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競馬番組理論との出会い

競馬番組表理論を世に広めたパイオニア

競馬番組表理論を世に広めたパイオニアは片岡勁太氏。
それは1990年に発売された『恐るべき競馬の本』(ベストセラーズ)が最初である。

大ベストセラーとなり、当時、有料の『競馬番組』を入手するために長蛇の列ができたと聞く。
1991年頃から『競馬ゴールド』という雑誌を購読しており、サイン読みの記事と合わせて片岡氏の記事を読んで競馬番組理論にも興味を持った。
ただ、具体的論法が提示されないので、当時は読み流す程度。

『覇者への条件』の連載が始まる

次に、現れたのが『覇者への条件』を執筆していたN氏。

当初は片岡氏とN氏は共に『競馬ゴールド』の連載があったが、途中から片岡氏の連載はなくなった。
あくまで聞いた話であるが、O編集長の前で予想対決が行われ、その対決で負けた方が連載を辞めるというものだったらしい。
その勝負にN氏が勝利し、片岡氏は『競馬ゴールド』を去ったということだった。
N氏の文章は非常に難解。
初期の頃は具体的な論法でまだ解り易かったが、次第に何が書いてあるのか理解に苦しむものばかり。
データシートなどは空欄ばかりでツッコミどころ満載だった。

情報交換していた方からの一本の電話

当時、サイン読みの仲間と情報交換をしていた事を述べたが、静岡に住むある方から『電話でお話したいことがある』と電話がかかってきた。
それは、1993年の有馬記念の時のN氏の講演会の話だった。
その方もサイン読みをやりながら競馬番組理論にも興味があったようで、N氏の講演会に出席したそうだ。
そこでN氏はトウカイテイオーを覇者指名。
相手のビワハヤヒデもズバリだったと。
その話は当時の私には衝撃が走った。

『そこまで読み切れる理論があるのか』

N氏の講演会は2度目で、1度目はその年の天皇賞(秋)だった。
そこでもN氏はヤマニンゼファーを覇者指名。
相手も1枠でセキテイリュウオーだったと。

失敗の許されない講演会でそれをやってのけたことに驚いたし、『競馬番組理論こそが本物』であることを感じたのである。
その静岡の方から『講演会のメモを取ってあるので参考までに送りますよ』と、ご丁寧に郵送でコピーを送ってくれたことを覚えている。
この一本の電話がなければ、今の自分はなかったかも知れない。
その話を聞き、競馬番組理論の徹底研究が始まったのである。

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