東大文系、激務(長時間労働)な労働環境に置かれがちな説

何も根拠もない。印象に過ぎないのかもしれない。
実際にはホワイト(ここでのホワイトは労働時間が短いことを指す)な職場で働いている者ばかりかもしれない。
ただ筆者が見ている次第では、東大卒の中でも文系学部卒(特に法学部と経済学部を筆頭に)は激務(ここでの激務とは長時間労働を指す)な環境で働いている者が多くを占める印象がある。
東大理系も同じなのではないか?と言う疑問も上がるかもしれないが、東大文系学部卒ほどではないと思う。ただこれもあくまで印象論に過ぎない。

筆者の周りを見ていても、殆どの東大文系はかなりの激務が要求される業界や職種に身を置いている者が多い。彼らは世間的には「エリート」とされているような職種で活躍しており、東京カレンダーの世界観を体現しているような存在である。
もしあなたが見た東大文系卒が暇そうにしていたら、その人は恐らく、競争から降りた人、脱落した人、職種選びが相当うまかった人、逆に職種選びに失敗した人、あがりの人のどれかだと考えて良い。

因みに今回は、「激務(=長時間労働)」と表現したが、これはブラックとはまた異なる概念である。ブラックな職種の場合は、長時間の労働をこなしても金銭的なリターンが得られず、更には精神的なきつさも付随してくる子とが多いが、東大文系卒の場合は、長時間労働に見合った金銭的なリターンを得ており、それはブラックな職場だとは言えないからだ。
前回の記事で筆者の社会人になってからの平均残業時間はならすと30時間程度と書いたが、これは恐らく東大文系卒の中では短い方であると思う。極度の長時間労働を要求される職種に従事するものもいるため、平均すると50時間程度になる可能性もあるし、下手するともっと長いかもしれない。

因みにこちらの記事はイブリースさんの以下の記事と被る部分もあるので、こちらに参考となるリンクを貼っておく。

東大文系がなぜ激務な(=長時間労働が要求される)職場に身を置きがち(置かれがち)であるかを今回はいくつかの要素から考えてみたい。

以下が結論として筆者が考える要素である。

1.東大文系の価値観は理系と比較して画一的であるから
2.花形の進路の多くがそもそも激務(労働集約的)
3.普通の事業会社に入っても調整的な役割を負うことが多いから
4.ジョブ型の世界で生きていないから
5.勤務地ゆえの生活コストの高さ
6.理系と比較して1時間あたりで生み出せる価値が小さいから
7.そもそも文系職は業後の付き合いが発生しやすい

これら一つ一つに関して考察していきたい。

1.東大文系の価値観は理系と比較して画一的であるから

これはあくまで筆者が見てきた少ないサンプルによるものかもしれない。
ただ東大の法学部と経済学部(特に経済学部に強い)は、王道とされるようなレールを歩むものが殆どである。極論もっと的確に言うと、就職先の選択で重視されるのが、所謂就職偏差値なのである。そこには、「~がしたい」と言う価値観や自分軸よりも「他人からどう見られるか」と言う他人軸がより強いのである。東大理系よりもこの序列への意識は強いと思われる。ちなみに他の大学の文系学部卒よりも強いのか?と言われると、その答えは「No」だと思う。あくまで東大理系と比較してと言う話である。早慶文系を筆頭に就職偏差値に依存した就職先選択は文系学部卒の学生には顕著である。
就職偏差値の議論がもっぱら文系版で盛り上がり、理系版はそこまで盛り上がらないのもこれが背景にあるのだと思う。
東大理系にもこのような価値観は一定程度存在すると思う。特に中学受験等を経験して、レールに乗った結果として東大に来た理系には文系的な価値観があるだろう。とは言え、その進路には文系よりも多様性があると思われる。そこには「~がしたい」「~の技術を活かしたい」という価値観が介在しやすい。そもそも他人になぜその進路を選択したのかと聞かれた際に、「~と言う研究をしていて、~という職場、職種では、その経験を活かせると思ったから」と言う説明がしやすいと言うのもある。
またこれは過去の筆者のnoteやイブリースさんを筆頭に他の執筆者も指摘してきたところではあるが、実は東大文系と理系では入ってくる人種の性質が若干異なる。
勿論東大文系も時間を投入して勉強さえすればどこかの医学部には引っかかる存在ではあるとは思うが、それ以上に東大理系は、その場で選択しようと思えばすぐにでも(何なら社会人になってから意思決定をすればいつでも)医学部に行けた存在である。彼らは、ある程度自分の意思や興味関心に従って東大理系に来ているので、そもそも他人軸で生きていない人種であると言える。この点、東大文系は医学部と言う対抗勢力が無いので、競争結果に勝った結果として東大に入ったという側面が強い。
つまり、東大理系は「自分軸」で生きている一方で、東大文系はより競争的で「他人軸」で生きている人の割合が高いと思われる。

