第九章 店の主人が…「もっとおなごを集めんか」(前編)
この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。
赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー
―博多―
次の日、浜やんはマリやちか子を旅館に残し、一人で街に出た。すっかり日が暮れていた。タクシーを拾って港の方に行き、狙う店を物色していると、「白鳥」という店の前に若い女が立っていた。
「白鳥」はこぢんまりとした和風の店だ。女は浜やんに気がつくと色っぽい仕草を見せた。女はマリたちと同じくらいの年格好である。
「ねぇ、おいでない」
「遊びたいのはやまやまなんだけどよ、女将さんいるの?」
「女将さん?今ちょっといないよ。さっき買い物に行くって言っていたから。でも一時間ぐらいで帰って来るよ」
「あっ、そう。別に急用じゃないんだ、俺。ちょっと時間で上がっていくかな」
「あら、泊まっていかないの。まぁ、どうぞ」
帳場には女将の代わりに年配の女が座っていた。浜やんは千円を払い、女に案内されるまま、一階の奥まった部屋に入って行った。部屋には豪華な絹布団がたたんであった。三面鏡とタンスが隅に置かれていた。どれも女郎部屋には不似合いな高価なものが並んでいて、部屋全体が綺麗に整頓されていた。
鏡台には愛くるしいセルロイド人形が飾ってあった。その人形に見とれていると
「その人形可愛いでしょ。着ている洋服、私が作ったのよ」と女が自慢げに言った。
「へぇ、器用なんだ。それにしても綺麗な部屋だな」
「ありがとう。でもお客さんあまり見とれていると時間なくなっちゃうよ」
「俺、やるの目的じゃねえんだ」
「あら、床付けないでいいの」
「ああ、それよりラーメンでも食いにいかねえか。外へ」
「いいけど…」
女は一瞬、けげんな顔をしたが
「実は私もお腹ぺこぺこなの」と笑った。
女は帳場にいたおばさんに外出することを告げると
「さぁ、行きましょう」
と言って、浜やんの手を握った。二人は店から少し離れた食堂に入り、ビールとラーメンを頼んだ。
浜やんのコップにビールを注ぎながら、女が不思議な顔をした。
「お客さん、店に来て何もしないなんて、変わっているわね」
「いや、実は相談があってよ。あんたと同じぐらいの年かなぁ、俺、女のコ連れているんだ。昔、俺と同じ鉄工所で働いていた娘なんだけど」
「昔って、お客さんもそんなに年とってないじゃない」
「アッハッハ、それもそうだよな。で、その女なんだけど、結婚するには噛み合わねえし、いい働き口がねえかと思って」
「彼女、売っちゃうの」
「売るっていうと聞こえは悪いけどよ。一生働く訳じゃないし、奉公って感じかな。俺に金が出来たらすぐ迎えに来るんだから。一年じゃ、ちょっと早いけどよ。二年後には間違いなく身請け出来るんだ。あんたのお店で働くのどうかな」
「エッ、うちで…」
「そうだ。暇か?今は」
「とんでもない。女のコ三人しかいないから結構忙しいよ」
「女将に言ったら、話にのってくれるかな」
「そりゃのるわよ。女のコ欲しいんだもの。だけど…」
「ちょっと待った。俺のこと鬼だとか邪悪だとか言って、罵るのはやめてくれよ」
「違うわよ。その娘、羨ましいなぁって思って。ちゃんと身請けしてくれる男の人がいてさ。私なんか前借りがまだまだ残ってるし、身請けしてくれる人なんていないし」
意外だった。女は猛反対すると思ったがそうではなかった。例え売られた身でも身請けしてくれる人がいるだけで羨ましいというのだ。
浜やんは、まだあどけなさが残る女の顔をジッと見て不憫に思った。彼女はこれから先も体を売り続け、金に縛り付けられた人生を歩むしかないのだろう。店から逃げる気があるなら、いっそ手伝うかとも思ったが、自分たちのこれから先のことを考えると、それは出来ない。旅はまだ始まったばかりなのだ。
そんなことを考えていると女が店の内情について話し始めた。
「お客さん、さっき私の部屋で高価なタンスとか布団見て驚いていたでしょ。実はあれ、店に借金して買わされるの。服なんかもよ。内緒の話だけど、女将さんがつるんでいる業者がいるのよ。何か買ったら、お金、バックしてもらうらしいの。店は儲かるけど、お陰でこっちは借金が増える一方よ」
「へぇ、そうなんだ」
女の話では月に二、三日の休みで、『遊び』と『泊まり』の客を殆ど毎日のように取り、月の総収入が九万円前後。そのうち六割五分を主人が取り、残りは女の取り分で三万円余りになる。
ところがその三万円余りから、ドレスや下着代、そしてクリーニング代や花代、ちり紙代に至るまで二万円前後が店側に差し引かれ、さらに郷里への送金などを差し引くと女の手元にはわずか四、五千円しか残らないと言う。凄まじいまでの搾取で店側に暴利を貪られているようだ。
話を聞けば聞く程、浜やんは店側に怒りがこみ上げて来た。女将は相当なやり手で、店も相当潤っているはずだ。
浜やんは躊躇なく次のターゲットを「白鳥」に決めた。
翌日の午後、浜やんはマリとちか子を連れて、早速「白鳥」に乗り込んだ。
「それで、いくら必要なの」
女将が浜やんをしげしげと見つめて訊いた。二人は浜やんから余計な口を利かないよう言い含められているので、このやりとりを黙って聞いている。浜やんは名古屋の女将から、女のコの相場は十把一絡げ(じっぱひとからげ)ではない、と教わったので作戦を変えた。先ず、ちか子を指指し、
「こっちの娘は七万。で、こっちの娘はマリっていうんですが十二、三万でどうでしょうか。したがって二人で二十万」
と打診した。
浜やんの要求に女将は呆れ果てている。
「ずいぶん吹っかけるわね。お兄さん、それが相場だと思っているの」
「嫌なら結構です。その金額以下の商売はしたくないんで」
