第二十三章 暴発! リボルバー たった一人の殴り込み(中編)
この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。
赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー
―名古屋―
「マリ?何だそんな物騒なもの持って。早くしまえよ」
男は落ち着いたドスの効いた声で言った。
「急いでいるんだ。早く出せ」
「おい、若いの。金が欲しけりゃくれてやるぜ」
「金なんか欲しくて来たんじゃねぇ。マリを連れに来たんだ。早く出せこの野郎。早くしねえとぶち抜くぞ」
男のこめかみに銃口を突きつけた。
男はまだ落ち着いていた。
「まぁ、座れ。弾はいくつ入ってんだ。五発か?六発か?六発だったら六人撃たれても七人目でたたっ切りゃいいんだよ。ええ、そうだろ」
「やれるもんならやってみろ。その前にてめえの頭ぶっ飛ぶぞ」
浜やんは、そう言って男を睨みつけた。二人の視線がぶつかり沈黙が続いた。
浜やんの気迫に押されたのか、男が先に視線をはずした。その瞬間、勝ったと思った。
男は脇に座っていた女将に
「マリを連れて来い」
と言った。女将が部屋を出て行った。
しばらくするとギィ…ギィ…と廊下の軋む音が響いて来た。その音がだんだん大きくなってくる。浜やんは男に銃口を向けながら後ろに廻り込み、廊下の方を見た。
―マリだ!
障子の向こう側からマリが現れた。無事だったのだ。マリはくすんだ赤茶色の着物を着て心なしかやつれた表情をしていた。
浜やんを見ると一瞬驚いて息を飲み込んだ。
「用はまだ他にあるのか、若造」
「用なんかねえや、てめえには」
浜やんは銃口を男に向けながらマリに近づき、耳打ちした。
「マリ、公園の前にタクシーが待っているから。店を出るまでは俺から離れるな」
頷いたマリが浜やんの脇について廊下に出た。
「玄関まで付き合ってもらおうじゃねえか」
浜やんは男の背中に銃口を突きつけ、廊下を歩き始めた。
ある部屋の前でマリが
「ちょっと待ってて」
と言って、部屋に入りハンドバッグを抱えて来た。マリが自分の側に戻ると浜やんは男に銃口を突きつけ、後ろから襲われないよう確認しながらながら、ゆっくりと階段を下りて行った。その状態で玄関を出た。急いで逃げようと思い、人質の男を放した。
その時だ。後ろから、パン、パン、と乾いた銃声がした。
その瞬間、足がもつれて転倒してしまった。鈍い衝撃が左足を襲った。敵の銃弾が左足の膝のあたりをかすめたのだ。彼は転倒したまま後ろを振り向き、銃口を向けた。
だが、敵は店内に隠れてしまったのか姿がない。その隙を見て、彼は一目散に逃げ出した。最初の路地の角を曲がろうとした時、もう一度、後ろを振り返った。男たちが店の前に出ていた。
―ヤバイ!追って来るぞ…
路地を夢中で走り、公園にたどり着いた。マリは一足先にタクシーに乗った。浜やんは追っ手を警戒しながら、座席に飛び乗った。マリと浜やんを乗せたタクシーが猛発進した。
二人はしばらくの間無言のまま追っ手の車がいないかどうか、しきりに後ろを振り返った。タクシーが路地をぐるぐる回り、広い湾岸道路に出た。どうやら車では追ってこないことがわかると大きくため息をつき、顔を見合わせた。
「丈二、ありがとう…来てくれたんだ」
「ああ、予定よりちょっと遅れたけどな。それより悪かったな、こんな目に合わせて」
緊張が少し解けたせいか、撃たれた左足の痛みが急に襲って来た。痛みに加え、左足が鉛のように重い。浜やんのズボンが破れ、左足の膝の上の部分からどす黒い血が流れている。血は足を伝わって靴の中に流れ込んでいた。
マリがびっくりして、顔をしかめた。
「どうしたのそれ、ちょっと見せてよ」
「撃たれたらしいや。でも弾は貫通していねぇ。かすめただけだ」
「病院に行った方がいいよ」
「いや。大丈夫だ。今は足跡を残さねえ方がいい」
「でも血だけは止めた方がいいよ」
マリはそう言うなり、持っていた白いハンカチを彼の傷の部分にあてがった。白いハンカチがあっという間に血で染まった。
タクシーは夜道をひた走った。いつの間にか県境を越え、浜松市内に入っていた。
―ここまで来れば、大丈夫だろう。
追っ手がいないのを再確認し、二人はある旅館の近くでタクシーを降りた。
びっこを引きながら、マリに支えられて旅館へ入っていくと女将が心配そうに声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。あら、足、どうしたんですか」
「いや、ちょっと転んで擦りむいちゃったんだ」
部屋に落ち着くとマリが帳場から薬をもらって来た。浜やんはズボンを脱いで傷口をあらわにした。皮がはがれ、血がべっとりとまつわりついている。マリはその血をガーゼで拭い、左足を支えた。
「ちょっとしみるけど我慢して」
そういうなり、傷口に赤チンを垂らし始めた。
「うわぁ、痛ぇ」
飛び上がりたい程の痛みに浜やんは歯を食いしばって耐えた。その傷口にマリは軟膏を塗り、包帯でぐるぐる巻きにした。痛みはひどいものの、幸い弾をかすめただけだったので自分の傷はたいしたことはない。むしろマリのことが心配だった。
「マリ、俺のことより、体、大丈夫かよ。もっと早くこようと思ったんだけどよ。道具がなかなか手に入らなくて、悪いけど時間がかかっちゃったんだよ」
