土木学会倫理綱領の理念実現に向け、社会科学を携えて「政治」に積極的に関わるべし
藤井 聡
論説委員
京都大学 教授
1.「土木」は政治と分離不可分な営為である
「土木」とは地域、都市、そして国家の基盤づくりを通して文明環境を整える公的国家的営為だ。したがって必然的にその活動の根幹には常に公共性があり、それ故地方および中央の「政府」がその実施主体となる。いわば土木とは本質的に「政治的」な営為なのだ。
そして土木は社会基盤の各種インフラに関わる「計画・設計・施工・管理・運用」に分類されるが、土木「工学」はこれら5つの営為全体を支援する工学だ。これらの内設計・施工は政治との直接的関係は相対的に希薄であり、管理・運用についても政治との直接的関わりは限定的だが、「計画」と政治は濃密に関連する。土木の営為の「計画」は基本的に全て広義の「政治」的営為に包摂されるものだ。
かくして土木工学において「計画」を担うサブ領域「土木計画学」は「政治」をサポートする「工学」たらねばならないのだ。したがって構造力学や水理学、地盤工学という「工学」の関係者の実践フィールドがトンネルやダム等の施工現場に求められるように、土木計画学という「工学」の関係者の実践フィールドは、国会や官邸等の「政治の現場」に求められねばならないのである。
2.政治と距離を保とうとする風潮
しかし日本のアカデミズムでは、「政治」との関わりを極力回避することが「マナー」として必要だという風潮が濃密に存在する。
例えば政治学者であってもその現場はあくまで「学会」であって「政治」の現場とは一線を画すことが必要だという風潮がある。かくして土木計画学においても「政治」と直接関わることは回避することが「マナー」なのであって、国土交通省や地方自治体の計画部局等と親密に情報を交換し支援することは推奨されこそすれ忌避されるようなことはない一方で、国会議員や自民党や立憲民主党等の政党、さらには総理大臣や官房長官と親密な関係を構築したり彼らの活動を直接支援したりすることは学者・技術者として避けるのが必要だという風潮が濃密に存在する。
しかしそれはさながら地盤工学者がトンネル工事現場とは一切関わらずに力学論文ばかりを書いたり、交通工学者が道路の渋滞対策現場との関わりを一切絶ち数学的研究ばかりに明け暮れるような話だ。無論そういう学者・技術者がいたとしてもそれ自体は結構なことだが「学者・技術者たるもの例外なくそうせねばならない」なる見解は例えば古市公威初代土木学会長の会長就任演説に示された実践を旨とする土木学会の基本理念を裏切り、土木技術者は「国民および国家の安寧と繁栄、人類の福利とその持続的発展に、知徳をもって貢献」せねばならぬとの土木学会の現倫理綱領に背くものだ。
3.政治学・政治哲学・政治思想を中心とした社会科学研究を「土木工学」として推進すべし
おそらくはこういう風潮が日本そして本学会に存在しているのは、「工学部」関係の会員が多数を占める本学会では「政治の研究の仕方」が不明瞭だという理由が最も大きな理由なのであろう。したがって政治に関わればそれは「研究/実践研究」ではなく「政治運動」と化してしまうリスクがあると共有認識されてしまっているのである。
だからこそこれからの土木工学は政治学や政治思想・哲学を中心とした社会科学研究を深化していくことが必要である。
そうした基礎研究や基本哲学があればどれだけ政治家や政党に深く関わろうともその実践は単なる「政治運動」(というある種の利益相反活動)と一線を画する「アクションリサーチ」に昇華し得ることとなるのだ。
ところが土木学会はこれまでこうした政治研究やアクションリサーチに十分に手をつけてこなかった。これこそ、「コンクリートから人へ」というスローガンに象徴される土木バッシングが世論に蔓延し、それに基づく政治が徹底的に推進され、今日においても未だに「歩いて暮らせるまちづくり」や「景観まちづくり」等の取り組みが諸外国に比して大きく立ち後れ、地方創生や国土強靱化、防災減災ニューディールを通したデフレ脱却等が遅々として進まない政治環境が継続され続けてきた根本原因なのだ。
土木学会の潜在的なる国家的、国際的貢献は、我々の平均的認識を遙かに凌駕する程に大きい。今我々に求められているのは、その深い自覚とその自覚に基づく研究と実践に相違ないのである。
第212回 論説・オピニオン(2025年1月)