ではこの「他人軸」がなぜ、「激務」につながるかと言う話であるが、それはこの他人軸が結局「金」「名誉」に結び付いてくるからである。特に「金」は比較がしやすい。これがある意味序列を決める。そしてこの「金」を追求するには、結局自分の人生の中の「時間」を差し出す必要が出てくるのである。
またこのような競争的な職場には、競争的な人種が集まる。元々入ってくる人の能力にはそこまで変わりは無いため、結局競争に勝つには、労働投下量を拡大させる他ない。

2.花形の進路の多くがそもそも激務(労働集約的)
次に考えたいのが、東大文系で花形と考えられる職種である。
例として、外資コンサル(特に戦略系)、外銀、官僚(人気は低迷中であるが)、日系投資銀行、M&A専門のブティックファーム、商社、デベロッパー、4大弁護士事務所、裁判官、等であろう。上記の中で激務でないと言い切れるのはデベロッパーくらいなもので、そのデベロッパーにしても後述するが東大文系卒は激務な部署に配属されやすい。
日系金融機関や会計士は実は花形ではないし、アセマネ等は本当に近年になって人気が出てきた業界であり、そこまで絶対数は多くないのではないかと思われる。現に筆者が在学中の頃はまだまだアセマネはニッチな存在であり、近年某ブロガーによって認知度が高まった業界であろう。

上記で挙げた職種はいずれもかなりの激務である。特徴的なのは、いずれも資本集約的な業界や職種ではなく、労働集約的な職種であるという事だ。
外資コンサル、外銀IBD、官僚、日系投資銀行、M&A専門のブティックファーム、4大弁護士事務所、裁判官のどれをとっても、人が動かないと話にならない。アセットから湧き出るキャピタルゲインやインカムゲインを享受できるのは、商社とデベロッパーくらいなものであろう。

そしてこのような労働集約的な職種が東大卒の中では尊敬、リスペクトされる傾向がある。
「毎日何もしていないけれども、今期は保有株式の値上がりで気づいたら勝手に50億近い利益が上がっていたわ」みたいな価値観はあまり東大生受けしないのである。今の東大生がどのような価値観を持っているかは分からないが、激務をこなして金を稼ぎ、事業を回すようなビジネスモデルに憧れるようなものが多かった印象を受ける。

上記と繋がってくる話であるが、東大卒はそもそもホワイトな職場・職種の研究に熱心でないし、そういった職場を敢えて新卒で選ぶものは殆どいない。これは筆者が属している金融業界でも同じである。
以前もnoteで言及したが、金融業界の謎の一つとして、東大卒が新卒で選好する企業よりも、隠れたニッチ業態の方が待遇が良い(コスパが良く、ホワイトである)という点である。具体的には、クレジットカードやリース更にはひと昔前のアセマネである。
ただこれは別に金融業界に限った話ではなく、他の業界でもBtoBをメインとしており、ニッチであるが待遇が良い職場は多く存在するが東大卒はあまりそのような職場を好んで受けているという話は聞いたことが無い。
X等でもホワイトな職場や仕事のコスパに言及しているアカウントで東大卒の方と言うのは見たことが無い。大体が早慶や少しレベル感の落ちる国立大卒であることが多い。
またそもそもこのようなホワイト資本集約型産業は、そもそも東大卒を求めていないというのもあるのかもしれない。既に固まったビジネスモデルがあるので、それを滞りなくうまく回してくれる者が企業が欲しがっている人物像なのかもしれない。

転職活動をしてびっくりするのが世の中にはこんなにも隠れ優良企業が存在するのかと言う事である。東大文系卒が行きがちな企業よりも遥かに待遇が良く、ホワイトな職場と言うのは探せば結構な数存在する。ただそういった企業は知名度ゆえに新卒時は大して難しくなくても、中途採用ではその待遇の良さから人気が高く、東大文系卒であっても入るのは難しい。そもそも後述するが東大文系卒が身に着けた「スキル」はこのような企業とは相性が悪い可能性がある。

3.普通の事業会社に入っても全社マネジメントや調整的な役割を負うことが多いから

これはどこの業界でも同じかもしれないが、東大文系卒に期待されているのは幅広いタスクをこなすことが出来る総合的な能力である。東大文系にはあまりプログラミングや英語等の1点特化型のスキルは要求されていない。
どちらかというとより上流の立ち位置から業務フローを構築したり、改革していく能力、更により社会人年数が長くなった暁には経営的な方面を担うことが期待される役割である。
言ってみればジェネラリストの究極版が東大文系学部卒である。例えば金融機関においてよく見られるのは意外と一橋や東工大、また早慶の上位学部のほうが専門職的な役割に従事している割合が高いということである。現にファイナンス系の専門書の執筆者の多くは一橋、東大理系、京大理系、慶応辺りが多い。
東大文系学部卒、どこに行った?と思うことが多い。
これは結局前述したように東大文系学部卒は企画職的な役割を担っており、あまり専門職には就いていないことが背景にあるのではないかと推察される。

ちなみにこの全社マネジメントや調整役は社内地位は確かに高いのだが、仕事の内容が抽象的であるため、労働時間はどうしても長くなりやすい。ついでに言うと、社内スペシャリストであるため、激しくジョブローテーションを経験しており、転職市場でアピールできるポイントが少ないという難点も抱えやすい。そしてこのことが、次のジョブ型世界に生きていないという話と繋がってくる。
 
