土木を風景から考える-令和6年度土木学会全国大会 佐々木葉会長 基調講演
皆様こんにちは。紹介いただきました佐々木葉です。6月から土木学会会長を務めて、今日が83日目かな。改めて仙台の皆さん、仙台にお集まりいただいた皆様ありがとうございます。本当に台風がなかなか読めない中でやきもきしました。そしてまた各地で起きている災害への対応があるために来られなかった方もいらっしゃるかなと思います。そしてさらに遠くまで意識を向けると、全く人類の愚行としか言いようがない戦争のもとで、本当に大事な日常が失われている方々もいらっしゃいます。
実は今日の午前中、私はダイバーシティ・アンド・インクルージョン推進委員会の主催する研究討論会に出ておりましたが、そこにはウクライナ出身の若い方がパネリストとして日本で働いているその経験を語ってくれました。彼女の言葉の中に「大変なことを乗り越える強い精神を養っていきたい」という言葉があり、ますますそんなことに思いを馳せた次第です。
そのように世の中には大変なことございますけれども、ここにこうやってたくさん集まっていただいた皆さんと一緒に、この平和な環境のもとで一緒にお話できる機会に感謝をしながら、今日の基調講演を始めていきたいと思っております。
会長プロジェクト
基調講演は、「土木を風景から考える」というタイトルになっていますが、
なんてどうでしょう。
この子はですね、今進めている、会長プロジェクトの一つ、「クマジロウの教えてドボコン」という動画に出ている子です。基調講演やる?って聞いたら、昨日ずんだ餅を食べすぎてお腹が痛いからホテルで寝ているということで、今日は来られませんでした。
ということでまず最初にちょっと、会長プロジェクトとして何をやってるかということの説明をさせていただきたいと思います。
入口のところで、こういったオレンジの冊子をお配りしていたので、お手元にあるかもしれません。なければ帰りに手に取っていただきたいと思いますが、ここに書かれていることを最初に説明いたしますね。
タイトルは「土木学会の風景を描くプロジェクト」としました。
本当に今、土木界に限らず日本はたくさんの課題を抱えています。そういった課題に一つ一つ皆さんが取り組んでいらっしゃることは重々わかっています。でも、その取り組みをもう少し広い視野から緩やかにしていけるような、そういう感じに、土木学会の活動を通して皆さんがなれるといいなと思ってこのプロジェクトを考えています。そうすれば、土木学会の活動の風景も少し変わるんじゃないかなということです。
そのために三つの柱を立てています。順にご紹介します。
一つ目が、「交流の風景プロジェクト」です。交流の風景プロジェクトというのは、会員1人1人が土木学会との距離を縮めて、自由に学会という場でいろんな意見を交換する、それを楽しく感じられるようにするためには、どんなことをこちらとしてご準備したらいいかなということを考えています。
このうちの一つが、先ほどの「クマジロウの教えてドボコン」の動画シリーズです。土木学会会員になっていても、意外と土木学会のことを知らなかったりしますよね。全国大会ってどんな分野があるのかとか、今年一番発表が多い分野はどこだろうかとか、来年はどこだろうかとか。そんなことをクマジロウくんがドボコンに教えてもらっています。3分ぐらいで見られる動画ですので、ぜひご覧ください。
そして二つ目が、会員のコミュニケーションの一歩目をちょっと変える名刺のプロジェクトです。今日会場にお持ちでいただいている方もいらっしゃるんですが、私達が学会で会ったとき初めて出す名刺は職場の名刺ですよね。そうするとやっぱりそこから次の会話が生まれますけれども、もう一つ、土木学会会員としての名刺があると、こんな委員会に入ってらしたんですかとか、裏側には関わった場所を書く面もあるのでここにいらしたんですねっていう別な会話が生まれると思います。そんなちょっとした道具ではございますが、これを「JSCE交流名刺」と名付けています。
第1弾、標準版を学会のウェブサイトから皆さんにダウンロードしていただいて、PowerPointに自分の情報を入れることで使えるようにしました。続いて支部版とかいろんなバージョンを作っていく予定ですので、こちらもご活用ください。
