『最長片道切符の旅』を旅する day34 数珠つなぎにされた睾丸
京都 1046(のぞみ)1124 新神戸 1129(こだま)1140 西明石 1148(新快速)1223 尼崎 1230(宝塚線)1329 篠山口 1339(福知山線)1355 谷川 1517(加古川線)1733 加古川 1737(神戸線)1747 姫路 1912(姫新線)2028 佐用 2040(姫新線)2132 津山
今回は三泊四日で、京都から岡山へ。ただし蛇がうねるように山陽、山陰を行ったり来たりする。京都、姫路から津山、日本海側に回って伯備線、芸備線、木次線と乗り継いで、最後は山陰本線の江津から今は無き三江線で福山、倉敷、岡山まで回る。本日は京都から津山まで。
『最長片道切符の旅』だから、当然この区間はどこともクロスしない最長片道である。なので、この区間の最長片道切符が買えるはずである。
ということでみどりの窓口で切符をお願いしてみた。窓口では色々苦心して切符を発行していただいた。手を煩わせてすまん、すまん。
結果、マルス端末では連続一枚では発行出来ず、伯耆大山で二枚に分割となった。そのため、帰りは重複する東京までの新幹線も発券出来ることになり結果オーライだった。
東京駅からのぞみに乗る。ふと、ホームに先生がボストンバックを提げて立っているのではないかと思った。
京都から『最長片道切符の旅』、新幹線で再スタート。新幹線ホームには男の連れの親子が多い。新幹線を見に来ているんだな。
先生は0.1km(100m)もおろそかにしないのだ。
新神戸で「こだま」に乗り換え西明石まで。ここから在来線(神戸線)で尼崎まで引き返す。
明石海峡大橋が出来たのは1998年。先生の旅は1978年だから20年前、
まだ橋は出来ていない。当時、四国は遠かった。
橋が出来る前、四国から本州へ出るには連絡船しかなかった。
徳島から京都に行くには高速船で大阪に出るか、高松から宇高連絡船、
岡山経由で行くしかなかった。
今なら、徳島から高速バスで京都まで2時間半。四国は確実に近くなった。
神戸。東海道本線の終着駅であり、山陽本線の起点駅である。
今でもその栄誉はあるのだが、今や単なる通過駅であり、都市駅の一つ
でしかなくなった。新快速は淡々と神戸を走り抜ける。
日曜の昼、列車は家族連れ、カップルで賑わっていた。
尼崎から宝塚線に乗り換える。事故現場を通過する。列車の運転士は二名乗車していた。
宝塚の次の駅、生瀬(なまぜ)から武庫川の山峡に入る。
新線が出来てトンネルだらけになったが、川の眺めは素晴らしい。
谷が開けて三田(さんた)を過ぎ、丹波に入る。
軒先には「吊された睾丸」は見当たらないが、その代わり玉葱が「大きなふぐり」のように吊されている。
篠山口で乗り換えが10分あったので駅で弁当を探してみる。駅には弁当屋見当たらず。駅前の食堂にて駅弁発見。「デカンショ弁当」はなかった。
「カニ弁当」にしたのだが、残念トホホな弁当で、結局付け合わせの
奈良漬けが一番うまかったよ。
ワンマンカーなのに珍しく車内検札があった。「東京ー伯耆大山」の切符を見せると、しげしげと切符を改めて「遠い所をありがとうございます」と礼を言われた。なんだか、「最長片道切符」を見せた時のようで、ちょっとうれしかった。
そんなことをしているから事件は起こったのだ。
加古川線乗換駅の谷川(たにかわ)を乗り過ごす。あ、いけねと思った時はもう谷川を発車した後だった。すぐ次の駅柏原(かいばら)で降りて上り列車を待つ。列車を待つ間、駅前をぶらぶらしていると「信長釜飯弁当」というのがあり、こっちの方がうまそうだったなあ。
次の上り列車で谷川まで一駅引き返して、加古川線を待つ。ここは元々乗り換えが82分待ちだったので助かった。あぶなかった。
篠山口 1339(福知山線)1355 谷川 1517(加古川線)1733 加古川
加古川線、ぬるい路線だ。ほぼ平地でトンネルもない単調な路線だ。
どうしても眠くなり、居眠りする。
それにしても姫路からの姫新線の接続がよくない。姫路で2時間の待ち。
駅前でラーメンを食べる。
津山にはどうしても夜になる。姫新線の完乗は諦めて快速に乗る。
ケータイで津山駅前のビジネスホテルの予約を入れる。
津山には2132着。ようやくホテルにチェックイン。
やれやれ、長い一日だった。