【エッセイ】はたち
そういえば。そういえば20歳になりました。
私の中で「20歳」ってのはとてもハードルが高くって、「ほんとにそんな年まで生きてるのかなー」と、本気で思っておりました。それくらい、はたちって大人だったんですよね。
まあでも「誕生日」ってのもいかんせん朧気なものでして。私は朝の5時だか6時に産まれたのに、日付が変わった瞬間に「おめでとう」と言ってくれる人がいたり、出産予定日は11月の終わり頃だったのに、10月の中旬~下旬の境目に産まれてきてしまって未熟児でしたから、完全体としての誕生からはまだ20年経ってないんじゃね? と思ったり。
精神的な面で言えば、私は「人間になった。いま産まれたわ」と自覚した瞬間が2回ほどありまして。小説が初めて完結した中学生のときと、私と似た境遇の友人を見つけて文字通り号泣し、高校から先の進路がガラリと変わってしまった高校生のときの2回でありまして(それをきっかけに上京しました)。
「無意識的な誕生より、意識的な誕生の方が『誕生』って感じしませんか?」と。ふんわりと思ってしまったりするのです。
あ。でも、そもそも私は誕生日とか記念日とかを、重要視するようなタイプではなかったかも。
去年、というか大学1年のときに交際を始め、喧嘩別れの後によりを戻すとかしちゃって結局1年くらい交際を続けちゃったりなんだったりした元彼氏さんが、そういえばそういうの重視する人だったなーと思い出し、私の誕生日だって「初めての酒を一緒に飲もう」と強く約束していたものですから、その感覚がちょっぴり残っていたんだろうなと感じます。
お酒はサラッと飲みました。人付き合いのために飲む練習はするかな。
記念日と言っていいかは謎ですが、年越しの瞬間に文芸部の部誌の紙面編集をしていたり、大学受験で面接の話題作りにでもなるかなとクラスで行うビーチクリーンの立案者になっちゃったものだからそれの企画書書いてたり。なんか、思い返してみればずっと何かしらの作業をしているんですよね私。誕生日もイベントも。へんなの。
つい人に流されちゃう性格ってありますよね。私はそれに近いんだろうなと思います。2つの対極の意見があったとして、どっちにも流されちゃうもんだから真ん中に立っちゃって。どっちからも「ハッキリしなさいよ!」って言われちゃってただただ誰も幸せになんないやつ。自分が幸せになるために、自分の意見があまり必要がない人だったりします。
20歳になった日も、「彼氏とか友だちとかいう他人に振り回されない、自分のためだけの日にするぞー!」と意気込んで一人旅を計画しつつも、なんだかんだ、色んな人とLINEやらDMをしていたし、友だちから貰った腕時計を一日中、身につけていたし、移動中の電車でさえ大学で作成しているゼミ誌の挿絵を描いてその進捗報告会をしていたのです(私の相棒はibisPaintと指です)。
高校2年生のとき、生徒会の顧問の女の先生にガチ恋をしてしまって(「女性」という存在を恋愛的に好きになったのは後にも先にもこの人だけなのだろうなと思うのです)、馬車馬のように働き(当時仲のいい生徒会長がそう形容してました)、半年間くらいそのストレスとプレッシャーで朝嘔吐して学校に行き、昼も何も食べずに仕事をし、夜もろくに眠れず…………みたいな記憶があるのですが、当時の写真や動画を見返したらニッコニッコの私ばっかりで。うわ~~~~、人のために尽くすのが生き甲斐だったんだな~~~~と心の底から思います。
こういうのを思い出すと、数珠つなぎのように、高1のとき、友だちと海に行ってテンションがぶち上がってしまってそのまま海にある公衆トイレの鏡でマツキヨで買ったピアッサーでピアスを開け、親がピアス肯定派か否定派かも分からないままビクビク帰宅したときに言われた「あんたは感情で動くから、そういうことをしそうだと思っていた」を、思い出します。めちゃくちゃ当たってる~~~~! ほんとうに、そう。
20歳。私ってなんか、こういう人なんだろうな。というのを改めて思いました。愛らしいね。