考えて、考え抜いて、答えを出す。亀井雄大、ヒーローの信念。【ライダーインタビュー #1】
亀井雄大。現在27歳、YOSHIMURA SUZUKI RIDEWINから全日本ロードレースJSB1000クラスへ参戦中だ。アマチュアチームからプロライダーへ、誰もが驚いたそのニュースを見た時のことを、今でも覚えている。
ーー バイクに乗り始めたきっかけを教えてください。
最初は親に無理やり・・・いや、騙されてサーキットに連れて行かれたのがきっかけでした。
ポケットバイクに乗らせようと思ったらしいんですけど、その時は大泣きしてなかなか乗らなかったらしいです。
しっかり乗り始めたのは小学2年生になる直前なので、7歳の終わりですかね?
なにも知らされずにとあるチームのバイク講習会というか、体験教室に連れて行かれ、バイクに乗ることになりました。
ーー あんまり良い思い出じゃなさそうですね、
その時はもう腰も痛いし、コースは簡単だし、本当に早くやめたくて。
相当嫌な顔をしていたのか、最後の方は父に「全力ダッシュの自分に追いついたら終わりにしていい」って言ってもらえて、やっと終わりにできました。
父もミニバイクでレースをしていたんですよね。
中学生くらいまでは、親に練習行くよ!と言われるからサーキットに行く、という感じで、それ以外の時間は自分でバイクに乗ることを考えたりしませんでした。
親にやらされてるといったら違いますけど、その時は自分の意思で乗っていた、とも言えないですね。
ーー そうなんですね。明確に、自分の意思で乗ると決めた瞬間があったのでしょうか?
実は僕、一回レースをやめているんです。高校2年生の時に。
人生で初めてバイクから離れてみて、初めて自分はバイクが、レースが好きなんだと自覚した時が、自分の意思で乗ると決めた瞬間でした。
「悔しかった、羨ましかった、もっとできると思ったし、
自分が燃え尽きていないのが分かった。」
ーー レースをやめていたことがあったんですね。
そうですね。一度目の引退です。
やめた理由の大部分は金銭的な事情でした。両親とも話して、これって目標もなく続けて良いような金額じゃないよねって。
(当時の)チームの方のご好意もあって、自分は比較的安くレースをできていた方だと思いますけど、長くなあなあにレースをしていても意味がないと思ったんです。
なので最後の年はもうスポット参戦*にして、成績は割と良かったけどスパッとやめました。
そのあとは「子供好きだから保育士の学校行こう」とか、「工業系の大学行って家業を継ごう」とか、バイクとは関係ない進路を考えていました。
ーー そうなんですね。高3の時はどんな学生生活だったんですか?
成績が低かったので、受験のために成績を上げようと必死でしたよ。
自分の頭は完全にバイクから切り替えていたので。
ーー でも、バイクの世界に戻った。
そうですね。レースはもう仕方がないと思っていたけど、、、
当時同年代の他のライダーがレースに出てどんどん結果を残しているのをみて、羨ましく思う自分に気づいたんです。
それをみながら悔しかったし、羨ましかったし、自分でもっと出来たなと思うところもあったし。
頭で思うほど、切り替えられてなかったんですよね。燃え尽きてなかったんだと思います。
ーー なるほど。いちファンとしては、よくレースの世界に戻ってきてくれた!という感じです。
その後鈴鹿製作所で働きながら鈴レー(鈴鹿レーシング)に所属出来たことは、本当に奇跡だって言えると思いますね。
当時一応所属していた18garageの監督と鈴レーの部長が知り合いで、外部の人が多い数レーを完全な社内チームにしたいという話が部内であがっていることをを知りました。
それがちょうど自分がレースに対する想いを再確認したタイミングで、しかも普段関東圏に求人の出ない鈴鹿製作所の求人が自分の偏差値低めな(本人談)高校まで来たんです。
そうやって色々な奇跡が重なって、鈴レーでまたレースの世界に戻ることになりました。
先輩ライダーが同じ方法で鈴鹿製作所に行こうとしていたけど、途中でうまくいかなかった話も聞いていたので、上手くいった自分は異例中の異例だなと思います。
ーー 一度レースをやめてこの世界に戻ってくる人って、どのくらいいるのでしょうか?
