リスク、安全率、そして予防的アプローチ
浅見 真理
論説委員
国立保健医療科学院
「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」は、発出、解除が繰り返されているが、2011年3月11日に発出された原子力災害対策特措法の第15条に基づく「原子力緊急事態宣言」は10年以上解除されていない。この緊急事態宣言は、原子炉から溶融したデブリの処理が終わるまで、おそらく今後何十年か、解除できない。
筆者は2003~4年に厚生労働省で原子力総合防災訓練を担当していた。当時、原子力保安院の作成した訓練のシナリオは、より軽微な事故を対象とし、何かあってもすぐ収束するものであった。原子力施設は高い安全性で設計されており、訓練もあくまで念のためと感じられたのである。
福島第一原発事故後に行われた日本政府の原子力委員会における原発事故リスクの議論においては、日本での約1500炉年(炉の数と運転年数の積)の実績の中で3つの炉が重大事故となったため、事故確率は、約500炉年に1回に相当し、かつてのように50の原子炉が稼働すると、算術的に全国での事故が10年に1回の割合に相当することがコスト試算の際の前提条件の一例となった*。現在も安全対策を強化し、事故確率を下げる不断の努力がなされているが、今後も施設の老朽化や廃棄物の処分などにも向き合う必要がある。
化学物質のリスク評価分野においては、動物実験の無毒性量等のデータを種の異なるヒトに適用する場合は10倍、個体差の感受性を考慮するため10倍、毒性の発現するエンドポイントやその他の理由により数倍、合わせて数百倍といった「安全(不確実)係数」で補正をして許容摂取量、そして基準を決定してきた。それでも、最近のリスク評価では、実際のヒトの疫学調査などから、以前行われた評価より更に厳しい値となる物質もある。
土木の分野では、「安全率」が非常に重要な役割を果たしている。長期荷重に対する材料強度の安全率として1.5倍、エレベータロープの安全率は10倍以上とされ、耐震設計でも、十分な安全率が必要とされる。
もう一つ関連する考え方に、計画雨量がある。条件にもよるが、農業用排水路や山地河川の計画規模は10年に一度、河川では概ね100年に一度、そして、ダムやため池の計画規模は200年に一度で行われる。「人生50年」と言われていた時代には、50年に一度を基本にしていたことから、「生きていて一度見られるかどうか」で定められたものとの説もある。近年の気候変動の影響も加わったためか、集中豪雨の際、毎年のように全国どこかでこの計画雨量を超える現象がみられることは、不思議ではない。
このような中「予防的アプローチ」の考え方が再び注目されている。元は、1992年の国連環境開発会議 リオ宣言の原則15で示された考え方であり、「環境を保護するため、予防的方策(プレコーショナリー・アプローチ)は、各国により、その能力に応じて広く適用されなければならない。深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合には、完全な科学的確実性の欠如が、環境悪化を防止するための費用対効果の大きい対策を延期する理由として使われてはならない」**とされる。
しばらく前までは、気候変動は本当に起きるのかといった懐疑的な見方もあったが、現在ではむしろ気候変動緩和・適応を先取りした対策をとらないと、投資を呼び込めず、関連産業などにも支障が出る可能性があり、一層の対策の必要性が現実味を帯びているところである。加えて、求められるリスクレベルは年々厳しくなっており、例えば、上水道分野では毎年のように水質基準の改正があり、処理設備や施設の変更が必要となる場合もある。
鉄筋コンクリートやガラス、設備も長期に利用する時代である。一般的な施設であれば建設時の基準が適用されると理解しているが、土木構造物や設備も、劣化や要求レベルの向上に備え、ライフサイクルコストを最小化する予防保全的な維持管理手法を加味し、耐震基準や設計雨量、そして安全率を適宜予防的に見直す必要があるのではないか。また、ハザードマップや避難方法の確保など一層の「未然防止」や「適応策」を考える必要があるのではないだろうか。
土木学会 第170回 論説・オピニオン(2021年7月版)
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