「私、来ないんじゃないかって…いや、そう思ったこともあったけど、やっぱり絶対来てくれるって…」
唇を震わせ、マリが泣き出した。
浜やんが抱き寄せた。
「さっき店にいる時、何か大きな音がして、変な奴が来たっ!って誰かが叫んだのよ。とっさに丈二だ!って思ったんだ。そしたら女将さんが呼びに来て…好きじゃなきゃ出来ないことだよ、こんなこと。ヘタしたら殺されちゃうもん。あんたは凄いよ」
白粉の匂いがプーンと鼻についた。厚化粧のマリの顔が気のせいか少しやつれて見えた。マリは他の仲間のことが気になっていた。
「ちかちゃんなんかは、どうしたの」
「帰ったよ、横浜から…。ちか子はマリのこと最後まで心配していたんだけど。俺、いいから行けって言った…」
「虎さんも…」
「ああ…あいつには俺と一緒にマリを助け出すの手伝って欲しかったんだけどな。いざとなりゃ呆気ねぇもんだよ。俺、そんなもんかって、ちょっと淋しかったけどな。でも、よく考えてみりゃ、あいつも相当追いつめられていたしな」
「友達っていっても人それぞれだよね」
「本当、その通りだ」
「今になってみれば、俺たちの旅は何だったんだって思うよな。独立記念日もやってやれなかったし…マリにもこんな目に合わせちゃうし…もっとも言い出しっぺの俺がいちばん悪いんだけどよ」
二人の間に重苦しい沈黙が流れた。
突然、廊下から
「失礼します」
という声が聞こえ、仲居が部屋に入って来た。
「お風呂の用意が出来ました」
「ありがとう」
風呂は部屋ごとに貸し切る家族風呂だという。浜やんがマリに風呂を勧めた。
「マリ、先に入って少しゆっくりしろよ」
「いいよ。私は」
「駄目だよ今夜は。少し疲れを取らなきゃ」
浜やんに促されて、マリはしぶしぶ風呂場へ行く用意をし部屋を出た。
久しぶりにマリと一緒に風呂に入りたかった。足に傷はあったが一緒に体だけでも流そうと浜やんはマリの後を追って脱衣所のドアを開けた。
マリが驚き、脱ぎかけていた浴衣で慌てて身体を隠した。一瞬、肩から背中にかけて、無数のアザが見えた。
「どうしたんだマリ。その傷は…ちょっと見せろ」
続き > 第二十三章 暴発! リボルバー たった一人の殴り込み(後編)
―名古屋―
◆単行本(四六判)
◆amazon・電子書籍
◆作詞・作曲・歌っています。
参考文献
兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社
木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社
木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社
澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋
清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店
新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社
菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社
『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社
※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博 三一書房(平成5年6月)
名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会
日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社
日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社
広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社
※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)
毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社
松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂
森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版
山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋
吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版
渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店
大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル
※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。