ほとんどいないと思いますよ。
みんな、高校に上がるタイミングだったり、高校を卒業するタイミングでやめてしまうことが多いです。
でも鈴レーには僕みたいに一度レースをやめたライダーも多いですね、田所とか杉山*とか。
日浦さん*も引退のタイミングでチームを変えて鈴レーに入ってますし、社内チームって、色々制約はありますけど悪いことばかりじゃないです。
自分や他のライダーみたいに、レースができないって諦めている人にとっては良い環境だと思います。
僕は、鈴レーを見つけられて、かつチームのレベルも高かった。それも奇跡の1つですね。
ーー 1年ぶりにバイクに乗ったとき、どうでしたか?
楽しかったですよ。
自分のお金で練習に行って、本当の意味で自分の意思でバイクに乗り始めたのがこのタイミングだと思います。
1年間離れていたからこそ、自分はバイクが本当に好きだったんだって自覚することができました。
両親も自分が鈴レーでバイクに乗るっていった時は「良い話をもらったね」って応援してくれてましたし、ハードルといえば、、、体作りくらいでしたね。
「信念は?と聞かれたら考え尽くすこと、って答えるかもしれない。」
ーー なるほど。亀井部長の誕生秘話とも言えるエピソードでした。
ーー 子供の時はどういう子って言われてましたか?
割と集中力があったみたいです。気になったり、一度ハマったことはずっとやっていたみたいで。
自分、2歳くらいで自転車に乗れるようになったんですよ、補助輪なしで。
ーー 補助輪なし?2歳で?
そうです。足で進むやつじゃなくて、本当に自転車。
しかも、練習も親に手伝ってもらったわけじゃなくて。
親が仕事に行っている間に、実家の前の長い坂を自分で自転車を押して上って、一人で自転車に乗って降りる練習をしていたらしいです。
他にも、自分が3歳で、熱のせいで一人で家にいた時に、寂しかったのか小田原厚木道路の側道を自転車に乗ってお姉ちゃんの小学校まで、、、
最終的に誰かに通報されて、警察に回収され実家に連れ戻されました。
我ながら好奇心旺盛で、行動力がありますよね。負けず嫌いで、集中力も高い。
ーー いや、2歳と3歳ですよね、、そんな言葉の枠には収まらない気がしますが、、
なんかもうやりたいと思ったらひたすら行動するっていう感じなんです。
今も気になることについては考えて考えて、1つの問題に5個も6個も解決策を出して、考え尽くしてから自分の中で答えを持つんです。
バイクのことだけじゃないけど、気になったことは放っておけなくて。
逆に興味がないことはすぐ忘れちゃいますけど。
ーー 確かに、考え尽くす、というのは亀井さんを表す重要なキーワードな気がします。
バイクに乗る上での信念は?と聞かれたら、考え尽くす、と答えるかもしれないですね。
何かについて自分で答えを出すプロセスの中に、絶対それがあります。
例えば、なんでタイム出ないんだろう?という疑問に対して、風が強かったからか〜で、満足しないんです。
もちろん環境のせいという時もあるけど、まずは自分で原因についてしっかり考えます。
ーー なるほど、亀井選手といえばセッティングにこだわりがある、というイメージを持つファンの方も多いと思いますが、その原点はそういった信念かもしれませんね。
ーー 最後に、今後の意気込みとファンの方へメッセージをお願いします。
優勝。自分は常にそれしか狙ってないです。
そのために全力で頑張ります。
皆さんの声援が力になるので、たくさんの応援をよろしくお願いします!
ーー ありがとうございました!
(取材日:2023年6月27日)
ヘッダー写真提供@YOSHIMURA SUZUKI RIDEWIN
亀井雄大|Yudai Kamei
1996年生まれ、神奈川県出身。2023年度はYOSHIMURA SUZUKI RIDE WINより全日本ロードレース選手権JSB1000クラスに参戦。
X(旧ツイッター):@yuudaikamei16
インスタグラム:@marukame_motor_bike
https://twitter.com/yuudaikamei16?s=20
*スポット参戦:シーズンの中で全レースに出場せず、決まったレースにのみ参加すること
**田所隼、杉山優輝。どちらも鈴鹿レーシング所属
***日浦大治郎 元鈴鹿レーシング所属。2023年度シーズンは全日本スーパーモトに参戦した。
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