一人暮らし6年目を迎えて、「寂しい」について考えてみた
大学で上京をして、社会人2年目を迎えた今。
それとほぼ同じタイミングで私は一人暮らし6年目を迎える。
最初に住んでいたのは神奈川だったが、遊ぶところはほぼ都内だった。東京の自由さと地元の窮屈さにあてられ、今では23区内に住む区民だ。
北関東の田舎からやってきた「町民」も「区民」になれるのか! と、都知事選の投票用紙をつかみながら感動したのは、わりと最近のような気がする。
しかし、そんな新鮮味は一瞬で終わり、都内だろうと何だろうと日常通りの一人暮らしはつづいていった。
そして、ふとしたときにハッとした。
自分のなかで「ひとり」は日常になっていたのだ。
誰もいない家に帰ってきて、すぐにドアのカギを閉める。家の電気をつけて荷物を置いて、不在届けがないかを確認。明日の準備をしつつ作り置きのおかずを冷蔵庫から出して仕事で疲れた体に燃料を補給する。シャワーを浴びて、明日の仕事のスケジュールを確認して、洗い物をしたあと歯を磨いて眠りにつく。
こんな夜を私は何回繰り返して「日常」としたのだろうか。もう、一人暮らし特有の寂しさというものが何だったのかわからなくなってしまった。
高校を卒業して初めて何も知らない土地で一人暮らしを始めたときは確かに寂しさを感じていた。かかりつけの医者もいないし、いつも手続きをお願いしていた銀行のお姉さんもいない。手続きのすべてが緊張の連続だった。
学校に入って近所に住む友達が来たり、実家暮らしの友達を泊まらせたり。時々、気を紛らわすように遊んでいた。
でも、気づいた時には一人で料理、洗濯、掃除をやることに充実感を感じていた。自分の好きなように時間を使ってゆっくりと過ごす気持ちよさに酔いしれていた。この時間を作り出せるのは私だけだし、その気持ちよさを知っているのも私だけなんだ、みたいな。(いま思うと気持ち悪い)
最近、身の回りの実家暮らし勢が一人暮らしを始めて「寂しい」を連呼している。まぁ、学生時代を実家で過ごしていた人やもともと寂しがりの人が多いので仕方ないと思うのだが。
そんな人に「寂しいんだけどどうすればいい?」とか言われても言えることなんて一つしかない。
「一人暮らしを楽しめるようになれ。それができないなら一人暮らしの才能はないので、共生できる才能を活かして他者と扶養関係になろう」
ほんとこれ。
どちらも才能なので、どちらも伸ばして、活かして生きてほしい。
そしたらちょっとは気がまぎれるはず。
「寂しい」なんて感情はその才能に左右される程度の可変要素なのだから。