三つ目が、これは私が絶対一生懸命やらなければいけないテーマだと思いますが、「土木学会D&I行動宣言フォローアップ」です。
土木学会におけるダイバーシティ&インクルージョンは決して私が始めるわけではございません。既に2015年に土木学会はD&I行動宣言というものを出しています。そこには大事なことが全部書かれています。これも今日の午前中の研究討論会で、一連の土木学会の中における流れを牽引してこられた岡村美好さんたちの話を聞くことができました。もう20年の歩みがあります。その歩みを振り返りながら、もっと先へ伸ばしていったり、あるいはまだ解決していないことを一歩ずつ進めていくために、例えば、もう一度基礎に帰って、D&I、あるいは最近DE&Iっていうみたいだけど、それって何っていうようなことをわかりやすく解説していただくような勉強会を開催したり、その動画を皆さんご覧いただけるような形にしたりしていきます。こんなことから、もう少し土木学会、あるいは土木界のD&Iを進めていきたいと思っています。
二つ目の柱が「ひろがる仕事の風景プロジェクト」です。
もちろん今までもたくさんの土木の仕事ございますが、もっといろいろあってもいいんじゃないのということを、いろんなところで発信していただこうというプロジェクトです。
こちらについても、三つのワーキングを皆さんにご協力いただいてすすめてます。「広がるインフラワーキング」では、インフラの概念ってもっと広くていいんじゃないのとか、「仕事の風景探訪ワーキング」では、こんなちょっとしたことだけど、これをやるにはもしかしたらすごいチャレンジあったはずだよねというような風景を、できればそこに関わった方と一緒にご紹介していただきたい。そして「D&Iカフェトーク」というのは、これまでもう60回ぐらいやっているものですが、私はこんな子育ての仕方をしましたとか、私はこんな働き方をしましたということを語っていただいているオンラインのトーク番組です。こういうものを続けながら仕事のイメージを広げていこう、というのが二つ目の柱です。
三本目が「学会のDXプロジェクト」です。交流にしろ、対話をするにしても、そのインターフェースがストレスフリーであることは大事ですし、それを進めていくときの事務作業ができるだけ効率化されることはもう絶対必要です。そのために学会の中の様々なシステムとか、いろんなことの改善をこれから時間をかけて、一歩ずつ確実に進めていくために、学会の職員さんの中に学会DXチームというのを作っていただいて、進めていこうとしています。
こんなふうに、会長プロジェクトを進めておりますが、土木学会は、皆さんがこうなったらいいなと思うことを可能にするインフラだと思っています。110年の蓄積に敬意と誇りを持ちつつ、これまでの当たり前にとらわれず、これでいいのかなというモヤモヤに目を向けて、わたしたちの世界を広げていきたいと思います。
そうすることで、「土木学会」というインフラを、私達の手でより伸びやかにでき、そうすると、その土木学会で活動しているお一人おひとりがみんな伸びやかになるので、皆さんがいろんなところでなさるお仕事も、より伸びやかになる。そうしたら、この波及効果すごいですよね。それを私はすごく期待しております。
土木を風景から考える
では、いよいよ基調講演会の「土木を風景から考える」というテーマに入っていきたいと思います。ここからの話はですね、土木学会会長としてというよりは、40年間、景観や風景、あるいはデザインという言葉から、土木の皆さんと一緒に、各地のまちづくりやものづくり、空間づくりをしてきた一人の研究者としての話としてお聞き願えれば幸いです。
今この場所の「風景」
どこから話を始めるかということですが、まず私達がいるこの場所から始めましょうか。この地図にピンが立っていますが、仙台国際センター、ここに今、私たちはいます。多くの方は国際センター駅からいらっしゃったんではないでしょうか。そこの横には仙台の母なる川、広瀬川が北から南に流れています。そしてその東側には大町西公園駅があり、この二つを繋いでいるのが地下鉄東西線の構造物になります。大町西公園駅の横には西公園という公園が広がっています。そして国際センターのちょっと南側に大橋という橋が架かっています。私達は今こういうロケーションにおります。