4.ジョブ型の世界で生きていないから
東大文系学部卒がジョブ型の世界で生きられる職種というのは実は限定的である。
弁護士、会計士等の士業と外資コンサル、金融専門職、特に投資銀行部門とアセットマネジメントくらいであろう。
それ以外の例えば金融の市場系(マーケット系)の職種は理系の世界であるし、アクチュアリーも基本理系だろう。東大経済はまだジョブ型の世界に行きやすいが、それ以外の法学部や教養学部、文学部、教育学部の場合はジョブ型の世界に行きにくいというか投資銀行業務以外は無理だろう。
結構な割合がマネジメントを目指して、幅広く表面的な業務に携わることになる。

そしてこの、ジョブ型の世界で生きていないことが激務に繋がりやすい。
まず、転職がしにくい。これは以前も記事にしたが、転職市場は基本的にジョブ型の世界である。そこではある会社の社内スペシャリストは求められていない。
そのため激務な部署に配属されたとして、逃げにくい。
次にニッチでホワイトなBtoBの企業に行きにくい点が挙げられる。これは例の逆学歴フィルターと転職市場では一変こういった企業は人気になるから、という事情によるものだ。
これがジョブ型の世界に生きていればまだ話は違う。一度ジョブ型の世界に行くと「東大卒の〜さん」ではなく、「〜というスキルを持つ〜さん」という観点に採用者の見方が変わるからである。そこにはもう逆学歴フィルターの壁は無い。
結局ジョブ型の世界で生きていても待っているのは弁護士や会計士、コンサル、日系投資銀行等の激務職種、ジョブ型の世界で生きていなければ待っているのは激務型ジェネラリストということである。

5.勤務地ゆえの生活コストの高さ
次に考えたいのが勤務地である。
東大文系学部卒であればジョブ型の世界でなくとも、大企業にいれば本社勤務となることが多いだろう。
そして日本の大企業の本社は基本的に東京駅付近、もしくは品川辺りに位置している。
これは以前執筆した東大卒不幸論と同じ話であるが、これらの勤務地に通勤する場合、基本的にはその周辺、少なくとも都内で家探しをすることになる。
これはもうご存知の通りであるとは思うが、いずれもマンション、戸建てともに高止まりしている。
生活費を稼ぐために必然的に激務にならざるを得ない。
また周囲も必然的に意識の高い人種が集まるので、そこで余計なコストが発生しやすい。生活水準をどうしても上げる必要がある。

理系のスペシャリストはどうか?
実は理系の研究所は割と首都圏でも辺鄙な所にあることが多い。神奈川、埼玉、千葉、東京の23区外等、色んな場所にある。
ここになると一気に不動産価格は安くなるので自宅のローン払いのためにあくせく働く必要が無くなる。ここでは比較的周囲の目は気にせず、マイペースな人生を送ることが可能となる。

補足しておくと勿論都心勤務にも救いはある。それは以下のようなメリットを享受できるという点である。
1.出会いが多いので結婚しやすい
2.転職しても勤務地が変わりにくい(ずっと東京駅付近)ため、転職しやすい
3.自宅が資産になりやすい

このようなメリットもあるため5に関しては、何とも言えないが少なくとも現役時代はロ―ン支払いに追われる生活になりやすいだろう。

6.理系と比較して1時間あたりで生み出せる価値が小さいから

結局労働時間は何で決まるかと考えた時に、同じ職種であれば、生産性つまり1時間当たりで生み出せるアウトプットにより決まる。
こういった点を踏まえた際に筆者が見てきた経験では理系の人、院卒の人のほうが生産性が高い。
そもそも高い思考力を持っているし、最新の業務効率化につながるIT知見も理系のほうが親和性が高い。
異なる職種の比較に際しても理系の職種のほうが業務時間は短い傾向にある。
これも結局ある企業にもたらすことが出来る生産性や革新性、価値が理系のほうが高いからだと考える。そして理系職の方が比較的資本集約的な職種が多いというのも背景にあるだろう。

7.そもそも文系職は業後の付き合いが発生しやすい
そもそも東大に限らず、文系職のほうが業務外の付き合いが発生しやすい。業後の飲み会、接待のゴルフ、出張のための移動に取られる時間、これらも勤務時間と考えると総労働時間は文系職のほうが理系職よりも拘束時間が
長い。本来であれば、これらの拘束時間に対しても賃金が支払われるべきなのであるが、実際にはそうはなっていない。

上記が筆者が考える東大文系学部卒が激務になりがちな理由である。
ただ見ていて思うのは、本人はそこまで辛そうではないという点である。
やはりある程度これまで長時間勉強をこなしてきた人種であるので、そこまで長時間仕事に拘束されることが辛くない人種とも言えるのかもしれない。
労働や勉強の面においてはM気質が強い人種なのかもしれない。
そもそもプライドが高いので、辛くとも辛いとは言えない人種なのかもしれない。

マイペースに生きたい人は大人しく理系、もしくは新卒の段階で周囲の目は気にせず、ニッチなホワイト企業に行こう。