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浄土真宗法話「人生は苦なり?」

          講題「人生は苦なり?」

                東京都 板橋区 慈光寺 田原 哲 師

あるご門徒さんとお話をしている時

「いやー、お念仏のみ教えに出遇えて阿弥陀さまのお浄土に

仏さまとして生まれさせていただく。あぁ浄土真宗の教えってありがたいですよね」

とお話を申し上げましたらねその方は「いや私はね、信じてへんねや

「え?どうしてですか?」

私はね、唯物論者なんですよ」とこうおっしゃるわけですよ

「じゃあ死ぬと思われているんのですか?」

ああそう、人間は死ぬんだ

「え??でも阿弥陀さまは生まれさせますよとおっしゃってくださってますよ」

いやいや私はね死ぬとしかやっぱり思えんのです

「じゃあ死ぬってどういうことですか?いつ死になるんですか?息が絶えたときですか?」

いやいや、私はね、私のことを覚えてくれている人がいなくなったときに本当の死だと思うんだ」と

こうおっしゃられるんですよ。

その方には2人の子どもさんと5人のお孫さんがおられるんです

皆、健康で元気です。もしね逆縁があって子どもさんがお亡くなりになった

お孫さんがお亡くなりになったという事実があったとしても

「いやいや、私は唯物論者ですからね、死んで覚えてくれている人がいなくなったら死やと思いますよ」と

言っていけるんでしょうかね。

平穏無事、皆健康のときはそれでいいのかもわかりませんけれどもね

もし逆のご縁に出会っていったときにでも

「いやこの子どもを孫をもう覚えてくれている人がいなくなったらその子は死んだんだ」と

言っていけるんでしょうか

それではねあまりに虚しいじゃないですか

ましてや子どもさんがおられんかったらどうですか。

横のつながり、友人関係、世間のつながりそして縦の関係ございますけれども

子どもさんがおられん、その方であればもう覚えてくれている方は

あっという間におられんようになりますね。

2500年前にインドにお釈迦さまがお出ましくださって

仏教をお説きくださいました。「人生は苦なり」とお説きくださいました

「生まれてくる苦しみ(生苦)」・「年老いていく苦しみ(老苦)」

「病を患っていく苦しみ(老苦)」そして「死という苦しみ(死苦)」が

ありますよ。ところがお釈迦さまはその「生・老・病・死」

「その事実が苦しみなんですよ」とはおっしゃっておられません

その生老病死は生まれてきたものの命の道理ですからね

「生あるものは必ず死に帰す」これは道理です

お釈迦さまはそのことを苦しみとおっしゃっておられるのではないのですね

ある先生は教えてくださいました。そのひとつひとつを「不幸せ」におきかえて

考えていくことが苦しみなんだ「生まれていくことが不幸せ」そして

「年老いていくことが不幸せ」「病をいただいていくご縁が不幸せ」

そして「死ぬというご縁が不幸せ」にしか思えないような

いのちの有様を「人生は苦」とお示しくださったんです

「その生老病死を幸せなことといただいていきなさいよ」

こうお説きくださったのがお釈迦さまです

「生まれてきたことが幸せなこと」「年老いていくことが幸せなこと」

そして「病をいただいていくご縁は、またつらい現実ではあるけれども

幸せなことといただいてください」

そして「死ぬという事実も幸せなことといただいてください

なぜならば、死は死ではないんだよ。あなたを死なせませんよ

あなたを往生、生まれさせますよ」というのが仏教ですからね

親鸞聖人さまはこちらの阿弥陀さまが

「あなたを必ずお浄土に仏さまとして生まれさせますよ

あなたひとりの命に願いをかけていますよ。どうぞ私のこの願いを

そのまま聞いてください。そしてこの私の名をたった十声でもいいので

よんでください。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

この我が願いを引き受けるものを必ずお浄土に仏として生まれさせますよ」

と願いをおこしてくださったのがこちらの阿弥陀さまでございます

ともどもに願いをいただきながらお念仏の日暮らしを送らせていただきましょう

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・

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