標準語」になり、普段の関係性の中で出てくる言葉とは違う言葉になる。
「〜やったやんな?」「〜覚えてんで」とかにはならない。
言い慣れてないから、話してる本人にとっても耳馴染みのない音になる。
大勢の人の前で、友人同士だけわかるノリで話されるのは場をわきまえてないし、タメ語になるのも違う。
人前で話すことに緊張して、その場で言葉が出てこなくなってしまうかもしれないし、思い出とともに涙も溢れてきて言葉にならなくなってしまうかもしれない。しかし、自分が主役ではない式で、言葉に詰まって微妙な空気にしてしまうのも嫌だから、手紙=原稿を準備する。
自分のため、会場にいるみんなのための準備であり、とても素晴らしいことだと思います。そして、その手紙を書いている間は、その主役である友人のこと、友人との時間を思い浮かべながら書いている。その時間もとても尊いものです。
だから、これは本当に僕の趣味の問題であることは重々わかっています。
だけど、僕は、緊張や涙で言葉に詰まったとしても、紙に書いてきたものを読むのではなく、定型文に引っ張られることなく自分の言葉で、その日の主役である友人への想いを存分に伝えてほしいなと。
この日のスピーチに、特に友人代表スピーチに、うまさやまとまりは求めていない。壇上にいる主役の人となりがわかって、彼らに対する友人としての愛に溢れたものであれば、きっと会場は温かく見守ってくれるだろうと思うし、それはとてもいい時間なんじゃないかなと思います。
話すための準備をしないわけではない。箇条書きぐらいのあらあらのものでいいと思います。それを片手に、たまに見ながら話す。事前に全てを文章にしてそれを読み上げるのではなく、項目だけ書き出して、あとは自分の言葉で話す。それでいいんじゃないかなと。
ちなみに、前に出席した式で、舞台に上がる仕事をしていた新婦が読んだ母親への手紙は、全く読んでいる感じのしない素晴らしいものでした。きっと練習されたんだろうと思います。
それぐらい手紙を読むというのは難しいことなんだろうと思います。
こんなこと友人に話したりすると嫌がられるんだろうな。
我ながら嫌なやつだ。。。