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第五章 東海一の夢幻郷 落ち合う先は交番前だ!

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―名古屋・名楽園―

 キャプテン・浜やんの号令一下、次の日、四人は東海道本線の急行「雲仙」で名古屋に引き返した。
名古屋駅近くにその夢幻郷はあった。名楽園―旧中村遊郭が名を変えた、東海一の歓楽街である。極彩色のネオンサインが煌めき、夜の闇をはじき返すような女たちの呼び声や嬌声が赤線街の通りにこだましている。
アールデコ調のサロンから純和風の豪華サロン、そして木造二階建ての簡素な店まで、様々な特殊飲食店がところ狭しと軒を並べていた。

 ♪さぁさ いりやせ名楽園へ

  さとの娘は恋心

  あつい情けになびこうぢゃないか

  ハー様を迎えて新内きけばヨ

  ジャズがじゃまして夜が更ける

  ナモ ナモ ナモ ソーダナモ

 『名楽園音頭』という唄にも歌われた色街情緒溢れる遊びの里だ。
旧中村遊郭は汎太平洋平和博覧会が名古屋で開催され、国鉄名古屋駅が出来た昭和十二年に最も賑わった。娼家百三十軒、娼婦約二千人を数え、設備やサービスの内容は日本一とまでいわれた。人気の秘密は娼婦が一晩に何人もの客をとる『廻し』をやめ、登楼から帰楼まで、一対一でもてなした為である。

 娼婦は東北や北陸の寒村出身者が多く、前借り制度で店に抱えられていた。娼婦たちは娼家専属のスカウトマンや周旋屋によって売買され、周旋屋は利ザヤを荒稼ぎしていた。
 その旧中村遊郭が名楽園になった。かつての最盛期に比べ、店も女たちの数も三分の一程度に減っていたが、それでも東海一の名は欲しいままにしていた。
 街にはもぐりの業者や街娼が増え、名古屋駅周辺の太閤通りなどに群がっていた。
キャバレーの女給やダンサーなどのセミ・プロが入り交じり、特殊飲食店に指定されない飲み屋や旅館でも女を置いて、もぐりの売春を盛んに行っていた。

 赤線街の一角にある通りをタクシーがゆっくりと走っている。乗っているのは浜やんと虎之介である。狙う店は浜やんが昼間のうちに下見して、既に決めてある。京都の失敗を生かし、今度は浜やんが一人で下見をした。決行前にその店を虎之介に教える為、やって来たのだ。

「もうすぐだ、虎。いいか」

 目指す店にさしかかろうとした時、浜やんが運転手に気づかれないよう、虎之介の袖を引き、目で合図をした。店の看板には『紅バラ』と書いてあった。入口には見たところ三十過ぎの女が立っている。女は通りを歩いている男たちのほうに視線を投げかけ、タクシーに乗っている浜やんたちには気づいていない。

 隣の店は京都で見たような格式の高そうな大きな店だったが、『紅バラ』は木造でこぢんまりとしているものの、さびれた雰囲気ではない。小綺麗な店だ。狙うにはちょうど良さそうだ。
 場所を確認した二人はタクシーを乗り継ぎマリたちの待つ、名古屋駅近くの旅館に引き返した。

「あそこなら人通りも多いし、店から連れ出すにしても逆に目立たねえよ。タクシーもよく通るし、逃げるのにちょうどいいじゃんか」

「そうだな。あまりでかい店じゃ用心棒も大勢いるだろうしな」

「今度は大丈夫だな」

「おう、大丈夫だ。だんだん様子がわかってきたから。いくら俺だってよ、勝手がわかんないとなぁ」

「よし、頼むぜ」

「だけど浜よ、おめえ先に行くんだろ。俺は後でいいんだよな。〝救助船〟で…」

「心配するな。逃げる手順はマリたちともう一回確認し合うから」

 口では大丈夫と言っているが虎之介はまだ及び腰のようだ。晩飯後、浜やんは皆に喝を入れる為、恒例のオールスタッフ・ミーティングを開いた。

「マリ、ちか子、明日やるからな」

「本当? なんか胸がドキドキしてきちゃう。大丈夫よね」

「お店に行ったらどうすればいいの?」

「女将に何か聞かれても余計なことを言わないで、普通にしてりゃいいんだよ。交渉がまとまったら、後は店の姉さんたちの言うこと聞いてさ。すぐ助けに行くんだから。よぉく時計を見ていて。早く風呂に入って…」