そしてこんな大事な場所ですから、ここにかかる地下鉄東西線を建設するときには非常に丁寧な取り組みを、仙台市交通局さんにしていただきました。いわゆるデザインコンペです。「仙台市高速鉄道東西線広瀬川橋りょう他設計競技」というテーマでございました。2005年から2007年、2ヶ年かけてやりましたが、私はその審査員の1人として関わることができました。
ここにお示ししているのは当時のコンペで使われた、第一等になった方の作品です。情報は右下にあります土木学会が出している、あちこちでもっとコンペやろうよというのをお手伝いするためのガイドライン「土木設計競技ガイドライン・同解説+資料集」に掲載されていますので、もしご興味があったら、この本も見てください。
このコンペでは、広瀬川にかかる橋梁の部分から西公園を通る鉄道高架橋の部分、さらに西公園の段丘のところから出てくるトンネル坑口の部分、普通であれば、バラバラに発注がされるものを一連のものとしてどうデザインするかということを議論し、たくさんの案の審査をしました。審査の過程では応募された作品を市民の皆さんに展示したり、審査の風景を少しお伝えするというようなこともやりました。
これが今見える地下鉄東西線ですね。一昨日撮った写真なのでちょっと曇っておりますが、この東西線を眺めている場所が、この大橋という昭和13年にできたコンクリートの堂々たる橋です。
審査の最終の日に私はこの素晴らしい橋の上に立って、まだない、やがてかかるであろう、その東西線をどんなものにしたらいいんだろうということを想像してから審査会場に向かったことを今でもすごくよく覚えています。
さらに東西線の橋は国際センターの駅の1階および2階のテラスからも、とっても面白い角度で見られますし、反対側の西公園の中にもこの鉄道を見るようなテラスが準備されています。ぜひ皆さん帰りに寄って見ていただきたいと思います。
そして鉄道の高架として、公園の中を通っていく部分については、まだ半分ちょっと整備が終わってないので全部を自由に使うことができない状態ではありますけれども、この高架の下をこんなふうに使えるんじゃないかとここでこんな楽しみ方ができるんじゃないかと、そういうことを掻き立てるようなデザインができたなと改めて思いました。
このように私達が作る構造物をここから見たらこんなふうに見えるよねとか、こんな使い方もできるかもしれないよねっていうことを考えながら作っていくというのは、やはり土木が良い風景を作っていく一つの大事なアプローチかなと思います。
「美しい国づくり政策大綱」と「景観法」
もう一つ、日本の風景や景観を考えるときと、東北の風景との関わりがとても大事な接点があるということをお話したいと思います。2003年に「美しい国づくり政策大綱」というものが出されました。そしてその翌年に景観法という、景観のことを第一目的にした、日本で初めての法律ができました。
景観法は美しい国づくり政策大綱とリンクしているわけですが、この政策大綱を推進し、尽力されたのが青山俊樹さんという方です。その青山さんの思いが書かれているのが、2005年の2月号の土木学会誌でございます。
「景観法と土木の仕事」と題したこの特集、実は当時、一委員だった私が主査を務めました。専門性からしてやらなきゃいけない仕事ですよね。この2月号の中に青山さんに寄稿していただいています。青山俊樹元国土交通省事務次官、タイトルは、「なぜ、今、『美しい』なのか-美しい国づくり政策大綱をとりまとめて」という文章です。その一部を見てみたいと思います。
という具合に、青山さんご自身の言葉で東北の風景の美しさを綴っております。そして、この次に続く言葉が、それに比べて私達人間が作ったものはどうだろうか、これでいいんだろうかという大きな大きな反省から、インフラ、人々の暮らしを創る土木の仕事は、美しい国をつくることに大きく舵を取らなきゃいけない。その強い思いで政策大綱が生まれていき、景観法も作られ、その後様々な政策が展開していったわけです。
青山さんには実はそれよりさらに前、2000年に、ちょうどここ仙台で土木学会全国大会が開かれたときの特集号にも寄稿していただいています。
