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欲張りなエルフでいこう

リビングで歓声が上がった。
キッチンカウンター越しに覗いてみると息子と姪が笑い転げている。

「そっくりそっくり」
「ねえママ見てよ!」

テレビにはNintendo Switchの画面が映し出されていて、似顔絵キャラクターたちが戦っていた。武器を振りかざしているのは茶色いウェーブヘアにタレ目の女、まあ確かに私に似ている。手に持ったマイクから繰り出される会心の一撃、そしてキメ台詞。

”どうしよう、どうしよう“

えっ?

勝ったよね?今。
「どうしよう」ってなにそれ。

子供たちの笑いが止まらない。
アイドルの職に就いているらしい私はフリフリの衣装でポーズを決めていた。

もういいから取りに来て!
夏休みに入って何度目かの炒飯をお皿に盛る。
今日のはすごいんだから。こっちはプリプリのエビ入り。

むきエビはどこのスーパーでも売っているけれど、背わたを取ってすぐ使えるようにしてあるのは駅の向こうのスーパーだけだ。冷凍じゃない、ボリュームがある、お財布にやさしい、そしておいしい。巡り合えるのは月に数回だけなのに思い出すとつい足を運んでしまう。

それにしても、こういうのも来店動機に繋がるって向こうの課長わかってるのかな。目を引く商品を安くしないと客は来ないって確かにそうかもしれないけどそれだけじゃないよな。かといって、ベストポジションにパックに入ったむきエビの写真をそのまま載せるってわけにも。うーん、撮り直し不可、料理提案は見飽きた、でもチラシの可視率は上げたいって難しすぎない?どうしよう。

「ママは食べないのー?」

すぐ行くと返事をしてフライパンの残りをザザッとお皿によそった。続きはまたあと、夜にしよう。この生活リズムにもいいかげん慣れてきたし、まあなんとかなるはず。


*

「とりあえず月曜日は家にいてください。今後のことは社内で相談して、決まり次第すぐお知らせします」

連絡をくれたのは同じチームで働く小林くんだった。



2020年2月28日 金曜日、息子の通う小学校からメールが届いた。来週から市内の小中学校を一斉臨時休業にするというお知らせ。あぁこれで得体の知れないウイルスから息子を守れる、ホッとした時、立て続けにLINEが鳴った。

ホントよかったよね、うんうん、怖かったもん、えーでも卒業式どうなるんだろう、だよね6年生かわいそうだな…

ママ友のグループLINEがすごい速さで進んでいく。私も何か返事をと思っているとまた別のメッセージが飛んできた。

“でさ、みんな仕事どうする?”

そうだ、会社だ、どうしよう。

結婚を機に長年勤めたデザイン事務所を退社した私は勤続年数以上のブランクを経て職場に復帰していた。思いのほかスムーズに馴染めたのは、離れている間も同僚たちが作業しやすい仕事を回してくれたおかげだけれど、それにも増して関わる仲間が昔と同じ顔ぶれだという安心感が大きかったのだと思う。

当時、夜明けまで一緒に働いた後輩は、今ではクライアントから信頼されるディレクターとなっていた。他にもリーダーとしての才覚を発揮し経営に関わることになった者、撮影の打ち合わせに飛び回っている者、事実婚を選び不規則なデザインワークを続けている女性と、みんな立場は随分変わっていたけれど誰もが記憶のままの笑顔を向けてくれた。どうやら私は相手の印象を外見で決めていないようだ。目尻のシワも髪の毛に混ざる白いものもあまり関係がなかった。人って時間で変わるわけじゃないんだなと思いながら、きっと自分も彼らにとっては昔のままなんだろうと嬉しくなったのを覚えている。途切れた時間を気にせずに過ごせる空間は心地いい。復帰後、気付けばあっという間に2年が過ぎていた。

作業だけを取ればブランクの長い私は即戦力ではなかった。新しいデザインソフトは使ったことがなかったし、初めて聞くクライアントにはオリジナルのルールがあってそれを覚える必要もあった。それでもコピーライターのいなかった事務所に、多少のデザインワークとそれなりの商品コピーを書く人間が戻ってきたのは便利だったようで、対外的にも強みができたと喜んでもらえた。相手の喜びがモチベーションに繋がる私にとっては願ってもない環境。おまけに題材となる商品は日常使いのものばかりで、主婦となった今だからわかる顧客心理も有利に働く。私は限られた時間の中、精一杯 仕事をした。


