Tranqという違法薬物
2018年あたりからTranqという違法薬物がアメリカで出回り始めました。
年々Tranqによる死亡が増え続け、2023年4月にはバイデン政権により新たな脅威(emerging threat)に指定されました。
Tranqは、キシラジンという鎮静薬とフェンタニルという鎮痛薬を主に含んだ違法薬物です。トランクと読みます。Tranq dope、Philly dope、Zombie drugと呼び名が複数あります。
オピオイド危機とフェンタニル
アメリカ国内はオピオイド危機(opioid crisis)に晒されていて、特に違法フェンタニルによる事件が絶えません。
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(https://www.dea.gov/press-releases/2022/08/30/dea-warns-brightly-colored-fentanyl-used-target-young-americans)
オピオイドと呼ばれる鎮痛薬の種類の中でも強い効果(力価)を持つとされるのがフェンタニルで、副作用として有名なのが呼吸抑制です。つまり呼吸の数が減り、量が多い場合には呼吸が停止します。
一応麻酔科医として知っておいてほしいこととして、フェンタニルといっても病院で使われる正規の医療用フェンタニルと異なる点は、
投与量が不明
フェンタニル類似のオピオイドの可能性(例:カルフェンタニル)
他の薬剤が混入してる
医学的に清潔でない(細菌やウイルスなどを含み感染の可能性)
医療用のフェンタニルでは適切使用されれば、上記のようなことは起こりません。
Tranqは、上の3番目の例で、他の薬剤としてキシラジンが混入されています。
キシラジン
キシラジンはα2受容体作動薬の一つで、鎮静薬です。鎮静薬なので落ち着かせたり、眠くさせたり、意識レベルを下げる効果があります。
α2受容体作動薬は、数ある鎮静薬の中で呼吸抑制を起こしにくいのが特徴で医療でも使われています。人間・ヒトでは、クロニジンやデクスメデトミジン(プレセデックス®︎)という同じ種類の薬が用いられています。
キシラジンはヒトには用いられず、獣医学で用いられます。ヒトでない比較的大きな動物に対して主に使われています。ヒトに用いられない理由はその副作用にあります。
強い中枢神経系の抑制により、適量のデクスメデトミジンとは異なり呼吸抑制を起こします。この呼吸抑制はオピオイドなどの薬が混合されるとより起こりやすくなります。
さらに循環系にも影響があり、心拍数の低下する徐脈が起こりえます。
https://www.deadiversion.usdoj.gov/drug_chem_info/Xylazine.pdf
Tranqの広がり
Tranqを始めとした違法薬物は主に、中国で生産され、メキシコのカルテルを経由してアメリカ国内に入ってきています。
ほぼ全州近くで見つかっていて、2022年では23%の違法フェンタニル粉末に含まれていたと報告されています。
特にペンシルバニア州のフィラデルフィアでは問題で、過量摂取による死亡や軟部組織壊死による敗血症・四肢切断が増えています。
2023年4月には、アメリカ全土に渡る問題のため、バイデン政権もとい国家薬物取締政策局長のDr. Rahul Guptaが新たな脅威(emerging threat)に指定しました。NEJMにも投稿されました。
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp2303120
2023年5月24日、イギリスでも一人目の死者が報告されました。
日本には渡ってくるかはわかりませんが、違法フェンタニルの密輸が危惧されている状況ではあるので、情報として知っておいた方がよいと思います。
医療従事者への情報
キシラジンはルーチンの薬物検査で検出されないため、救急外来などで遭遇する患者ではまず疑い、鑑別に加えることが大切です。
また、キシラジン過量摂取に対する特別な拮抗薬はありません。対症療法が基本となります。尚、キシラジンの半減期は23–50分とされています。
前述の通りフェンタニルを始めとしたオピオイドの過量摂取も同時に存在する可能性があるのでナロキソンの投与が推奨されています。ナロキソン自体はキシラジンを拮抗しません。獣医学で用いられるヨヒンビンやトラゾリンなどはヒトに対して安全か分からないため使用すべきではありません。
常用してる患者は離脱症状にも気を配る必要があり、現状の限られた情報の中で症例報告では、ICUでデクスメデトミジン、一般病棟でのクロニジン使用が模索されています。
Tranqを常用している患者については、繰り返しの注射による皮膚潰瘍・壊死を起こすことが知られています。これがZombie drugとも呼ばれる所以です。以下はフィラデルフィアからの報告ですが、見た目が強烈なので参照注意です。
一般的な医療従事者へのFDAからの警告は以下を参照してください。
https://www.fda.gov/media/162981/download