誰ですか私に「血の轍」を読ませたのは!
読んじゃった…重い…。
これは一言で言うならば、「親が子どもにかけた呪い」の話。
重くて、そしてとても気持ち悪い。
ちょっと読むに耐えないレベル。
なのに何だか身につまされる。
しかも救いがない。
とりいそぎ感想は以上です。ナンチャッテ。
今でこそ、つれづれなるままに日ぐらしスマホにむかひて、心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつけちゃう私ですけど、読書感想文や作文等が本当に本当に苦手です。しかもご存じの通り、「話をまとめる」という能力も意思も皆無なので、その手のものは、
「誰々が何々をしました。おもしろかったです。
そして、誰々が何とかと言いました。私はすごいなと思いました。」
という、「あらすじや出来事を全部かいて感想一言」というヘタクソフォーマットで書いて生きてきたポンコツ人間です。ですから、何かを読み終わった後の感想は、基本四行くらいしか出てきません。
しかし、さすがにそういうわけにはいかないので、何が重くて、何が気持ち悪いのかという点について、読むに耐えない漫画をところどころ振り返りながら、考えようとしたのですが、案の定全然まとまりそうにありません。困りました。
あらすじや出来事をほぼ書きながら、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるスタイルで参ります。そんな訳でネタバレありどころか、大幅にネタバレする可能性がありますし、未読の方が読むと「私の理解」に邪魔されて楽しめない(元々楽しさゼロ)ことになってしまいかねませんので、そこんとこよろしくお願いいたします。
これは子どもを自分と同一視して、自我を持つことを許さない母親とその息子(静一)の話なんですけど、うーん、いわゆる「母子密着」みたいな生やさしいレベルではない。息子が自我を持つことを許さず、もちろん恋をすることも許さず、性の目覚めも許さない。自分と同じ人間であることを要求するというか、自分を自分の思い通りに育て直しているという感じ。
でも読み返してみると、序盤はまだ、息子に逃げ出せる余地が少しだけあるように見える。
学校での静一は、やっぱり少し人付き合いが苦手そうというか、人前でどう振る舞えばいいのか測りかねているというか、若干生きづらさを感じている感じはするものの、普通に仲良くしてくれる友達もいて、好きな女の子(吹石さん)もいる。とある事故(または事件)の瞬間までは、まだ一応母親を客観視できている部分もあるように思います。
しかし、その事故をきっかけに、静一は吃音がでて、普通に話をすることができなくなってしまいます。でも吹石さんと両思いになって、それをきっかけに「息ができる」ようになり、家の外では話もできるようになります。
吹石さんも、母親がいなくて父親が暴力を振るうという、家庭環境に恵まれない女の子で、まあ正直「欠けているものがある同士、共依存的に惹かれ合う」みたいな感じがして、そんなに健全ではないな、とは思うのですが、でも吹石さんの方は、その家庭環境の中でも、まだちゃんとした「自我」とか「反抗心」のようなものが育っているようにみえる。
その影響もあってか、2人で話をしている所を母親に見つかってしまった時に、静一はおそらく初めての反抗をして「おまえなんかいらない」といいます。そして吹石さんもお母さんの並々ならぬ異常性に気がつきます。ここで、静一が母親の呪縛から逃れる道もあったように思うんです。
でも、そうなった時に母親が、自分自身を傷つけたり責めたりする行動をとるんですよね。
子どもは基本的に、親を傷つけたくない。自分の行動が親を傷つけると思うと、繊細な子どもは身動きが取れなくなると思う。自分のせいで親を責めるのが他人であれば、他人に「悪いのは自分だ。親を責めるな」と怒ることができるけど、親責めているのが親自身である場合、その親を責めることはできない。だからきっと本当に悪いのが自分であろうとなかろうと、自分を責めるしか無くなるのではないかと思います。
同じ支配的な親であっても、吹石さんの親は強い。それにきっと本当は、吹石さん自身が思っているほどは劣悪な環境でもないような気がします。多少乱暴ではあるけど、家の中での会話の様子を見ても、静一の母親が尋ねてきた時の対応を見ても、常識の範囲の親と思春期の女の子の普通の反抗期、という関係なんじゃないかと思う。吹石さんが親に歯向かうとき、要求されるのは「強い者に立ち向かう」勇気だけど、静一が要求されているのは「親を傷つけ、下手したら壊す恐怖に立ち向かう勇気」だと思う。それはとっても難しい。
例えばいじめられている子がそれを隠したりするのも、「余計なことをされたくないから」も多少はあるかもしれないけど、「親を悲しませたくないから」ですよね。親の心を人質に取られたら子供は弱いんだと思う。この世に傷つかない人はいないので、「親は何も言っても傷つかない」と誤認させるのもよくない気はするけど、子どもが健全なレベルの反発や反抗を示す、あるいは話したいことを話すためには、「自分よりは強い」という安心感が必要なんじゃないか、と思います。
そんな訳で、結局静一は吹石さんを振り切って母親の元に戻ってしまいました。家に帰った静一は、そこで本格的に自我を奪われてしまいます。自分が記憶していた「事件」を母親の語る「事故」に上書きされ、読んでいるこちらも「あれ?結局どっちが本当なんだろう」と混乱します。