「エッ、お風呂?」

「いや、客と入るんじゃなくて、店が始まる前に姉さんたちは近くの銭湯に行くから。早めに風呂に入って、いつでもずらかれるように用意していてくれよ。一人がノロノロしてると予定が全部狂っちゃうから」

「絶対、助けに来てくれるんでしょうね」

「それは大丈夫。何度も言うけど救助船が遅れることはない。なぁ、虎」

「う、うん。遅れないけど…いつ頃行けばいいんだ?」

 女たちよりもむしろ〝救助船〟のほうが心配だ。浜やんは虎之介に逃げる手順を念押しした。

「いいか、虎。店に行ったら、必ずマリを指名してくれ。そして、ショートの『遊び』じゃなく、『泊まり』で頼むよ。普通『泊まり』は遅い時間から設定してるはずだけど、早く行ってもその分の料金を余分に払えば泊まれるからよ。たぶん二千五百円前後だよ。この金使ってくれ」

 浜やんがポケットから五千円を出し、虎之介に渡した。

「虎、それからもう一つ。連れ出す時はおまえが直接、女将に掛け合ってくれ。その時にちか子も一緒に連れ出すんだ」

「おう、わかった」

 『泊まり』にするのは店側を安心させる為である。泊まり客の店の出入りはわりと自由が利く。『泊まり』にしておかなければ一発で女将に見破られる可能性が高いのだ。

「虎、ほんとに大丈夫だな」 

「ああ、浜、俺も腹をくくったぜ」

「そうこなくちゃなぁ、頼むよ、やくざのインターン」

 段取りはだいたい決まった。虎之介も今度はやる気になっているようだ。残る問題はただ一つ。逃げて来て全員が落ち合う場所だ。

「いちばん肝心なことを決めなくちゃいけない。逃げる時の集合場所を何処にするかだ」

 ちか子が浜やんに尋ねた。

「駅でしょ、電車で逃げるんだから」

「ああ、駅は駅でも待合室じゃなくて、より安全な場所にしたい」

「どこよ?」

「駅前に交番がある。そこにしよう」

「何だって、交番かよ」

「交番?」

 虎之介を始め、ちか子たちもびっくりしている。だが、浜やんは冷静そのものだ。

「そうだ。交番なら安心じゃねえか。万が一追っ手が来ても、とりあえず身の安全は確保されるからな」

 落ち合う場所を駅前交番の脇にすることは浜やんの秘策中の秘策だった。自分たちの犯罪を警察官に守ってもらうのだ。既に名古屋駅に着いた時、交番があることは確認している。

 浜やんは追っ手に捕まるくらいなら警察に捕まったほうがいいと思っていた。そのほうが最低限、身の安全は保てる。仮に駅で追っ手に捕まっても店側は警察に突き出すはずがない。店の内情などを聞かれて、逆にお縄になることは避けたい筈だ。

「浜、おめえ頭がいいな。恐れ入ったよ」

 虎之介はしきりに感心していた。
浜やんはバックから時刻表を取り出した。
東海道本線のページをめくるとちょうどいい電車があった。名古屋発十九時十分、長崎行きの下り急行『雲仙』である。停車駅を目で追うと京都、大阪を経て、兵庫県の明石から山陽本線に入る。その後、関門トンネルを渡って九州に入り、小倉、博多と停車する。これなら出来るだけ遠くへ逃げられる。

 ―一気に博多まで逃げてもいい。

用意万端、手はずは整った。

続き > 第六章 女将と対決!ピンチをちか子が救った(前編)
―名古屋―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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