だから、あなたには同じものを
朝9時、チャイムが鳴った。パソコンの前に座ったままモニターの向こうに視線を移す。レースカーテンの隙間から見えたのは白い軽のワンボックスで、ちょうどドライバーが荷物を運び出しているところだった。佐川急便のお兄さんじゃない。珍しいなと思いながらインターホンに出ると、「お荷物のお届けにまいりました」という女性の声が返ってきた。
ゆったりとした動きでゆうパックを手渡してくれる配送員。失礼だけど短時間に多くの荷物を届けるこの仕事は適職ではないようだ。けれど「大切な荷物を手渡す」という観点から見ればその人は満点。美しい所作のおかげで、今日が素晴らしい一日になるような気がした。暦ではすっかり春なのにまだ冬のセーターが手放せない朝。バタバタと仕事をしていたその日は私の誕生日だった。
伝票に書かれた友人の名前に自然と口角が上がる。彼女は今の仕事を始めた時に出会ったひとつ年上のデザイナーだ。お互い転職組だったこともあり、入社後すぐに仲良くなった。やさしい色使いと繊細なデザインが得意な彼女は入社試験の時から優秀なディレクターの目に留まっていたようで、初仕事から大きなカタログを任されることになった。重要な打ち合わせに同行し、上司からの難題をこなしていく。次第にそれがプレッシャーとなり、口数が減っていった。
忙しい時はランチのパスタを食べながら、早く上がれた日は駅近くのカフェでスイーツを食べながら。彼女とはプラベートを含め、たくさんの話をした。彼の話をしていたはずが、気づくと今携わっている案件の話になっていることもしばしば。そのくらいには二人とも仕事が好きだった。
ねぇ、どう思う?のひと言から始まる彼女の話は、社長の雑用がメイン業務だった私にとって眩しすぎるエピソードばかりだった。彼女はいい意味で頑固、力加減が苦手な人だ。先方が100点の出来栄えを2つ出して欲しいと言ったらそのことだけを考えるタイプ。もちろんそれは間違いではないけれど、他にも業務を抱える会社にとっては時に厄介だ。「80点の合格ラインで2つ完成させ、別案を企画書の体裁で持っていく。プレゼンをする場が与えられている今回はそのやり方で3案提出した方が先方にとってもいいはずだ。だから君は残った時間で他チームの案件を手伝ってやってくれ」そう話す上司の言葉に納得することができないと悩んでいた。
私に実力があったら喜んで代わるのに、と伝えると、私に愛想があったら喜んで代わるのに、と彼女は言った。何杯目かのコーヒーを飲みながら、最後はいつも二人で笑いあった。
結局 彼女は2年で会社を去った。別の会社に入り、デザインを続け、そこで知り合った人と結婚した。
数年経った頃、転機となる大きな仕事が私に舞い込んできた。思いを伝えることはできても、ビジュアル化する能力が足りない私には有能なデザイナーの助けが必要だった。社内のデザイナーが片手間でできる仕事ではない。真っ先に思い浮かんだのは彼女の顔だった。
フリーランスとしてデザインを続けていた彼女は私と一緒ならと引き受けてくれた。最近の仕事を見せてもらうと、思った通り今回の案件にぴったりのテイスト。打ち合わせもプレゼンも二人だけでやり遂げ、仕事をひとつ会社に入れることができた。途中、進め方で衝突したし、彼女のご主人に業務内容の説明もしたし、胃薬を飲んだのも一回や二回ではない。でもあの充実感は彼女としか味わえなかったもので、今でも私を支えているのは二人で手に入れた自信だった。
*
ゆうパックの中には平たい包みと一通の手紙が入っていた。メッセージに目を通す前に『太陽ノ塔 洋菓子店』と書かれた包みを少し持ち上げて裏側を覗いてみる。内容表記のシールには「タイヨウノカンカン KURO」と印字されていた。どうやら焼き菓子のようだ。
半年ほど前、彼女から相談したいことがあるとLINEがきた。そのもっと前には感染症が怖くて外に出られないという連絡をもらったこともあったから、私は慌てて電話をかけた。でも今回彼女が悩んでいたのはご主人のことだった。
