第108回天皇賞(秋)【1993年】
軸はセキテイリュウオーだった
前回の記事で、かのN氏が1993年の天皇賞(秋)の講演会でヤマニンゼファーを覇者指名したことを書いたが、当時の私の軸は2着のセキテイリュウオーだった。
当時、レーシングプログラムには、馬名の意味が書かれているページがあったが、そこに馬名にアルファベット表記があった。
それがサインになっていたのである。
1番(R)ライスシャワー
2番(S)セキテイリュウオー
3番(T)ツインターボ
3頭の馬名のアルファベットの頭文字はR、S、T。
綺麗にアルファベットの並びとなっており、ど真ん中が連対する。
このパターンは必ず使われていたので、セキテイリュウオーで間違いないと。
また、同枠に天皇賞(春)馬がいることもポイントだった。
父ニホンピロウイナーのリベンジ!
馬券はセキテイリュウオーからヤマニンゼファーを狙った。
その理由は父ニホンピロウイナーのリベンジをやるのではないかという読み。
2頭の戦歴を比較してみて欲しい。
クリソツな戦歴だと解るだろう。
当時は「似たもの探し」のレベルだったので、『父ヤマニンゼファーのリベンジをやるのか?』程度の認識。
8ゲート 3着ニホンピロウイナー
8ゲート 1着ヤマニンゼファー
『父と同じ8ゲートがダメ押しか!』
こうした論拠で馬券を買ったことを覚えている。
今みれば、ニホンピロウイナーが『連対禁止の3着席』でヤマニンゼファーが『覇者』なのかは理解できるが、この当時の認識はこの程度のもの。
ある人から聞いた話では・・・
かのN氏が最初の講演会でヤマニンゼファーを覇者指名できたのは、Sさん(女優のSYさんの弟)のアイデアだったという話を聞いたことがある。
片岡氏の集まり(片岡一派)でその話が出たとのこと。
私はその話は半信半疑なのだが・・・。
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