日本インフラの体力診断(河川)
土木学会事務局です。
土木学会では、インフラ健康診断・日本インフラの能力診断との組み合わせで、日本のインフラの「強み」「弱み」を総合的に評価する資料・データとして活用していただくよう、インフラの体力診断を行い、2021年9月22日に第一弾となるレポートを公開いたしました。
本記事は、インフラ体力診断のページに掲載したPDFレポートの内容から、河川WGの内容をnote向けに再構成したものです。一部、脚注等省略している部分やリンク等を追記した部分がございます。詳細は「日本インフラの実力診断」のページに掲載しているPDFをご確認ください。
1.治水インフラの計画目標とその意味
わが国では川ごとに長期的な治水計画の目標を示す「河川整備基本方針」と、整備の目標や具体的な整備内容等を示す「河川整備計画」を策定している。
河川整備基本方針では、流域の規模や氾濫区域の重要度、既往洪水による被害の実態、上下流や本川支川のバランス、経済効果などを総合的に勘案して、治水の計画目標(治水安全度)を設定する。この治水安全度は、一年間にその規模を超える洪水が発生する確率である「年超過確率」で表現され、1/100などと表記される。一級水系では年超過確率は1/100、1/150、1/200と設定されている。
河川整備計画は、河川整備基本方針に沿って、今後概ね20~30年間で実施する具体の整備内容を定めるものであり、関係住民や関係自治体、学識経験者からの意見聴取を実施することとしている。この河川整備計画でも、計画目標となる流量を定めている。このように、治水の整備水準は、現行の整備レベルから河川整備計画レベルを経て、最終的に河川整備基本方針レベルに近づけていく。
河川整備基本方針、河川整備計画ともに、洪水調節用ダムや遊水地など上流域で洪水を貯留した上で、下流の洪水流量(計画高水流量)を定める。国や都道府県が管理する河川では、計画高水流量を安全に流下できるよう堤防を整備する。堤防は治水インフラの根幹である。
なお、気候変動に伴って豪雨の発生頻度が増えると、同一の整備水準でも治水安全度が下がることとなる(後述の4.2参照)。
2.計画目標の達成度
治水インフラに関する計画目標の達成状況を取りまとめるにあたり、計画目標の達成度(現行の治水安全度)を河川間で直接比べる必要があるが、現況の河川整備水準を治水安全度として評価できている河川はごく一部であるのが現状である。その代わりとして、整備水準に関わる客観的な指標の一つである「堤防整備率」を用いた。堤防整備率とは、現時点の計画上、堤防の設置が必要な区間(A)のうち、計画を満たす堤防が設置されている区間(B)の割合(=B/A)である。国管理河川における堤防整備率は、2020年3月末時点にて図1の状況である。
利根川や荒川、大阪の大和川の堤防整備率は、それぞれ67.5%、71.3%、52.6%で、一級水系全体の堤防整備率の平均値は68.6%である(2020年3月末時点)。一方、都道府県管理河川の一例として、東京都管理河川では、護岸整備率が67%で、国管理河川と概ね同程度となっている(2019年3月末現在)。計画規模としては、利根川や荒川、大和川はいずれも1/200だが、東京都管理河川では1/20である。計画規模を踏まえると、堤防(護岸)整備率が同程度であっても、国管理河川の方が都道府県管理河川よりも治水インフラの整備水準が高いと言える。
3.整備水準及び計画目標の国際比較
治水インフラの整備水準や計画目標を国際比較するために、前章に引き続き「計画規模」と「堤防整備率」を指標として用いる。また、これらのデータのみでは不十分な面もあるため、「水災害による被害状況」に関しても国際比較の対象とし、多角的に治水インフラの整備状況を検討した。なお、河川インフラの整備水準の国際比較は、これまで、欧米諸国を調査対象として多く行われてきたが、今回は、わが国と水文特性が比較的近い東・東南アジアの河川も対象とした。
東・東南アジアの河川は大陸河川とは異なり急峻な地形を有する点で、地形的特性がわが国と比較的近く、気象条件としてもアジアモンスーンに位置することからわが国の河川の状況と比較的近いと考えられる(参考図1)。
わが国の河川の計画や整備水準を、海外の河川の計画や整備水準と比較するにあたり、同一の尺度で表現できるよう「年超過確率」により比較した。なお、年超過確率による比較は分かりやすいが、一方、その国・河川の水文特性次第で、年超過確率では投資の度合いを必ずしも十分表現できないことに注意が必要である。例えば、ライン川では、堤防嵩上げ(0.5m)で約1,500m3/sの流量増加が可能であり、これにより治水安全度は約1/1250から約1/3333に向上する。一方、利根川(八斗島地点)では、堤防嵩上げ(0.5m)で約2、490 m3/sの流量増加が可能となるが、これにより治水安全度は約1/200から1/300に向上する(参考図2)。