さらに、自分は吹石さんとの関係を全て語らされた上で、嫌悪感をあらわにして拒絶されて、捨てられたくないあまりに、全て母親の言う通りに、でもそれを「自分の意志として」選んだと考えさせられるようになります。母親自身も静一と、この年齢にしては異常な、ある種性的にも思えるレベルのスキンシップをとっていて、そこがまた気持ち悪いのですが、でもあれはきっと、一体化しようとしているのか、自分が受け取りたい全ての愛情を注いでいるのか、何かよくわからないけど、性的な関係とはまた違うもののように見えます。
その後、いろいろあって(急に雑)静一は「自分は自分のものである」ということを知り、母親を憎み、自分を取り戻しかける…かと思いきや、呪縛は解けず、ずっと「母親がどう思うか」「母親に見られている」という意識に縛られていて、それにもかかわらず、母親はそんな息子を完全に捨てる。
その後は完全に決別した人生を歩んでいくわけですが、結局のところ、母親が息子にかけた呪いは解けていないまま、数十年後に再会し、母親自身も苦しんでいたことを知り、そこでようやく一応、ある意味での許しというか、わだかまりの解消には至ります。最後には静一は母親を看取り、解放されたかのように穏やかに本を読みながら自分の人生を送っています。
読み返してみると、静一の状態が移り変わっていくのが、言葉でも絵でも表現されているように思います。静一が客観性を失ったり、自分の意思を失ったり、自我が混乱したりしているのがよくわかる。そして、逆に少しずつそれを取り戻していく過程も、伝わってきます。
冒頭と終盤では、静一目線での「ナレーション」的な、表現があり、それ以外の(多分)一切ない。
事件(事故)をきっかけにでた吃音は静一が「言いたいこと」と「言ってはいけないこと」の間で苦しんでいる感じがするのに、母親の言うことを全て受け入れた後は、逆に吃音がほぼ消えている。
静一が会話の相手や猫が自分自身に見えたり、母親に見えたり、他の人に見えたり、あるいは自分が他の人に見えたりと、静一の自他の境界のようなものが混乱しているのが見て取れるけれど、終盤には自分の姿も母親の姿も、ありのままに見えるようになっている。
最初に読んだときは、ちょっと「訳が分からない」と感じる部分が随所にあって、そこもとても気持ち悪くて、無意識に読み飛ばしていた部分さえあったのですが、その「訳のわからなさ」はおそらく静一が感じている混乱そのものなのかもしれません。
最後は何となく若干「救い」っぽい雰囲気ではあるんですけど、でも私から見るとそれは「マシ」レベルにすぎなくて、結局息子の人生には、自分と母親との関係以外が最後まで存在しないように思えます。仕事以外の「自分の人生」が「本を読む」だけって…それは本当に「自分の人生」ですか?みたいな気持ちにならずにいられません。
結局のところ気持ちの上でのわだかまりは解けていても、息子に自分の人生を歩ませないという母親がかけた呪いは最後まで解けていないんじゃないだろうか。
本当に、重くて、母親があまりにも異常で気持ちの悪い話だったんですけど、それなのに身につまされる。
親子関係に多少なりとも「何か」を抱えている人は、読むときっと「自分が親にかけられた呪い/自分が子どもにかけているかもしれない呪い」のことを考えずにいられないんじゃないかと思う。
明らかに毒親めいた行動はもちろん、本当に子どものためを思った言葉や行動であっても、あるいは「能力も人柄も、子どもへの接し方も完璧な親」であってさえも、子どもの生まれ持った性質や、タイミング、遺伝か何かのちょっとしたバランスなどによっては、子どもにとっての「呪い」になり得ると思うんですよね。
私も、母と仲は良いし大好きではあるけれでも、母に対して感じているわだかまりや恨み、その反面感じている申し訳なさ、みたいなものを再度引っ張り出されました。
そして私には子どもはいないけれど、「親の呪いに縛られず自分でちゃんと幸せになれる」みたいな子を育てたいと思っていたわけですが、もしいたらそう思いながら結局そういう呪いをかけてしまっていた可能性もあるよな…と思います。
ストーリー自体も重くて気持ち悪いのに加えて、自分の中にある重い気持ち悪さも突き付けられる。そんな感じです。
この漫画を読んで、全くそうならない人は、とても恵まれた、自分の内側を深堀しなくて済むような、健全な親子関係、あるいはいい意味で繊細すぎない心をお持ちなのかもしれません。そして、きっと静一の父親はそういう人だったんだと思う。決して悪い人ではなく、精神的にも「ごく普通」で、そうであるがゆえに、二人のことを理解しきれなかった。そしてそれを申し訳ないと感じるくらいに良い人。
ストーリーの大部分が、母親または静一の歪んだ認知をもとにして描かれていて、最後まで何が本当なのか分からない感じなのですが、おそらく何となく「ちょっと嫌な奴ら」のように映っている父親の実家の家族も、あくまで「母親の歪んだ目」から見えている景色であって、本当はさほどでもない普通の家族だったんじゃないかと思う。
これは読む人によって、単純に怖い気持ち悪い面白いですむのか、訳わからないつまんないとなるのか、身につまされて重くて心が死ぬのか、救われるのか、すごく感想がわかれる漫画かもしれない。と思って最終巻の世間のレビュー見てきたら、私の感想と違いすぎワロタ、となりました。まあ、育ってきた環境が違うからね、好き嫌いは否めない。(突然の山崎まさよし)