舞台は御所解
母と烏丸へ。気になっていた千總ギャラリーの「舞台は御所解」が四月一日に展示を終えると知り、急遽予定を決めた。折角なので、二人で着物を着て出掛けることにし、母は紺地に水色の有職文様の小紋に落ち着きある金色縞の帯、私は水色の辻ヶ花の着物に御所文様の刺繍の帯を締める。朝からどの着物にするか悩んだり、お互いの着付けを手伝いあったりしているうちに家を出る時間になった。
御所解は古典の物語や謡曲が主題とされる小袖の着物で、染めや刺繍で描かれた風景や道具から暗示される主題の謎ときをたのしむのだという。なんと風流な遊びだことか…と、母と二人、展示された着物に描かれた古い物語に想いをよせる。「雪霞桜樹模様単衣」は水色の織物で謡曲「鞍馬」を題にとっているそうで、よく見ると、おくみのところや裾の部分に、天狗の朱い羽団扇や牛若丸の長刀が刺繍されている。少し前に読んでいた『天狗芸術論』の天狗のことを思い出した。
御所解には、時が経つ様子や奥行きまで表現されていて、そういう職人の意匠も興味深かった。四季の草花、空模様、風物など季節をたのしむための工夫、古典への愛着が一枚のきものに詰め込まれていた。
千總のギャラリーをあとにして、お昼御飯へ。行きたかった割烹はどこも休みで、烏丸駅の近くの食事処の暖簾をくぐる。母も私も「蒸し寿司」をいただく。錦糸たまごの上に海老、新しょうが、蓮根、あなご、椎茸、それから桜型のお麩。桜のお麩がもっちりしていてとても美味しく、湯呑みのお番茶の香りが心地よい。竹だと思い込んでいた器は、竹を模した陶器のうつわで、桜と紅葉のお皿の上に乗せられていた。小鉢類も美味しく、空豆と鶏胸肉を大根おろしで和えたもの、菜の花の煮浸し、ブロッコリーとベーコンとにんじんと、おそらく蕪、それらを出汁で煮たもの、それから豆腐のおみおつけ。料理屋さんで食事をすると、旬の野菜や食材をどのように料るか、どんな器に盛りつけるか、美味しい食事だけでなく新たな発想までいただけるのが嬉しい。母は菜の花の煮浸しがおいしかったようなので、今度菜の花を買おうと思うけれど、まだ売っているのかどうか。この春、季節のものといえば、この日の食事と、家ではつくしを食べたが、まだほとんど春を味わってはいない。木の芽、たらの芽、たけのこ、わらび、鰆やホタルイカも…と、食べたいものを挙げてゆけばきりがない。
食事を済ませて河原町の駅まで歩く。高島屋で煎茶と京番茶、仙太郎のおはぎを父へのお土産に買って(もちろん母と私の分も)阪急電車に乗り、二つ目の目的地、大原野、小塩にある十輪寺へ向かう。前日「御所解〜」のことを調べているときに関連して出てきた「なりひら桜」の写真に絆され、欲張ってこちらの予定も決めてしまった。
十輪寺は思っていたよりずいぶん山奥にある山寺で、都からこんなにも離れた山寺で隠棲した業平の最後が偲ばれる。古いお寺、渡り廊下の瓦屋根に花ひらいた桜がしだれかかっている。業平といえば、情熱と雅と御所の絢爛を思うけれど、同時に変わり種の寂しさや孤独を思わずにはいられず、時折り日が照る花曇りの空に、しだれて咲くさくらの花は業平寺の名に相応わしい。
私たちが拝観料を払ったあと、怒涛の勢いで流れ込んできた団体の観光客が束の間の拝観をして去ったのち、私たちは突然訪れた静けさの中にぽつんと取り残され、天蓋桜を眺めた。枝が春風に揺れ、花びらがひとひら、ふたひら苔の庭へと落ちてゆく。どこからともなく小鳥の歌声、同じメロディをこりずに何度も繰り返す。いつか、小鳥は求愛の歌を、一人でこつこつ練習するという話を聞いたことがある。花咲く春にその成果を発揮しているのかもしれないと思うと、時々メロディを変えてみたり、少し間違えたりするその鳴き声がなんとも愛おしくなる。四月、新しい季節が始まり、年度が始まり、いよいよ連載が始まり、慣れないことにあたふたしたり、行きたい場所を駆けずり回ったりしているうちに春から冬まで、また一息に過ぎてゆくのであろうが、小鳥のようにこつこつと、文筆も、踊りも、書も、お料理も、日々のいろいろに取り組み、楽しみたい。
しばらくすると、カメラを持った女性が、写真を撮らせて欲しいというので、枝垂れ桜と一緒に着物の後ろ姿のモチーフになった。折角なので私の携帯電話でも一枚撮ってもらった。
帰りは二人ともへとへとに疲れてしまって、疲れると音を立て始める母の草履が、帰りの駅に着いたとき、いよいよパタパタと鳴っていた。やっとのことで家に帰り着くと、頼んでおいた本、『意匠の天才小村雪岱』が届いていた。昨年、母と三年坂美術館へ小村雪岱の展覧会に行き、絵から舞台装飾まで種々の作品を見たけれど、それらのほとんどがこの一冊に載っている。
買って帰ったお茶とおはぎでようやく一息つき、届いた本をめくったり、今日のあれこれを父に聞いてもらったりした。「玉露」「七穀」「黒豆きなこ」の三つのおはぎのどれを誰が食べるか、三人で譲り合うのでいつまでも決まらず、結局ひとつを三等分して、三つの味を一口ずつ食べた。どれも美味しく、食べた後もどの味が一番いいかは決められなかった。お茶がほっこりと体に沁みわたる。花に鳥に、お団子に、よい春の小旅行だった。