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国際港湾協会の創立者 松本学の気概に学ぶ

篠原正治
依頼論説
国際港湾協会副会長
阪神国際港湾(株)理事

国際港湾協会(International Association of Ports and Harbors: IAPH)は、1955年に創立された、世界の港湾管理者と港湾関係者から構成される団体です。

日本港湾協会会長であった松本学が、神戸市長原口忠次郎と運輸事務次官秋山龍の協力を得て、1952年に神戸に世界の主要港湾関係者を招き、第1回国際港湾会議を開催し、恒久的な港湾関係の国際的組織の設立を決議しました。そして、1955年にロサンゼルスで第2回国際港湾会議を開催し、世界の港湾関係者から賛同を得て、IAPHが正式に創立されました。

IAPH創立者である松本学は東京帝国大学法科大学を経て、1911年に内務省に入省しました。内務省では土木局道路課長、河川課長、港湾課長、庶務課長を歴任しています。1922年に港湾課長として、松本は当時の南満州鉄道の協力を得て、中国の大連で全国港湾会議を開催し、日本港湾協会を設立しました。さらに、1932年の五・一五事件直後に、内務省警保局長(現在の警察庁長官)に就任しました。この任期中に起こった、大阪市内での交差点交通整理における、巡査と軍人とのいざこざに端を発した “ゴーストップ事件” 注)では、軍部に対して一歩も譲らなかったことが、有名な逸話として残っています。戦後は中央警察学校(現在の警察大学校)校長を2年間務めたあと、官職から離れました。そして、1947年に日本港湾協会会長に就任しています。

IAPHを新たに設立する構想に関して、当初は欧米の港湾関係者からは、なかなか賛同を得られませんでした。彼らの主張は、そもそも敗戦国である日本がイニシアティブをとることが受け入れられない、すでにPIANC(国際航路協会)が存在しており、港湾関係の問題に関してはこの場で議論することができる、AAPA(全米港湾管理者協会)がすでに活動しているので、AAPAを拡大して世界の港湾協会とすればよいのではないか、などの反論でした。しかし、松本は、戦後の経済復興を支える世界貿易の発展に必要不可欠な港湾の連帯の重要性を力説して、欧米の港湾管理者を粘り強く説得しました。松本は、先進的な構想力、驚異的な行動力と粘り強い交渉力により、IAPHを設立するという偉業を達成したのです。太平洋戦争の敗戦後、日本がいまだ連合国軍の占領下にあり自国の主権を回復していない時期に、世界の港湾の国際機関を新たに創るという、当時としては無謀とも思える大胆な着想を実現したことは、後進の私達にとっては、奇跡とも思えることです。

近年、土木工学の分野においてもさまざまな国際的な組織の設立や、設計基準などの国際共通化が進展しています。これらの過程において、我が国関係者のリーダーシップの発揮やさらなる積極的な関与を期待したいと思います。

最後に、松本の人となりを知るうえで、興味深い逸話をご紹介します。ロサンゼルスでのIAPH設立総会終了後の主要港湾関係者の会議において、初代のIAPH会長の人選が議題となりました。米国をはじめ、参集したほとんど全ての国の関係者が、当然、松本が初代会長に就任するべきだと強く要請しました。しかし、松本はこれを固辞しました。「創立者の私が、そのまま会長になるよりも、他国から人格、識見ともに優れる港湾人に会長として就任していただく方が、IAPHの今後の発展に大いに寄与すると思う」と述べたのです。そして初代会長をカナダ人に譲り、自分はIAPHの初代事務総長に就任しました。このやり取りを隣で見ていた、台湾の陳氏(IAPH初代副会長)が、松本のこの言動を評して、「以退為進」という中国漢時代の学者揚雄の格言を紹介しました。読み下しすると、「退くを以て、進むと為す。」となります。つまり、「譲歩することによって、結果的には前進し、より多くの利益を得ることとなる。」という意味です。この逸話から、松本の謙虚さに支えられた確固たる信念を窺い知ることができます。偉大なる松本学先輩がIAPHを設立したのは、御年69歳の時です。当時の69歳は、現代では89歳に相当するような年齢であることも驚嘆に値すると思います。我が国の若手及びベテランの土木技術者は松本学の気概を学び、世界で大いに活躍していただきたいと期待しています。

注)大阪市の天六交差点で赤信号を無視した陸軍兵士を巡査が咎めて乱闘になり、その後陸軍と警察・内務省が激しく対立した事件。

第209回 論説・オピニオン(2024年10月)



国内有数の工学系団体である土木学会は、「土木工学の進歩および土木事業の発達ならびに土木技術者の資質向上を図り、もって学術文化の進展と社会の発展に寄与する」ことを目指し、さまざまな活動を展開しています。 http://www.jsce.or.jp/