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第十五章 町の小さな教会で 結婚式を挙げました
この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。
赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー
―横浜―
赤線街の店を狙う計画は一時中断せざるを得ない状況だった。渋谷で遭遇した光景があまりにも衝撃的だった為、四人の士気が上がらないのだ。
しばらくの間、浜やんたちは横浜に滞在し、街をぶらぶらすることにした。虎之介は相変わらず、パチンコに興じていた。ただ、浜やんに殴られて以来ちか子の金をつぎ込むことは辞め、パチンコに行く前は
「大丈夫だ、自分の金だから」
とわざわざ浜やんに断りを入れて旅館を出て行った。パチンコは爆発的な人気を呼び大衆レジャーの主役になっていた。
虎之介は調子のいい時には景品をどっさり持ち帰り、ご機嫌伺いを兼ねて皆に配った。
浜やんもマリとちか子を連れて、連日港の周辺をぶらぶらしていたが、実際のところ時間を持て余していた。こうして滞在期間が長ければ長い程、横浜で決行することは人目について危険だ。
ある夜、虎之介たちを部屋に呼んで、オールスタッフミーティングを開いた。だが、この夜は決行の打ち合わせをするいつものミーティングとは違い、キャプテンの個人的な問題に終始した。
「虎之介、俺たち結婚するからよ。キャプテンは自分の舵取りもしなくちゃいけないから」
「何だって!結婚、本気かよおまえ。今だって結婚と同じようなもんじゃねえか。このままずっと行きゃぁ…」
「いや、俺はちゃんとした儀式がしてえんだ」
「儀式?」
「アーアちょっと銭持つと人間頭が狂っちゃうんだよな…俺も経験あるけどよ。あれ結構金かかるぜ。仲人がこう座ってよ…。ところで、誰が仲人やるんだよ」
「おまえたちがやるんだよ」
「エッ、私たちが?」
ちか子も浜やんの突然の発表にびっくりしている。
「じゃあ、婚姻届も出すの?」
「あったり前じゃんか。時間の余裕が出来たらな。子供もつくって。今、子供つくっちゃうと重荷になっちゃうからよ」
ちか子がからかった。
「浜さん、子供つくるのうまいもんね」
「ああ、任せてくれ。なぁマリ」
「フッフッフッ、子供は当分いいけど、式では真っ白いドレス着たいな。ああいう衣装貸してくれるんでしょ」
マリが虎之介に聞いた。
「貸してくれる訳ねえじゃねえか…アレ、実費とられるんだよ。だから銭かかんだよ。
アー嫌だ、ああいう面倒くさいの。ところで浜、何処で式挙げんだよ?」
「教会だよ」
「教会…そんなの何処にあるんだよ」
「探せば、その辺にあるよ」
教会は街の一角にあった。
ある日、濃紺のスーツに身を包み、糊の利いた真っ白いワイシャツにネクタイをキリッと結んだ浜やんと、同じ濃紺のハットに花をあしらい、白いミニのドレスを新調したマリ、そして虎之介とちか子の四人はいきなり教会へ入って行った。
「すいません。結婚したいんですが」
中から、品の良い五十才前後の婦人が出て来た。
「お申し込みですか?」
「いや、今、したいんだけど」
「エッ、今ですか?普通、日取りを先に決めるんですよ」
「もし、空いてたら、今日したいんだけど。これ用意して来たんで」
浜やんは白い封筒を婦人に差し出した。封筒の中を開けた婦人がびっくりした表情になった。
「こんなに…頂けませんわ」
封筒の中には一万円を入れておいた。
一回出したものを引っ込めるのは浜やんの主義ではない。浜やん、教会の屋根を見上げてキザに言い放った。
「じゃ、あの十字架に寄付しましょう」
「クリスチャンの方ですか?」
「いや、生まれて初めてなんですよ、こういうところへ来たの。キリスト様とか、聖書とか、よくわかんないけど。教会で式を挙げたいと思って…それにこの機会にキリスト様のこと勉強しようと思いまして」
浜やんの巧みな話しっぷりが功を奏したのか、寄付が多かったからなのか、婦人は四人を中の待合室に通し、
「ちょっと、お待ち頂けます?」
と言って、奥に消えた。
婦人は再び神父を伴って現れ、浜やんたちを紹介した。
「この方たちなんです」
神父が物静かに口を開いた。
「二組ですか?」
浜やんが答えた。
「いや、一組でいいんです。私とこの女性で。こっちの二人は立会人と言うか、ちょっと柄が悪いんですが」
「いやいや、柄はあまり関係ありません。大切なのは御心です。じゃあ、早速始めましょうか」
四人はこぢんまりとした礼拝堂へ通された。浜やんとマリが聖壇の前に並んで立ち、婦人がオルガン演奏のスタンバイをする為、椅子に座った。虎之介たちはこれを神妙に見守っている。
パパパパーン、厳かなオルガンの演奏が始まると立会人の虎之介とちか子が
「イヨー!」
と拍手喝采を浴びせた。
神父が驚いて二人を制し、十文字を切った。神父は聖書の一節を朗読し、二人に尋ねた。
「生涯愛することを誓いますか?」
大きな声で浜やんが答えた。
「勿論です」
「いや、ハイって言って下さい。それだけで結構です」
神父に注意を受ける二人に婦人が笑いをこらえている。浜やんが用意した指輪をマリの指にはめようとした時だ。突然、マリが泣き出した。幸せの絶頂を迎え、感極まったのだ。なだめる神父にマリが声を絞り出した。
「神父さん、私、嬉しいんです。いちばん好きな人と結婚出来て…どうかこの人をずっと、ずっと守ってもらえるよう、お祈りして下さい」
虎之介とちか子が拍手を送った。挙式する側と教会側のしきたりが見事なまでにチグハグな儀式だったが、正直に自分を出す若い二人に神父たちはいたく感激してくれた。
式を終えた浜やんたちは控え室に戻って神父と奥さんの話を聞いた。
「ところで教会は本当に始めてですか」
「ええ、何か誘われるっていうか、そんな感じだったよな、マリ」
「うん、この教会、二・三日前に初めて見た時、ここで式挙げさせてもらおうって決めて、勝手に今日来ちゃったんです。突然でごめんなさい」
マリが神父の奥さんにニコッと笑いながら言った。
「いいんですよ。あなたたちみたいに面白い方、初めてよ。普段は何をなさっているの」
「い、いや。そんなたいしたことはしていません」
浜やんが慌ててその場を取り繕った。
婦人がワインとカレー、そしてパンを運んで来て、テーブルに並べた。
「はい、口を開けて」
それがしきたりなのか、浜やんたちは大きな口を開けて、神父に次々とパンの切れ端を食べさせてもらった。
「愛し合う者同士、今、この時の愛を忘れなければ、どんな困難なことも乗り越えられます。あなたたちはそんなふうに導かれます」
―だとしたら…
浜やんは全く別のことを考えた。
―これからの旅はバンバン成功するはずだぜ…
渋谷の事件以来、落ち込んでいた浜やんは神父の教えに勝手な解釈を加え、自分に元気を注入した。虎之介がわざと間延びした声で祝福した。
「新郎、新婦、改めて…お・め・で・と・う」
「バカ野郎。そういう言葉は引っ張るな」
「そーかー」
この日、神父夫婦と浜やんたちは終始笑いに包まれ、いつまでも食卓を囲んでいた。
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参考文献
兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社
木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社
木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社
澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋
清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店
新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社
菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社
『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社
※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博 三一書房(平成5年6月)
名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会
日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社
日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社
広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社
※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)
毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社
松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂
森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版
山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋
吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版
渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店
大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル
※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
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