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第四章 京の色里で ビビったやくざのインターン

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―京都・橋本の赤線街―

 淀川べりに軒を連ねた店が眩いばかりのネオンに浮かび、不夜城のように輝いている。そこだけが別世界のようだ。
江戸時代の遊郭から続く京の色里、橋本の赤線街である。風のまにまに揺れる掛行燈や、女たちを格子越しに見せる『張見世』といった昔の風情は姿を消していたが、栄華を極めた遊郭の名残は豪華な和風造りの店を始め街の随所に残っていた。

 絢爛豪華な色タイルを敷き詰めた和洋折衷のサロンもあれば、店の入口がステンドグラスで飾られ、極彩色に浮き上がっている洒落た造りの店もある。さらにモダンな洋風館やカフェ風のつくりの店もある。

一見したところ、かなり格式が高そうで静かな佇まいだ。

 浜やんはマリとちか子を京都駅近くの旅館に待機させ、京阪本線の電車で虎之介と一緒に橋本の赤線街にやって来た。決行前の敵情視察である。二人一緒では目立つので、それぞれ別れて、下見をすることにした。浜やんが街の通りを流していると通りかかった女が流し目を送り誘ってきた。

「ねぇ、遊んでいかへん。サービス、よろしゅうおまっせ。夜は長いどすえ」

 ついソノ気にさせられそうな京都弁だったが今夜は事情が違う。あまり長い立ち話をして顔を覚えられてはまずいので適当にあしらった。ある店の入口を覗いたが中に女たちの姿はなくシーンと静まり返っていた。それどころか、往来する男たちに、女たちが手招きする光景は殆どない。別の店では婆さんが店先に出て、通りがかりの男をジロジロ見ている。

 一時間程、街のあちこちを歩き、下見を終えた浜やんは赤線街の入口近くにある食堂で虎之介と落ち合った。店内の隅に陣取った二人は声を潜めて下見の報告をし合った。

「おめえの方はどうだった、虎」

「ここは虫が好かねえな」

「なんでよ」

「やめた方がいいよ」

「どうしたんだよ今更」

「他の場所でやろうぜ」

 あれほど張り切っていた虎之介が急にしぼんでいる。

「通りに出ていた婆さんが俺のこと頭のてっぺんからつま先までジロジロ見るんだよ。あれじゃ、つけ入る隙がねえ。ヤバイよ」

「俺だって見られたよ。別に怪しいと思って見ている訳じゃねえだろ」

「だけどよ、どうも雰囲気が違うんだ。店もなんか立派すぎるよ、仕切り直そうぜ」

 虎之介はここはヤバイの一点張りだ。足を小刻みに揺らし、どうも落ち着かない。

いざ実行する段になって、どうやら怖じ気づいたらしい。

 実際、赤線街には格式が高そうな店が並んでいた。金はたっぷりありそうなのだ。狙うには絶好のチャンス…浜やんはそう思ったが相棒が怯んでいる。通りには中程度の店もあった。無理に格式が高そうな店を狙わずにそうした店を狙う手もあったが、救助船がこんな調子では駄目だ。

 ―案外、気が小せぇ野郎だな。

 二人の間に一瞬気まずい空気が流れた。その雰囲気を変えようと浜やんがカウンターで暇そうにしている年配の女主人にビールを頼んだ。コップに注がれたビールを一気に飲み干すと浜やんが女主人に尋ねた。

「この色街は雰囲気あるね。その辺の路地から、花魁が出てきそうだよ」

「ほんまやね。江戸時代の遊郭がずうっと続いているとこやから。戦災にも遭わなかったところやし」

「どうりで、品があると言うか、格があると言うか…」

「新撰組の人たちもちょくちょく通ってきたって言われとりますわ」

「新撰組って、あの近藤勇の?」

「そうどす」

「詳しいね」

「この辺じゃ有名な話や。新撰組は京女の憧れどす。私も土方歳三、大好きやさかい。新撰組の掟知っとります?『武士道に背くまじきこと』っていうのがあるんどす。私闘、脱隊、勝手な金策、これを破ったら切腹や。これ歳三ちゃんが決めたんや。
あたし、勝手な金策っていうのが気に入って家訓にしようと思ってね。そしたら、うちの宿六、『そんなこと決めたら、何回腹切ってもおさまらへん』言うて…大のギャンブル好きなんや、あっはっはっは」