彼女には子供がいない。誰よりも望んでいたのに叶えられなかった。今は趣味でペット雑貨のデザインをしながら、デザインとは無縁の仕事をしている。寡黙なご主人とはいい距離感を保ちながらうまくやっていると聞いていたけれど、二人だけの生活が長くなるとまぁいろいろ出てくるようで。
私たちは仕事の影響もあってか、相手の言葉のすべてに応えようとするところが似ていた。あの仕事、長くやりすぎちゃったよね、と言葉をかけると、ほんとに、とうれしそうに笑う彼女。1時間ほど話をして、声のトーンが最初より高くなったのを確認して電話を切った。
そういえば数日後は彼女の誕生日だ。いつもはメッセージのやりとりしかしていないけれど今年は何か美味しいものを贈ろうと思った。全幅の信頼を置いているパティシエールが缶デザインからこだわって企画したクッキーが頭に浮かぶ。海外で修行したのち、家庭を持って地元で洋菓子店を開いた彼女の自信作がちょうど店に並ぶタイミングだった。缶の蓋を開けると羽ばたく鳥を象ったクッキーがまず一枚、その下には素材にこだわった数種類がぎゅっと詰まっている。このアソートに込められた思いはメッセージカードとして同梱されていた。自分で道を切り開いた女性職人のクッキー缶は必ず彼女の力になる。私は確信していた。
後日届いたLINEは、弾む心がそのまま文章になったようだった。普段 絵文字をあまり使わない彼女とは別人みたいなカラフルな画面。お祝いのお礼、缶デザインの感想、味の素晴らしさ。長い長い文章にはハートマークまで入っていた。特に感激したのは、もう一度クリエイティブに関わりたくなったと言ってくれたこと。報告を聞いたパティシエールが自分のことのように喜んでくれたのもまたうれしかった。しあわせは連鎖する。だんだんと大きくなりながら。
*
抱えたままになっていた平たい包みに心を戻す。包装紙の下は想像した通りクッキー缶だった。
缶のデザインはおしゃれだし、中央に鎮座する手の形のクッキーはインパクト大。口に入れるとほろほろと崩れていくココアクッキーも私好みだった。控えめに言っておいしすぎる。自分のためには買えない素晴らしいプレゼントだ。
でも。この違和感はなんだろう。
半年の時間が空いたとはいえ、クッキー缶を送ってきた友人に普通クッキー缶を送り返すだろうか。私にはできない。どんなに素敵なものを見つけても、同じものはダメだからと別を探してしまう。送り主が付き合いの長い彼女でなければ、違和感はもっと大きくなっていたに違いない。
そうだ手紙を読み忘れていた。空想癖のある私は、時々大事なことを置いてけぼりにしてしまう。チューリップをモチーフにした便箋の、少し丸みのある文字が懐かしかった。
お祝いの言葉に続いて近況が書かれていた。ご主人は相変わらず口数が少ないようだけれど、彼女の心持ちが変わったことで二人の時間に笑顔が増えたらしい。クッキー缶が届いて、一緒に食べて、何かが動いた、そう書かれていた。
私への贈り物はクッキー缶しか考えなかったという文字を追いながら、ますます首をひねってしまった。どうしてそうなるの?やっぱりわからない。そんな中、次のひと言に目がとまってハッとした。
「違う感性で、同じものを選んでみたの」
彼女は自分がうれしかったときの気持ちを私にも味わわせてくれようと、数あるクッキー缶の中からただひとつ、自分が納得できるものを、私が心から喜ぶものを見つけ出して贈ってくれたのだ。きっと違う品物を選ぶよりも難しかったはず。そうやって気持ちを共有しようと思ってくれた彼女に、あぁ、やっぱりかなわない、と思った。
あれから数ヶ月。世の中の揺れにうつむいてしまう日もまだ多い。そんな時私は、クッキー缶に入っていたメッセージを思い出して前を向く。
過ごしてきた時間、すべてが集まって今の私。
大事に集めたもの、すべてを握って進み続けよう。
クッキー缶は私の宝物。
自分を信じる力を贈ってくれてありがとう。