2000年の土木学会全国大会は、仙台宣言というのを出すとっても格の高い大会だったというのを当時の原稿、状況を見て改めて思ったんですが、その中で青山さんは改めて「『21世紀の土木像』-心豊かな暮らしの実現をめざして」という少し長い文章をお書きになっています。その中では三つ柱が立っています。
大きな曲がり角に今日本は来ている。究極の目的はものづくりにあらず。世界のためそして次の世代のために、ということをお書きになっています。
二つ目の「究極の目的はものづくりにあらず」。
土木はものづくりだと言いますよね。でもそれを究極の目的ではないとおっしゃっている。それは、美しい国づくり政策大綱の前文にもございますが、私達は社会資本整備が目的ではなく手段であったことを忘れていないかという文章に繋がっていきます。つまり、インフラをつくることではなくて、本当につくりたいのは、それによって生まれてくる暮らしであったり活動であったり、そこなんだよねって、そこに青山さんおっしゃっていて、そういう気持ちの中から美しい国ということに繋がっていったのかなと思っています。
「風景」「景色」「景観」
ではここからちょっとしばらく、大学の先生みたいな話をさせてください。
「風景」「景色」「景観」。似た言葉ですね。
皆さん、無意識のうちに使い分けておられるかもしれませんが、上の二つ「風景」と「景色」、この言葉は平安時代からありました。「景色」のほうは、景という字の代わりに気持ちの気を書いたり、ひらがなで書かれたりしていて、今で言う「景色」というよりは、人の怒れる「気色」みたいに、見えているものの向こう側のことを推測するような用法で使われたりしています。いずれにしてもこの二つはとても古い日本語です。それに対して、「景観」という言葉は、明治時代にたくさんの外来語が日本に入ってきたときの一つの翻訳語として、ドイツ語のランドシャフト(Landschaft)、いわゆるランドスケープ(landscape)を景観という言葉に訳して生まれました。そんな違いはありますが、ここではあまりこの三つの違いに深入りせずに、土木の世界でこの景観や風景をどういうふうに考えてきたかを、ちょっとだけご紹介したいと思います。
私の恩師であり、土木界の景観、風景の仕事をずっと牽引されてきた中村良夫先生は、「景観は人間を取り巻く環境の眺めである」とおっしゃっています。でもそこにちょっと付け加えて「しかしそれは単なる眺めではなく、環境に対する人間の評価と本質的な関わりがあると考えられるのである」とおっしゃっています。景観って決して見た目のこととか、橋ができる最後のところで色を何にしようかと、そういう話では全くないんですね。
こういった景観を、ものがどんどん作られていく時代に土木の中でどういうふうに位置づけていくかを考えるために、「景観把握モデル」というのを、これは篠原修先生が一つの形にされました。つまり景観っていうのは眺める対象があって、それを見る人がいて、見る人が立っている場所があって、その関係で初めて成り立つものなんだということですね。
見る位置が変われば景観は変わりますし、もちろん見えている対象が変われば変わっていきます。その関係として、私達はずっと景観や風景のことを考えている。奥深い学問ですよね。この辺をちょっと勉強したいなと思う方は、『ゼロから学ぶ土木の基本 景観とデザイン』という誰かが書いた教科書も出ているようですので、よかったら見てください。
「ある風景」「なる風景」「作る風景」
ではもう一つ。風景の中に、「ある風景」「なる風景」「作る風景」というのがあるよと篠原さんがおっしゃってます。
「ある風景」というのは、例えば松島のように自然の、そのままある風景です。「なる風景」というのは、例えば田園風景。今、私達は美しいなと思いますが、それはこういう美しい田んぼを作りたいと思って作ったわけではなくて、こういう土地の条件の中でお米を作っていくためには、どういうふうに田んぼを配置して、どう水路をつくったらいいかなと工夫した地域知の結果、こういうふうになった。そういう意味で「なる風景」です。それに対して「つくる風景」のように意図をもって新しい風景を作っていく場合もあります。ですので、通常何か風景づくりというと、一番右側の「つくる風景」のことだけを考えがちですが、「ある風景」をどのように見せるのか、あるいは守るのか。「なる風景」を生み出すメカニズムをどのように守っていくのか、次に継承していくのか。これらを全部含めたことが土木の景観の仕事になっています。
