勝負の世界
明日の15時25分、中山競馬場を舞台に有馬記念が行われます。とりあえず見てほしい。少しでも見てくれる人を増やすために、競馬場の開門待ちの列でこの文章を書いています。
ほとんどの人は知っているだろうが、僕はずっと競馬に魅せられて競馬に憑りつかれたかのような生活を送っている。なぜ僕がここまでこの趣味に傾倒しているかということを記していこうと思う。もちろんギャンブルなのが競馬だが、できるだけ金の要素には触れずに。なぜなら僕、18なので
レースは一瞬だ。日本一長い距離を走るG1である天皇賞春だって、3分とちょっとで終わってしまう。その一瞬で馬の、騎手の、調教師の、すべての関係者の運命は天国にも地獄にもなりうる。レースは情報量の多すぎる一方通行のフローチャートだ。しかもフローチャートの先は何も見えない。何も見えないからこそ競馬はギャンブルでありスポーツだ。ファンはそれを必死に予想して馬券を買う。簡単には当たらない。関係者の思惑通りにもいかない。
だからこそ勝った時の喜びはひとしおだ。G1の勝ち馬の騎手や調教師の笑顔には毎回素直に拍手を送りたくなる。当然ファンも、大きいレースの予想を当てることは大きな喜びだ。時には涙さえ流す。なぜならその喜びのために競馬の仕事をやっているし、こっちだって徹夜して並んでいるからだ。
競馬をやっていて感じたことがある。この感覚は受験に似ている。受験もある意味ギャンブルだ。入念に準備したほうが勝てるに決まっている。頭いいほうが強いに決まっている。周りの人も応援してくれている。ただ、その一瞬のための果てしない努力は、ちょっとしたことではかなく散ってしまう。そして受験も競馬も、ただの結果論だ。負けて「でも頑張ったじゃん」なんて、嬉しくとも何ともない。残酷なまでに、結果だけが求められる。
去年の有馬記念でブラストワンピースの鞍上、池添謙一が誇らしげに手を上げたとき、こんなガッツポーズがしたいと思った。一口の馬主たちはどれだけ嬉しかったことだろうか。2着レイデオロの一口馬主はかなり悔しかったはずだ。
僕たちは極限までの勝負の世界に憧れるし、それに自分の身を重ねることもある。それが、競馬という世界に人々が引き込まれていく理由のような気がする。
そしてその世界の最高峰である有馬記念が、もう少しでやってくる。15時になったらテレビをつけて欲しい。そうしたらこの熱意だけはあって意味のわからない文章の意味が、皆さんに伝わるような気がする。
追記 折角徹夜してるんで、競馬予想の方も後であげようと思います そっちも暇だったら見て
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