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ひとつ夜を越える度に

永遠に続く暗闇の中に


いつからだろう、暗闇が心地良くなったのは。
いつからだろう、太陽の下に居られなくなったのは。
いつからだろう、足掻きもせず諦めるようになったのは。
いつからだろう、他人との関わりを避けるようになったのは。
いつからだろう、暗闇を求めるようになったのは。


また今日も夜がやってくる。
背景と混ざり合って、溶けていく。
僕は昼よりも、夜が好きだ。
何故か心が落ち着く。
何もかもを照らし出そうとする昼よりも、
何もかもを覆い隠してくれるような夜が好きなのかもしれない。

今の僕には昼の光は眩しすぎる。
永遠に続いていく気がする暗闇の中にしか
今は自分の居場所を見つけられない。

子供の頃は陽の当たる場所が好きだった。
子供の頃は善良でありたいと思っていた。
でも今は、善良でありたいなんて思っていない。
自分が善良な人間ではないことは紛れもない事実だし、
どんな人の心の中にも悪魔が住み着いている。
それは、善良なフリをしている人の心の中にも。

本当に変化したものは

時代が変わったって言ったって、別に関係もなければ、何かがリセットされる訳でもなく、今日は昨日の繰り返しで、明日は今日の繰り返しなだけ。

それでも、平成を少しだけ振り返ってみる良いタイミングかなと思う。自分が生きてきた平成は様々なことがあった。その中でやはり、一つを選ぶとしたら2011年の東日本大震災になる。3.11の前後では世界が大きく変わったような気がする。いや、間違いなく変わった。それは平成から令和への変化とは違う、とてつもなく大きな変化があった。

正直、あの日の前後で価値観が変わっていなければ負けだと思う。この国の政府、政治の非誠実な対応や、自分たちの都合でしか物事を考えていないことが全国民に明らかになった。

自らの命の使いどころ

僕はあの日、直接的に被災したわけではないけれど、
「ひとつ夜を越える度に、暖かい日に近づくはずだから」
と言う好きなアーティストの言葉にとても暖かさを感じたのを覚えている。

時間があれば被災地に赴き、支援物資を運び、みんなに歌を届け、そして、学ぶ。それをあの日から今日まで貫いている。

この人の言葉には嘘がない。そして、行動にも嘘がない。
自分もこんな風に生きたいと感じた。
「命の使いどころを探していた」そんな言葉を聞いて、自分はどこで、何に、この命を使うのだろうかとあの日から考え続けている。今だにそれは見つかっていないけれど、その時が来た時には迷いなく、「この命を使いたい」そう思っている。

渦に飲まれないように

誤解を恐れずに言えば、少しでも今より良い世界を作りたいと思う。時代の変化を話題にするよりも、社会の変化を話題にするべきだと思う。その熱量をもっと意味のあることに注いだらいいのになと思ってしまう。それはメディアだけでなく、僕ら一般市民も。

メディアを信用もしていなければ、アテにもしていないから、今更メディアにどうこう言うつもりはないけれど、そのメディアに踊らされている人々や、それに気付かずにマーケティングの渦に飲み込まれている人々を見たときの失望感や喪失感は何とも言葉に表せない。

マーケティングの渦でいえば、音楽は特にそう感じる。他人がどんな音楽を聴こうが、その人が楽しければそれでいいんだけど、ただ売れるとわかって作られたものを、宣伝して、あたかも素晴らしいものであるかのように拡散し、自分たちで選んでいるかのように聞かされていることには気づいてほしいと思ったりもする。まぁ、何でもいいんだけど。

誰もが許し合える世界を

自分のこの先の未来なんて、どうなるかわからないけど、自分の子供や孫がいるかはわからないけど、自分たちの次の世代には少しでも良い世界を残してあげたいし、自分ももっと良い世界を生きたいと思う。

人々が笑い合い、抱き合い、許し合える、そんな世界を。

自分が大切だと思う人、一緒にいたいと思う人に対しては善良で、そして誠実でありたい。全ての人に対して善良であることができなくても、それができればいい。それが全てだ。

暗闇でこそ、星は輝く。
今はそんな一縷の光を頼りに進んでいきたい。

ーーー「ひとつ夜を越える度に、
暖かい日に近づくはずだから」ーーー

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