教科書的な話はちょっとこれぐらいにしまして・・・。今回の基調講演という、せっかくの機会をいただいたので、東北地方を、私もこれまで何度かあちこち行っていますが、改めてちょっと回ってみることにしました。
奥深き風景を訪ねて
本当は日本海側も行く予定だったんですけど台風で行けなくなりました。ざっとここにお示ししたような形で、見てきたところで目についた、あるいは心にちょっと響いた写真をお見せしながら、お話ししたいと思います。決してこれがすごく良かったとか、これがとっても駄目だったとかいうのではなくて、例えばこんなふうに風景って見られるよね、というふうに聞いていただければ幸いです。
まずスタートはオガールです。本日、特別講演いただく岡崎正信さんのお仕事ですね。ここに行くとすごく楽しそうな時間が過ごせる場所だなというふうに思いました。
奥の方、右手に見えるのが市役所ですがその前に広々と芝生がありました。私が行ったのは日曜だったこともあって、あまり人の活動は見えませんでしたけれども、ここだったらこんなことできるよね、こうやったら気持ちよさそうだな、っていうのが、もうありありと浮かんでくる眺めです。そして突き当たりのところに木が生えていますが、その先には素敵な地形を作った公園がありました。その晩、一泊したんですけれども、満月がとっても綺麗だったので、そうだ、あの公園の築山に行ったら月がもっと綺麗に見えるんじゃないかと思って、いそいそと出かけていったわけです。あんまりいい写真になってませんが、つまりそういうふうに「あんなふうにお月様を眺めることができるんじゃないかな」っていう私の一番の楽しみを、この公園が可能にしてくれていました。
そこから盛岡に北上したのち国道106号に沿って東へずっと向かっていきます。このルートは西に向かって流れる簗川と、東に向かって流れる閉伊川、その川沿いに古くは宮古街道、そして国道106号、そして復興支援道路としてその106号が改良されている。あともう一つ、鉄道の山田線。昭和14年全線開通ですね。このインフラが本当に絡み合いながら進んでいくところです。
できるだけ旧道を走ったり、ときに新しい道を走ったりしながら進んでいきました。左が山田線の鉄橋ですし、右は新しく復興支援道路として出来た橋です。
こういったところを通っていくと、曲り家がまだ残っています。あるいは、狭い道を通っていったら急に開けるところに出て、そこは牧草地になっていました。ここではこうやって皆さん牛を飼って暮らしてるんだなと思いました。
右側の写真は蟇目駅という山田線の駅ですが、その駅に向かう道がちょっと坂道になってるんですね。坂には立派な桜の木が植えられています。桜が満開のときにこの坂道を登ったり、あるいは降りてきた人たちが眺めた、一生心に残る風景が、もうありありと目に浮かんできます。
少し内陸の方にも足を伸ばしてみました。これは住田町というところにある、知る人ぞ知る松日橋という橋です。地域の方々が本当に簡単に木を組み立てて作る、流れ橋です。行ったら流れてなくなってました。8月12日に大雨で流されたそうです。でも、桁であり床版であるこの立派な材木には全部ワイヤーが通っているので、そのワイヤーに繋がれて、橋の部材は岸に打ち上げられていました。そしてなんと、8月25日に地元の方がこれを元のように掛け直したというニュースを伺いました。素晴らしいですね。
住田町にはもう一つ素敵な橋がありました葉山めがね橋と呼ばれている橋ですね。コンクリートのアーチ橋ですが、実はこれ、水路橋です。山の方からずっと水を引っ張ってきたものを川を渡して、こちらの里の方に引っ張ってくるための水路橋です。とても愛らしい橋であると同時に、やっぱり水を引いてくることで、田んぼが作れるように、暮らしができるようにということを可能にしたインフラの姿だなと思いました。
そして内陸部。もっと大きな水をコントロールする施設としては、登米市に旧北上川の分流施設群がございます。理解がまだ十分追いついていないんですが、北上川から分流して、旧北上川の方に水をとっていく取水の洗堰の部分は明治の終わりに計画され、大正に工事が始まって昭和7年だったかに二つの洗堰ができ、さらに平成になってから大きな水門堰を作るという工事が進められた部分で、とても壮大なスケールでの水の分配をする施設を見ることもできました。
