385. 世の流れと一致しない自分の居心地
普段の日常生活においてまわりの人から受ける影響は大きいわけで。
その影響は知らず知らずに積み重なって自分の無意識に組み込まれるわけで。
逆にいうと『刺激がない』という影響を受ければ受けるほど、『刺激がない』という層が積み重なり変化を求めない無意識が組み立てられるわけで。
良い刺激を受ける環境が知らず知らずに完成されている人というのは、そうじゃない人に比べて2倍も3倍も良い影響がちりつもになっていく・・・
そういった恵まれた環境のなかで自分は成長してきたんだと自覚していない人が多い中で
「え?これって普通じゃないの?」
なんて答えが返ってくると、正直内心「はっ?」
と思ってしまうことがよくある。
この人良い刺激の中で生きてんな・・・
と感じる人を見つけることが多い。
見つけてしまうとなんだかどっか羨ましさからなのか、脳裏に引っ付いてしまう。
どうしたらその良い環境に辿り着けるのですか?
と聞いて
「過去にこういうこと頑張ってきたからかな・・・」
と言われると、あーまだまだ自分は努力不足なんだなーと思えるのだが
「えーなんか気が付いたらそうなってた!」
と言われると
「( ゚Д゚)ハァ?」
と猫ミーム並みのイラつき感情が芽生えてしまう。
そしてまた運ってものが嫌いになり
「運も実力の内だ」なんて言われるとさらに嫌いになる。
運ってものは代々ご先祖様の功労が次世代に繋がっていっている・・・
なんて聞いたこともあるのだが・・・
もうちょっと頑張ってくれよと思ったり。
自分が今頑張っても結局次世代にしか伝わんねえのかな・・・
と思ったり。
まあでも少しでも自分の人生が前向きに動いてほしくて、自分のための努力は惜しまずこれからもやっていくんだろうけども・・・と。
世の中、声を大にして目立っていたりする常識ってものが、どうも運の良い側のひとたちで出来上がってしまっているので、同じ目線で見ることが出来ない。
なんだか置いていかれている感覚というか、その話に必死でついて行けば行くほど地に足が付かなくなっていくというか。
必然的に自分にとっての居心地の良さを求めたり、自分の等身大の目線で進めていこいうとするとやはり世の流れ、中心、常識からは離れていく。
それを自信もって実行できればいいが、やはりふと孤独感を感じ自信が持てず、何に対してもやる気が出ない時が来る。
世の中心 ✖ 自分の居心地の良さ
このバランスがほんっっっとうに難しい。
世の中心のベクトルと
自分の居心地の良さのベクトルが同じ向きの人はほんと生きやすくていいよな・・・と。
というかきっと大半は同じ向きなんだろうな・・・と。
反比例する自分にとってはものすごく生きづらさを感じる。
まさに二律背反。
どっちにも振り切ることが出来ず右往左往する日々。
結果『無難』とか『安定』とか目立たない位置に落ち着き、不完全燃焼で終わる。
不完全燃焼で終わる度に、こんなんで良いんかな・・・と後悔の念が入り込む。
周りから年相応の人生ステップとか、世の中心、常識の流れに乗っかている話を聞くと、なんでこんな生きづれえのかな。
もうちょっとなんかの力がサポートしてくれよ・・・
と願いたくなる。
五月病真っ只中に上手いこと生きらんねぇな・・・と嘆く。