女将が女のコを欲しがっているのを知っている浜やんは強気だ。女将は浜やんがあまりにもきっぱりというので、一瞬、言葉に詰まった。だが、どこの馬の骨かもわからない若造のいいなりにはなっていられない。かといって、女のコは欲しい。女将が愛想笑いを浮かべながら、
「ちょっと待ってて」
と言って、席を立った。
少し経つと恰幅のいい男が女将と一緒に現れた。年の頃は六十才前後で、相手を威圧するような目が特徴だ。人相は悪い。舶来の時計をして、指には大きな金の指輪をはめている。
店の用心棒なのか、経営者なのか素性はわからなかったが、女将の話っぷりから察すると女将の男らしいことだけは確かだ。
「お若い方、話は聞きました」
言葉遣いは丁寧だがダミ声でドスが効いている。
「あんさん、なかなか骨がありそうだ。見たところ口先だけじゃなさそうだし」
「おっしゃる通りで…そう見られるのは光栄の至りです。こう見えても結構修羅場をくぐって来ているんで」
浜やんが言い終わらないうちに主人がうす笑いを浮かべて身を乗り出して来た。
「その男気を見込んで頼みがある」
「…頼みって」
「まぁ、慌てないでお聞きなさい。その前にあんたの本職は?見たところ素人のようだし、こんなヤバイ商売やってたら、うちに出入りしている怖いお兄さんたちが怒るぞ。
あんさんのことを話したら、あんた海に投げ込まれて土左衛門や、だけど条件次第じゃ話さんでやってもええ。その代わりと言っちゃなんだけど、あんさんを見込んで頼みがある」
脅しなのか、信頼されたのか、浜やんが計りかねて、眉をくゆらせたのを男は見逃さず一気に話を詰めて来た。
「もっと女のコを集めて来ないか。大丈夫、怖い人たちには一切内緒にしとくから。つまり、この二人だけじゃなく、今後もいい女のコがいたらうちに売り込みに来なってこと。うちも、もっと女のコが欲しいし、相談にのってやるから」
「だけど巷の噂じゃ、この商売もあと数年じゃないんですか」
浜やん、赤線が数年後に廃止になるのは横浜の娼婦・千秋から聞いていた。
「さすがよく知ってる」
「だったら、女のコを探して来てももういらないんじゃないですか」
「国は今、こういう商売を廃止させる動きになってることは確かや。だけどおなごの仕事に終わりはないんじゃ。この世に男がいる限り、いくらでもある」
「そういうもんですか」
「そうや。まぁ、それはそれとして本題に入ろうか。正直、この娘たち二人で二十万は高すぎる。相場以上だ。二人で十二、三万がいいとこだ。だけどそれじゃ、あんたが納得しないだろうから、又、女のコを連れて来るってことで、一万円上乗せしてやるよ。したがって、全部で十四万。これでどうや?
考え方はもう一つある。あんたの言う通り、仮に二十万払ったとしても怖い人たちへの口止め料として、六万円バックしてもらう。差し引いて十四万。命の補償が六万と考えれば安いもんや。どうや、十四万払うから後にも先にもこれ以上の金額はなしや。それが嫌なら、この話はなかったことにせぇへんか」
続き > 第九章 店の主人が…「もっとおなごを集めんか」(後編)
―博多―
参考文献
兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社
木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社
木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社
澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋
清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店
新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社
菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社
『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社
※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博 三一書房(平成5年6月)
名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会
日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社
日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社
広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社
※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)
毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社
松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂
森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版
山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋
吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版
渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店
大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル
※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。