そして、沿岸部にたどり着きました。宮古から気仙沼や仙台の方まで下っていきます。やはりここでは大きな防潮堤がどうしても目の中に入ってきます。全体に灰色が多いのは天気のせいもありますが、やはりコンクリートが目に入ってくる割合はとても大きかったと思います。いろんな議論の末にできたこの風景を私達は受け入れて、これとともにどうやって生きていくかを考えていかなければいけないんだなということを、改めて思った次第です。そういう構造物をずっと見ていると、いろんなところに目が行きます。
それぞれの構造物を設計した方、施工した方のお名前を私は知りません。でもこのエンジニアがここをこう考えて作ってくれたのは嬉しいな、そういうコミュニケーションができるディティール、形に出会うこともできます。そして何よりなるほどと思いながら心を打たれたのは、自然が戻ってきているということです。
大きな干潟や砂州も、それ自体を全部フラッシュしてしまうぐらいの大きな破壊力を津波は持っていました。そしてその後、人間がまた大きな構造物を作りました。でもその構造物の作り方の中に様々な工夫をすることで、自然はまたここだったら私達生きていけるという場所を見つけて、砂がたまり、植物が生え、魚がやってくる。こうした自然の環境が約10年の間にこんなにも再生しているところを各地に見ることもできました。つまり、人が作るものによって自然が再生することを可能にしていたという事例も見ることができたということです。
土木のつくるインフラ
こんなふうにほんの一例、私の目についたものだけですけれども、土木がつくるインフラというのは、まずそれ自体が私達の眺めの対象になります。この会場の近くの大橋から見た地下鉄東西線がある風景は、東西線の橋自体が風景を作ります。同時にそれを眺める場所、つまり大橋があるから、東西線を見ることができる。
それがあるから私達はそこに行って眺められる、そういう形で、土木のインフラは風景を作ることができます。そしてさらに大事なのは、それがあるから私達、この「私達」というのには生き物も含みますが、なにかが可能になります。もう一度芽を出すことができたり、ダンスを踊ることができるかもしれない。友達と何か話すことができるかもしれない。その可能になることが本来の目的ですし、この可能になったことこそが、風景として私達の目を楽しませてくれるんだと思います。
最後にもう一つ、東北の事例です。この全国大会の画像に使われている写真ですが、「これを使ったんだ」って思ったのですけれども、この写真は土木学会がやっておりますデザイン賞の2023年の最優秀賞をいただいた「石巻市街地における旧北上川の復興かわまちづくり」の賞の説明に使われている写真でした。
カメラを構えてこっちを見てる人がいるので、何となく写真とこちらが繋がるような不思議な写真ですよね。この仕事には本当にたくさんの人が長い時間関わってきたわけですが、そのチームの一員に私も入れていただいていました。
この石巻かわまちづくりの一連の事業の工夫については、『石巻かわまちづくりデザインノート』という冊子にまとめてあります。これは北上川下流河川事務所のウェブサイトから全ページをダウンロードできます。
デザインノートの最初の方にこの写真が出ています。この写真に添えて、この後の全体討論でお話しいただく平野勝也さんの文章も続いています。ここで見ていただきたいのは、津波が来る前の石巻の市街地の様子です。堤防がない無堤の町でした。つまり、かわみなと、川の港として、川と町が一体になって江戸時代から暮らしを営んできたのがこの石巻です。その様子がこの写真にはまだしっかりと見てとれます。ただここにいろいろな議論の末、やっぱり大きな堤防を作ろうという決断をしました。その堤防をどう作っていくか、いろんな議論をしました。
その議論の中で私が考えたことも、このノートに一部書いています。私達が作る構造物は、やはり暴力的です。ものすごく大きなボリューム感を持って、水辺と街の中に入ってきます。でもそれは作ろうと決断したものですから、それを作っていくときに、もちろん壊れないで、高潮が来たときに超えないということあるんですが、これはやはり一つ新しい風景の一部になるし、直接的に風景を作るというだけではなくて、新しい風景の布石になるということを考えたいと思っていました。