3.1 計画規模と整備進捗率の比較
図3に計画規模の国際比較の結果を示す。ここでは、日本(国、東京都)、データを取得できた東・東南アジア(韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナム・メコンデルタ、欧米(アメリカ・ミシシッピ川、イギリス・テムズ川、オランダ、フランス、ドイツ)の結果も記載している。なお、計画規模は、同一河川でも上下流で異なることや、同一国の河川間でも値が異なるため、ここでは複数の結果を表示した。
計画規模の最大値としては、日本や韓国、台湾では1/200が多く、欧米ではそれ以上であり、最大はオランダ・沿岸部(高潮)の1/10000である。東南アジアでは1/60~1/100と日本より小さい。また、東京都管理河川の計画規模(1/20)は、台湾・台北市内河川の計画規模(1/25~1/50)よりも小さくなっている。
図4には整備進捗率の結果を示す。ここでは、2.で示した堤防・護岸整備率だけでなく(日本、韓国、台湾)、整備進捗率(アメリカ、イギリス、オランダ、フランス)も混在していることに注意されたい。これより、整備進捗率が高いのは、イギリス・テムズデルタやオランダ全般の河川、フランス・ローヌ川であり、これらはいずれも100%である。アメリカ・ミシシッピ川も78%と高い値となっている。アジアの韓国の国・地方管理河川ではそれぞれ79.6%、47.7%である。台湾の中央・地方政府管理河川と台北市内河川では各々86.8%、83%である。一方、日本の国管理河川の堤防整備率は全国平均で68.6%、東京都管理河川の護岸整備率は67%である。わが国の整備進捗率は、欧米はもとより、韓国・台湾を10%以上も下回る結果となっている(ただし、韓国の地方管理河川を除く)。
明治以降の治水技術の発展と普及により、わが国の治水インフラの整備水準は飛躍的に向上していることは間違いない。ただ、上記の結果より、わが国の治水整備レベルは、気候が大きく異なる欧米より低いだけでなく、同じアジアモンスーン気候に属する韓国・台湾からも遅れを取っているのが現状である。近年の豪雨災害の激化を考えると、わが国の治水水準の向上が益々求められる。
3.2 水災害による被害状況の比較
水災害による被害状況として、死者数や水害被害額について国際比較を行った。使用するデータは「EM-DAT」というベルギーのルーヴェンカトリック大学(Centre for Research on the Epidemiology of Disasters (CRED)、School of Public Health、 Université catholique de Louvain)によるデータベースである。EM-DATには、様々な種類の自然災害に関する人的被害(死者数など)や被害建物数、被害額等のデータが1900年以降収録されている。ここでは、2011年~2020年のデータから、洪水、土砂災害、高潮、暴風雨を抽出・集計して、国ごとの死者数と被害額の年平均値を比較・分析した(図5、6及び参考図5、6)。
年間死者数は、インド、フィリピン、中国、パキスタン、アメリカの順で、日本は114.1人で世界17位である。日本は、OECD加盟国ではアメリカ、コロンビアに続く3番目、G7ではアメリカの次の2番目となっている。同様に、人口10万人あたりの死者数については、日本は世界70位である、OECD加盟国では3番目、G7では1番目となっている。人口10万人あたりの死者数では、日本はアメリカと同程度であり、インドネシアや中国、韓国、台湾を上回っている。
一方、水災害による年間被害額に関しては、アメリカ、中国、インドに引き続いて、日本は世界4位と非常に高い順位である。また、GDPあたりの被害額に関しては世界35位であるが、OECD加盟国やG7の中ではいずれもアメリカに続いて2番目となっている。被害額に関しても、日本はG7のヨーロッパ諸国や韓国・台湾を上回っている。
このように、水災害による死者数や被害額の面では、日本は、G7やOECD加盟国で世界ワーストクラスとなっている。またアジア諸国、特に韓国や台湾よりも大きな被害を受けていることも分かる。
4.インフラの質的評価
4.1 治水投資額
水災害対策への投資額の国際比較を行った。なお、国によって治水関係投資の考え方が異なる可能性がある。例えば、国家予算における治水投資額の多寡は、その国で治水工事を国家と地方のどちらが多く行っているかにも影響を受けるため、必ずしもその国での治水投資額を表さない可能性がある。そのため、国際比較を行うにあたって、投資額の多寡自体を比較するのでなく、それぞれの国における過年度からの推移を比較するものとした(図7)。ここでは、2006年を100として基準化し、国際的なデータ収集が可能であった1996年から2018年までの結果を示した。なお、国毎にデータ収集期間が一致していないことに留意されたい。
