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第六章 女将と対決!ピンチをちか子が救った(後編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―名古屋―

「この娘たちに後で手渡すわぁ。それでいいだろ」

「いや、それは勘弁してもらいてぇ」

「私を信用出来んの」

「そうじゃないんです。実はこの娘たちには俺、身銭を切って相当使っているんで。周旋料は俺に預けることになっているんだ。この娘たちに聞いてもらっても…」

「そう言われてもさぁ。金はこの娘たちにとって、前借料だからさぁ。それで服を買ったり商売やる為に使うんだから、手元になくちゃこの娘たち困るだろ。それともあたしがごまかして、この娘たちに金を渡さないとでも思っとるの」

「いや、そうは思ってないけど…」

「この世界のしきたりに従って、話を進めんといかんね」

「店のルールがあるかもしれねぇけど、俺には俺のルールがある。女のコたちを紹介したのは俺なんだから、俺に金が入らねぇのは納得がいかねぇ」

「あんたも強情っぱりだなぁ。じゃあ、これでどう?女のコ一人一人に六万円、今ここで渡す。その金をあんたが後で回収しようがしまいがあたしの知ったことじゃないわぁ。それでも納得いかん?」

 女将の物言いは、納得しなければ交渉はこれで打ち切るというニュアンスを含んでいた。
 浜やんは一瞬迷った。
 考えてみれば、女のコたちは後で逃げてくるのだ。金が確実にマリたちに手渡されるのさえ確認すれば、後はどうにでもなる。浜やんは考えを変え、それで手を打った。

 女将はいったん席をはずし、むき出しの札束を持って来た。現金六万円がマリとちか子にそれぞれ手渡された。終始、女将のペースに翻弄された浜やんだったが、現金を見た途端、緊張感が急に吹っ飛び、嬉しさがこみ上げて来た。

 ―やった!これで成功だ。

 女将は早速〝仕入れた商品〟に檄を飛ばしている。

「あんたたちには今日から働いてもらうわぁ。あっちにお姉さんがおるから、客あしらいとかいろいろ教えてもらって」

「は、はい」

 マリとちか子が声を合わせ、頼りなげに頷いた。

 マリたちを売り飛ばして、名古屋駅近くの旅館に戻った浜やんは、待機していた〝救助船〟虎之介とのミーティングに入った。

「浜、でかしたぜ。おめえ、やる時にゃやるなぁ。さすがだ」 

 虎之介はマリたちが売れたことに手放しで喜んでいた。だが、浜やんは慎重だ。

「虎よ、そう浮かれるなよ。まだ計画の半分しか成功してないんだから。金も置いて来ちゃったし。後はおまえにかかっているんだ」

「任しておけって」

「何があっても短気は起こすなよ。短気は損気って言うからな。いいか、店に入る時、素人っぽい娘がいいなってリクエストしなよ。それでもマリが出て来なかったら、店に入りたての娘はいないのって聞いちゃってもいいぞ。二人一緒に買っちゃってもな」

「二人一緒になんて、そんなこと出来るのかよ」

「いいじぁねえか。そっちの趣味があるんだって言えば。チップ弾んでよ」

「まぁな。だけど三人一緒に外へ出て来るのがちょっと厄介だな」

 マリたちを外に出す手はずは既に打ち合わせてあったが、浜やんはもう一度念を押した。

「それはマリたちにも言い含めてあるから。外へ出る時、マリが『女将さん、お客さんがもう一人連れてってやるって言ってるんで、ちかちゃんもいいですか』って聞くから。そしたらおまえがちか子の遊び代を払ってやれば大丈夫だから」

「不審に思われないか?」

「大丈夫だ。金さえ払えば何とでもなるよ。そうそう、金って言えば、売った金十二万はマリとちか子が半分ずつ持っているはずだから、彼女たちに確認してくれよ」

「もし持ってなかったら、どうするんだよ。どうしようもないだろう」

「そうだよな。逃げるのに女将に確認する訳にもいかねぇしな。まぁ、あの女将の口ぶりじゃ、マリたちが持ってると思うよ」

 そう言ったものの浜やんは心配だった。女将が

「しばらくの間、預かっておく」

などと言って、マリたちから金を取り上げているかも知れないのだ。もしそうだったら元も子もない。だが、今更じたばたしてもどうしようもないのだ。金の件は運を天に任せることにした。
 浜やんはバックに荷物を詰め込み始めた。
虎之介がマリたちを買う金は既に渡してある。

「虎、ちょっと早めに行って、店の前ぶらぶらしてろよ。時間も時間だし、別に怪しいなんて思われないからさ」

「おう、わかった。さぁ乗り込むか」

「頼むぞ、救助船」

虎之介が浜やんに見送られて旅館を出て行った。

 名古屋駅頭の交番脇で浜やんは虎之介たちと落ち合う為、イライラしながら待っていた。タクシーが止まる度に降りて来る客を確かめ、通行人の動きにも目配りする。そんな動きを先程から何度繰り返していることか。時間が経つに連れて、心配になってきた。もし捕まって、仲間が駅で待っていることでも喋られたら自分の身も危ない。
 逃避行に使う急行「雲仙」が名古屋駅のホームに到着するのは間もなくだ。

 ―あいつ、ドジ踏んじゃいないだろうな。

 鞄を持つ手が汗ばみ、足元はタバコの吸い殻でいっぱいになっていた。不安はよぎるものの、まだ少し時間はある。虎之介は案外、追っ手を警戒してぎりぎりの時間に駆け込んで来るのかも知れない。そんな想いをめぐらせていると突然、一台のタクシーが猛スピードで向かって来た。窓から手を振っているのは虎之介だ。マリもちか子も乗っている。

 ―良かったぜ!

 浜やんは用意していた博多までの切符四人分をポケットから取り出し、タクシーに駆け寄った。タクシーから降りた虎之介が浜やんから切符を受け取り、成功のVサインを掲げた。

 「でかした、虎。急ごう!」

続き > 第七章 逃げろ!急行「雲仙」が夜を疾走
―急行「雲仙」の車中、名古屋、下関、門司―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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