いろんな工夫がありますが、代表的なところは、堤防とその背後の堤内地の住宅や商業施設の2階のレベルを揃えることで、町から堤防、そして水際まで連続的に降りられる計画をしたことでした。それに加えて法面のアンジュレーションはどうするんだ、階段はどうするんだ、石積みはどうするんだと、いろんなことをデザインしながら進めていきました。
その結果、中央地区と呼ばれているところですが、ここには本当に今までとはちょっと違った形の水辺の賑わいが生まれてきています。さらにその活動をもっと頑張ろうというグループやいろんな営みが生まれてきている。デザインチームは、こういうことを意図して、「こうなったらいいな」と思って作ってきたわけです。ですから、ある意味想定内の、あるいは想定以上の素晴らしい活動が生まれたことにとても安堵しているわけです。
ですが、実はそれだけではありません。この写真は間澤智大さんという若いカメラマンがこの石巻の堤防のあたりをじっくりと歩きながら、何百枚も写真を撮ってくれたうちの一枚です。とても気に入っている写真です。町側から水辺は見えません。でも、何となくちょっとこの表情のある土の法面を越えていくと見えるだろうなっていう気もしますし、四阿に行くと、さらに向こうの風景が見えるでしょう。そこの先は、あんなスカイライン、山の形ってこんなふうだったな、ウォーキングしているあの人はそんなことを視野の隅に入れながら、毎日ここを散歩してるのかなと。こんな風景がここに生まれてるっていうことは、あまり予想していなかったですけれども、これからもあそこを歩いている人、あるいはちょっと違った方が、その人一人一人の石巻の新しい風景を見つけてくれる可能性を感じるような仕事にはなったのかなという気がしました。
この写真は、土木学会誌2024年10月号に掲載される会長からのメッセージにも添えています。学会誌が届いたらこの写真を改めて見ていただきたいと思います。
土木のつくる奥深い風景
最後になります。自然があって暮らしがあって人がいて、その相互関係の中で風景は生まれてきます。
土木の作るインフラというのは、この関係の巡りを可能にする仕事です。ちょっとざっくりした言い方かもしれませんけれども。自然そのものにアプローチすることもあります。暮らしのあり方そのものにアプローチすることもあります。そして人々の価値観にアプローチすることもあるかもしれません。
でも、この巡りの中で出てくる風景、それにやはり土木っていうのはすごく関わっているんだと思います。反対向きの矢印も当然あると思います。こういう関係の中で生まれてくる風景が奥深くなっていくためにはどうしたらいいんでしょうか? どういうふうに私達はアプローチをしていったらいいんでしょうか?
例えば、小さな気づきを繰り返していくこと、あるいは過去を振り返ること。対話を皆さんと重ねていくこと、そして、立場を変えてみることもあるかもしれませんし、いつもと違う環境に身を置くことで新しい見方ができるかもしれません。そして、思いっきり遠くを見てみたり、当たり前を疑ってみたり、自分の言葉で語ってみる。これは、第111代会長の田中茂義さんの言葉ですが、そんなことをからめながら、私達はこの土木の奥深い風景を一緒に作業をしながら、一歩ずつ前に進めていくことができるんじゃないかなと思っています。
土木学会という場にもいろんな活動がございます。今日、そして明日から続く研究発表会もそうですし、それぞれの専門分野での活動もそうです。様々な活動がありますが、そこでの活動も、こんな視点を持つことで、より奥深くなっていくかもしれないと思い、そのちょっとしたお手伝いを、私は会長のうちにやりたいなと思っています。
以上で私の話を終わりたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。
国内有数の工学系団体である土木学会は、「土木工学の進歩および土木事業の発達ならびに土木技術者の資質向上を図り、もって学術文化の進展と社会の発展に寄与する」ことを目指し、さまざまな活動を展開しています。 http://www.jsce.or.jp/