これより、近年の投資額は、日本はやや右肩下がりなのに対して、アメリカ・イギリス・オランダでは、横ばいか微増傾向となっている。また、フィリピンや中国、インドネシアでは急増しており、特にフィリピンは、近年、2006年比で10倍以上の治水投資額に達している。フィリピンでは、大規模なインフラ整備を進めるべく「Build Build Build」プログラムを打ち出すなどしており、治水投資額でも近年伸びが著しい。韓国では、李明博(イ・ミョンバク)政権で4大河川事業が実施された2010~2011年頃に治水投資額が大きくなっている。
このように、日本以外の国では、治水投資額を維持もしくは増加させており、水害被害の大きなアジアではより大きく増加させているのが潮流となっている。それに対して日本では、水災害による被害が顕著であるにも関わらず、治水投資額が増えていない。
4.2 気候変動対応
わが国では、気候変動の影響の顕在化や今後の予測を受けて、科学的成果に立脚した対策の検討や法整備が進められている。国土交通省が設置した技術検討会は、全球平均気温が産業革命以前から2度上昇した場合(現在は1℃上昇時に相当)における計画規模相当の降雨量の変化倍率(図8)を公表し、この倍率に基づき治水対策の検討の前提となる基本高水を設定すべきであることを提言として取りまとめた。
また、国土交通省北海道開発局と北海道は将来における洪水リスク(氾濫確率×氾濫被害)の変化を定量化し(参考図7)、将来を見越した被害の低減のためのハード・ソフト対策の検討がなされている。
さらに流域治水関連法の公布(一部、施行)や気候変動適応法の整備など気候変動の影響に備えるための法整備も進められている。わが国における気候変動対策を含む治水インフラは、国際機関トップからも評価を得ている(コラム)。
また2021年8月にIPCC第6次評価報告書が公表され、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」ことを示すと共に、「人為起源の気候変動が世界中の全ての地域で、大雨や熱帯低気圧などの多くの極端現象に既に影響を及ぼしている」ことを報告している。 UNDRR(国連防災機関)らのレポートでは、EM-DATのデータをもとに、2020年の暴風雨の被害額が世界で920億ドル(約10兆円)、洪水は510億ドル(約5.6兆円)であり、いずれも2000~2019年の平均を上回ったと指摘されている。これらのことは気候変動緩和・適応策の更なる推進が待ったなしの状況であることを示す。
5.総合アセスメント
河川分野における治水インフラの整備水準の現状をできる範囲でとりまとめ、国際比較を試みた。特に、これまで欧米諸国の河川との比較は行われていたが、気候条件が近い東・東南アジアにおける国々との比較も行った。河川管理形態が国ごとに大きく異なる中で、統一的な指標で治水インフラの整備水準を比べることは容易ではなく、「計画規模と整備進捗率」、「水災害による被害状況」、「治水投資額」等について国際比較を行った。
① 整備進捗率
日本の国管理河川の堤防整備率は全国平均で68.6%、東京都管理河川の護岸整備率は67%だが、これらは韓国の国管理河川や台湾の中央・地方政府管理河川よりも低い数値であった。
② 水災害による人的被害(死者数)や被害額
日本は、G7やOECD加盟国で世界ワーストクラスであり、アジア諸国、特に、韓国や台湾よりも大きな被害を受けている。
③ 治水投資額
近年の推移としては、日本では総じて減少傾向だが、日本以外の国では維持もしくは増加させており、水害被害の大きなアジアではより大きく増加させている。
これまで先人達の長年の努力により、わが国の治水インフラは飛躍的に発展を遂げているが、現在では、堤防整備率の遅れや顕著な水災害被害が発生している。気候変動の進展により、より洪水外力の増加が懸念されるため、近年減少傾向である治水インフラ投資額の大幅な増加と、治水インフラ整備水準の向上が今後必要不可欠である。
また、上記で示した内容の因果関係は必ずしも明確ではない。例えば、治水投資額の減少が堤防整備率の遅れにつながったかどうか直接的には不明である。水災害による被害と堤防整備率の程度も一概には関係づけられず、水災害を引き起こす外力(降雨状況)の変化を評価する必要があるが、そこまでには至っていない。
参考資料
3.1 データ出典
4.1 データ出典
その他参考図