 呆気にとられている浜やんたちに女主人が尋ねた。

「あんさんら、土地の人じゃおまへんやろ。どこから来たんや?」

「ん、愛知から」

浜やんが適当にごまかした。     

「そうどすか。遊びはしてはりました?」

「いや…」

「遊んでいったら、よろしゅうおます。店、紹介しまっせ」

「ありがとう。でも今日はちょっと仕事で、これから京都駅の近くに行かなきゃならないんだ」

「あら残念やなあ。いい娘おますのに…そうそう、ここの遊郭では勤王の志士も遊んではったんや。有名な話や。新撰組と勤王の志士って面白いやろ。よくドンパチ起きなかったと思わへん」

「なんでよ」

「あーら、何も知らんとどすか。片や幕府の治安部隊、片や倒幕の獅子で敵対してたんやす。池田屋事件って有名やろ」

「何よそれ」

「倒幕の計画を練っていた勤王の志士が池田屋っていう旅館に集まっていたんどす。そこへ新撰組が踏み込んでやっつけちゃったんよ」

「なるほど、そうか。そんなもん同士が遊郭でかち合ったら大変か。でも遊郭じゃ、一戦交えるのはアッチのほうだけじゃねえのか」

「はっはっは。あんた、うまいこと言いはりますな」

 女主人は大声で笑いながら、浜やんの肩をポンと叩き、カウンターの方へ戻っていった

虎之介が声を潜めた。

「浜よ、新撰組と勤王の志士じゃ、俺たち下々とはあまりにも世界が違いすぎるよ。伝統があるってことは店の管理もいい加減じゃなく、しっかりしてると思うぜ。ここは一つ、引き下がった方がいいよ」

「うーん、なるほどな」

「だから、やめとこうぜ」

 虎之介は終始仕切り直しを訴えた。こんな調子じゃ、この街ではやれそうにない。虎之介の気分次第では強行してもいいと思っていたが、浜やんもしぶしぶ納得した。

「よし、わかった。おめえがそんなにいうなら、やめよう」

二人はマリたちが待機している京都駅近くの旅館にいったん引き上げることにした。

 旅館のロビーに置かれたジュークボックスから、ザ・プラターズの♪オンリー・ユーが流れている。リズム&ブルースの心地良いリズムに合わせて、マリとちか子が踊るでもなく、体をくねらせていた。旅館に戻った浜やん、しばらくの間その様子を見ているとマリが気づき声をかけてきた。

「お帰り。どうだった」

「お帰りは、いいけどマリ、プラターズかよ、ずいぶん雰囲気がいいじゃねえか。おまえら、いい気なもんだよ」

「だって、音楽でも聞いて気を晴らさないと心配で、滅入っちゃうよね、ちかちゃん」

「そうよ、ジッとしてられないんだもん」

「それもそうだな。ところでマリ、明日の朝向こうに行くから」

「エッ、向こうって何処よ?」

「わかんねえ。風にでも聞いてくれ」

「どうしたの、ヤバイの」

「そんなことはねえ。気が乗らねえだけだ」

 二人の会話を虎之介は気まずい顔をして、黙って聞いていた。

その様子を見たちか子が浜やんに聞いた。

「何かあったんでしょ?」

「いや、見たところ出来そうもないんだよ。そういう時はやめたほうがいいんだ」

「…わかった」

 勇躍乗り込んで来たものの、京都は見事に空振りに終わった。

 ―虎之介を馬鹿にしたがよく考えてみりゃ、慎重になるに越したことはない。最初から一流どころを狙わずに二流どころを狙うのだ。

 浜やんは自分にそう言い聞かせた。

そして部屋に仲間を集め、ミーティングを行った。このミーティング、仲間内ではオールスタッフ・ミーティングと呼ばれていた。虎之介が名付け親だ。虎之介も浜やんも元船員だけに洒落た横文字を好んで使うのだ。

「次は名古屋だ。今度こそやるぞ。進路を東にとる!」

続き > 第五章 東海一の夢幻郷 落ち合う先は交番前だ!(前編)
―名古屋・名楽園―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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