問題行動が目立つ子どもと信頼関係を築いた体験談
こんにちは!スクールコーチのケンさんです。
突然ですが、上手な会話に導いてもらい気分がよくなった経験はありますか?知らず知らずのうちに会話が継続し、時間を忘れてしまったことはありませんか?
コーチングの学びは体験型が多いので、 そういう心理的な変化を直接感じ取る・気づくということが何度もありました。そして、コーチングを学んでいくうちに「教育界でいう”支援の具体化”とはどういうことなのか」という疑問の答えが徐々に見え始めたのです。
本日は、教育現場でコーチングの支援が実際に役に立った事例から、教育界の”支援の具体化”についてお伝えいたします。子どもとの関わり方で悩んでいる方のヒントになれば嬉しいです!
コミュニケーションの基本を確認
具体例をお伝えする前に「ラポール・傾聴・承認」というスキルをご紹介します。ラポールは日本語で言うと「親和性」ですね。傾聴は話を聴くこと。承認は相手の存在を認めることです。これらはコミュニケーションの基本的なスキル。人と人とのコミュニケーションの前提として、ラポールとよばれる繋がりをまず創ることを念頭に、その為には話をしっかり聴く、そして、相手の存在を肯定的に認めるということです。
特にラポールは、教師になったときに知恵遅れや発達障害の指導の大前提として必要だ、と教えられて知ってはいたのですが、コーチングの世界に入って再学習することになったのです。ということは、恥ずかしながら、若い時にはそのスキルの力・凄さが全然分かっていなかった、ということでもあるのですが・・・。
暴れまわる小学2年生Aくんとの出会い
本日はこの「ラポール」の重要性を知っていただくための事例をご紹介します。
コーチングを学び始めた頃の私は、発達障害と呼ばれる子どもたちの個別サポートをする「通級指導教室」と呼ばれる教室の担当に移っていました。ある日、そこで相談が舞い込みました。
小学校2年生の男子A君が暴れ回っていて校長・教頭・担任がそれまで手を変え品を変え指導しようとしてきたが、いずれもが失敗し手を着けられずメチャメチャ困っている、お手上げだ、というのです。とにかくぜひ見に来てほしいと。
で見に行きました。教室に入ると、ちょうど大暴れしたあとで、「今、掃除用具入れの中に立てこもっています」という状態でした。次の時間は体育でしたので、体育館へ行くと全員が準備運動をしているのにA君は1人で走り回り、体育倉庫に飛び込んでボールを蹴ったりしています。担任はもうお手上げなのと私に実態を見てほしいということもあり、やりたいようにやらせていたので、ある意味じっくりと観察はできました。
私の第一所見は「尖っているなー」というものでした。なんでもかんでも否定されるので、ちょっとしたことでも「打ち返してやるー!」です。人間、本気で暴れると、たかが7才でもすごいパワーなんですね。担任は女性でしたので押さえきれませんでした。
その後担任に話を聞くと、A君だけでなく、お母さんとの関係でも困っていました。学校はお母さんに協力を願っていましたが、「うちではいい子です、ピアノも引けるし、力もあります。なんでうちの子だけ白い目でみられるのか・・・」といった感じで、ここでもうまくいっていませんでした。
特に管理職との関係は最悪でした。というのは、学校側は「やってはいけないことは見逃すわけにはいかない、しっかりと指導すべき」というスタンスだったのです。ですので、子どもに対する両者の認識にはかなり隔たりがありました。・・ということで、色々な手続きを経て、私と関わることになったのです。
A君親子と信頼関係を築く
お母さんもA君も初めは私に対しても「敵の一味だな」という雰囲気でした。ただ、私はA君とお母さんの様子を観察したり状況報告を聴いたりしているうちに、A君親子が「孤立」している姿がなんとなく浮かんでいました。A君・お母さん側と担任・管理職側との間に大きな溝ができてしまっていて、双方の思いはおそらく通じ合っていないだろうなーと、そういうイメージです。
そこで、通常では保護者と子どもとは分けて対応するのが普通なのですが、A君の場合はお母さんと一緒に関わるようにしました。ここはとにかく私とこの親子との関係作り、コーチングでいうところのラポール形成にまずは取り組む、ということにしたのです。
週に1回で90分です。そして、その90分はA君とお母さんと一緒に遊んだり話したりする時間として設定しました。3人一緒に活動するのです。何か特別な指導をする、というスタンスはとらずに、とにかくなんでもいいから、3人で遊び話すのです。とは言ってもやはり、話しのテーマは次第にA君のこと、A君の学校のこと、A君の生い立ち等々に関わる話が多くなりますが。
ここである傾向に気づくことになりました。それは、お母さんがとめどもなく話を続けることがたびたびあった、ということです。もちろんA君も一緒なのですが、A君の存在を忘れるほど話が止まらないのです。すると今度は教室にいるA君は、私のサポート無しに、自分で遊びを選んだり、自習課題に取り組んだりするようになりはじめたのです。お母さんが落ち着くと子どもも落ち着くのです。これはとても驚きました。
また、ある時は、お母さんが思いを文章で書いてもってくることもありました。連絡帳と呼ばれるノートに3~4ページに渡る学校からうけた「指導」について連綿と書いてくるのです。そんなときは、お母さんとA君の2人で遊んだり勉強したりしてもらいながら、そこにじっくりと「お返事」を書きました。すると、次回の通級の日には、そのまた「お返事」がたっぷりと書かれてくるのです。
ぴたりと止んだ問題行動とクレームの手紙
こういった関係が約1カ月ぐらい続いた頃です。週に1回ですから4回目ぐらいです。在籍校から連絡がはいりました。校長が「子どもの問題行動がぴたりと止まった。どうしてだ。」と。「何か家庭の事情に変化があったのか?」とも言われました。
「教室で暴れ回る、体育館で走り回る、教室から逃げるなどの行為がぴたりと止まった。学校としてもいろいろと智恵を絞って頑張ってきたんだぞ。」というのです。また、それまで何度も学校からの働きかけを拒否していたお母さんが、校長室で担任と管理職との話し合いにも応じるようになった、というのです。長々としたクレームの手紙もなくなったと。
支援の具体化とは、こういうことだったんですね。コーチングを学ぶ前から、「ラポール」も話を「聴く」ことも相手を「認める・承認する」ことも、それなりには大事だ、という程度の認識はあったと思います。でもそれは、単に一般的に「そういうのは大切だよね」というレベルでしかなかったと思います。
でも、そこを意識し最優先する認識はありませんでした。なので「徹底さ」が貫けないのです。ところが、コーチングでは「まずそこが大前提」として学びます。正直、はじめは知識レベルでの理解でしかありませんでしたが、コーチングを学んだときにそれらのスキルの認識は深まっていたのだと思います。
信頼関係に重きを置くコーチングの大切さ
今までコーチングの「凄さ」を全然分かっていませんでした。3人で活動する、会話を続ける、お母さんの話を聴く、子どもの話を聴く、お母さんを認める、子どもの活動を認める、こういった「指導らしくない」ことに当時はなかなか着目できなかったのでした。
この事例に関わる心理的・認識論的「理由」というのはまた後に気づくことになるのですが、それはまた別の機会にお話しますね。まずは「こんな変化」がコーチングの学びとの関係で起きた、ということを紹介しました。
また、同時に、コーチングを学ぶ以前の多くの教育実践の中身についても、コーチングから見たら、こんな「意味あることを実践していたのか」「こんなことで失敗していたのか」と過去の実践の価値や意味を再認識することにも繋がります。これも本日お伝えしたいポイントです。