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戦略を失う”優しい”日本企業と、強い中国企業、京都企業

要約

日本企業との日常の付き合いの中で驚かされることがあります。端的に言えば、「経営力」が弱くなってきているということで、我々チームの実感値から中堅以下の企業に少なからず見られます。リーダーシップや組織の問題なのでしょうか。それとも人に由来するものなのでしょうか。中国企業の例も一部取り上げつつ日系の特に中堅・中小企業の経営力について示唆を得ていただければと思います。

とある中堅日系技術系メーカーの話

探検隊の活動の中で日本のメーカーからお声がかかることがあります。ファンドを含めた金融機関から、そして直接の場合もあります。ある日系の中堅技術系メーカーのトップは中国からも含めて外部からの投資を迎えたいという相談でした。中国人投資家に期待することとしては現地での売上・利益の拡大です。そのための戦略については相手方に委ねたいとのことで、実際に案件が成立した後についても中国での事業についてはトップは相手方に任せたいとのことでした。

ここまで聞いて違和感がない方もいらっしゃるかもしれません。一方で中国の投資家側の立場で考えるとどうでしょうか。中国からの投資に期待している日本企業が中国戦略について全く考えておらず、かつ責任ある立場にもつかないと言われれば、それは少し違うのでは?と思うのではないでしょうか。中国における競争戦略は中国の市場、競争相手、取引先などももちろん影響しますが、当該日本企業の強みをその中で相対評価した上で勝ち筋が見えます。お互いの協力関係があってこそです。

トップの世代交換に問題あり?

かつて世界を席巻した名だたる日本企業の経営者を第一世代としましょう。印象論になるかもしれませんが、彼らは中国も含めた発展黎明期にある市場に自ら果敢に打って出ていきました。今以上に厳しい環境の中でダウンサイドのリスクに晒されながら、です。第一世代の躍動感と先ほどの話にはまさに隔世の感があります。この違いは何に由来するのでしょうか。

ここからは我々の想像ですが、この隔たりの所以は第一世代が強すぎたことにあるのではと考えます。結果として第二世代の中で強いリーダーが育たず代わりに組織的な合意形成を志向します。当然、リスクある判断に対する積極的なリーダーシップを発揮することは叶わず、それを見た第三世代はリーダーを目指すことすら諦めて小粒になっていったというわけです。

とある中国企業と京都企業から見えるもの

中国企業は一族経営が少なくありません。世界で高いシェアを持つメーカーの二代目は周囲からその能力について疑われていました。しかし親である第一世代の社長は息子に会社を継がせる際にこう言いました。「資本主義社会において会社は誰のものであるのか。それは最も株式を保有する私のものであり、私の息子のものである」として周囲の雑音をかき消したのです。

さて、京都には世界で高いシェアを持つ企業が数多くあります。規模の大小に関わらず非上場で家族経営の形です。京都企業についての本を読めば分かることですが、彼らは世のため人のためを無視しているのではありません。「世」の定義が一般的なものよりも狭く、家族とその周辺で顔の見える範囲なのです。その中で「千年の計」を考えて実行し続けることによって、100年(以上)企業として世界にその名を轟かせてきたのです。

ステークホルダー経営が謳われる日本社会においてはもはや古い考え方として捉えられるかもしれませんが、後世の経営者が強いリーダーシップを発揮することは間違いないモデルです。

喧嘩、ワイガヤの文化

日本の有名企業の創業者社長の言葉で「次の世代を育てるのではなく、次の次の世代を育てる」とおっしゃる方がいます。またその企業では新しいアイデアを採択する際に「全員一致は不合格」というルールがあるそうです。経営者を育てるということは時間のかかることであり、かつ仮にそれが反対のものであったとしても意見をぶつけ合うことによって行われる、ということなのでしょう。

トヨタ(グループ)には”大部屋”、”ワイガヤ”と言った文化があります(詳しくは調べてみてください)。トップダウンではなかったとしても自由闊達な議論が行われる組織、それを支える風土があり、かつ創業者が強いリードをとることによってまさに”ハイブリッド”な強い意思決定・実行を行えているのが、今のトヨタなのではないでしょうか。

日本企業が積極的で強い意思決定をするためのヒント

創業者一族がリードしつつ、議論をぶつけ合う組織が支える。それが日本企業の強さの秘密であり、今も眠っている潜在力であるとすれば、増資や上場による創業者持ち株の希釈化や、必要以上に保守的な部分を見続ける内部統制システムはあまり良い方向に作用するとは思えません。

もちろんすべての企業に当てはまることではありませんが、MBOをすることによる経営層によるオーナーシップの復活、結果としてのリーダーシップの獲得は強い打ち手になるでしょう。ボトム、ミドルラインでの組織論やリーダーシップに対するフォロワーシップ的な話のみが横行する二元論的な経営論から脱却し、トップダウンやリーダーシップについても冷静に考えてみることが本質であると我々は考えます。

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