近くに住む実母と妹にはとてもお世話になった。終電で帰る日は息子の食事や翌日の学校準備をフォローしてもらい、高校生の姪には勉強も見てもらった、なんて言うと完璧みたいだけれど、みんながそれぞれ忙しさを抱える中での最善であって、ほか弁やファーストフードも登場したし、急きょ必要になったノートが手に入れられないこともあった。それでも息子の心がいつも満たされていたのは間違いなく家族の協力のおかげだ。ゲームをやらせ過ぎちゃったと謝られる日があってもそんなのは些細なことだった。

通勤途中でこっそり飲むコーヒーも私のひとり時間を豊かにしてくれた。仕事のアイディアをまとめたり、本を読んだり、時々自分でも文章を書いたり。寝不足で体は疲れていても心が軽いと気にもならない。このまま仲間との信頼をさらに深めて、息子の手が離れる頃には完全な形で仕事に戻ろう、リハビリ期間の今からこんなに充実しているなんて私はついてる、そう信じて疑わなかった。




あっ、と手元のスマホに目を落とす。真っ黒になった画面から復帰させるとメッセージのやり取りはまだ続いていた。休み中の食事を気にするママ、それならあの冷食がおいしくて便利だとアドバイスするママ、それを特売していたお店を教えてくれるママ。出遅れちゃった、あとでゆっくり返事するね。そう打ち込むとすぐに既読がついた。

ごめん、お仕事中だった?学校のこと何かわかったらまた情報流すから安心して。うんそうだよ、荷物の引き取りあったらまとめて取ってきてあげる。成績表をもらう日だけ親が行けば大丈夫だよ。

年下のママたちはどうしてこんなにも頼もしいのだろう。涙をためたうさぎに“感謝“という真っ赤な文字が入ったスタンプを送って、ありがとうと心で呟いた。画面を閉じて、急いで会社にいる小林くん宛のメールを作る。

息子の学校の臨時休業が決まったこと、さすがに朝からずっと実家に任せるのは難しいこと、自分もウイルスは不安だけれど高齢の母に持ち帰ってしまうのがさらに怖いこと。


結婚して都心を離れた私は、通勤に2時間近くを費やしていた。同僚と同じ時間に出勤するため満員電車に乗っていたこともあり、まずは出社時間を調整してもらおうと思って相談した。小林くんからの電話はすぐにかかってきた。

「ちょっと微妙な状況になってきましたよね。遠くから電車で通うのもリスクが高いしな。ここだけの話、もし自分の奥さんがsuzucoさんの立場だったら行かせたくないですよ。どうにかできないかな…とりあえず月曜日は家にいてください。今後のことは社内で相談して、決まり次第すぐお知らせします」


それから1年5ヶ月、私は一度も出社していない。


社員ではなく外部スタッフとして席を置かせてもらっていた私にとって、仕事量の低下はそのまま収入減少に繋がる。いまやナンバー2の実力者である小林くんは就職して初めての先輩が私だったことを律儀に覚えていて、今までにも増して心を砕いてくれた。おそらく自分で簡単に片付けられる仕事も回してくれたのではないかと思う。小林くんから話を聞いたと連絡をくれた人もいた。私のために割いてくれた時間を思うと本当に頭が下がる。

それでもやはり限界はあった。
突然オーダーされる短納期の仕事や時間のない修正作業、細かいすり合わせが必要な案件は会社にいるから手伝えていたものだった。様子を見ているうちに取引先が出社率を下げはじめ、それに伴って同僚たちもテレワークの準備を始めた。メインで扱っていた人流に関係の深いチラシはそれ自体の本数が減り、予期していなかった世情の変化に、印刷を待っていたデータが使えなくなった。

何か別の手を打たなければ、そう思ったのは月の収入が前年を大きく下回る生活を半年ほど続けた頃だ。小林くんをはじめ、仕事をくれていた人たちに副業を探そうと思っていることを話した。嬉しかったのは状況が変わったらまた一緒に働きたいと言ってもらえたことだ。不定期になるけれどと言いながら新しく仕事をくれた人もいた。あたたかな気遣いすべてが心に染みる。それなのに私はますます困ってしまった。

主婦で、母で、細かな作業を掛け持っている私にできるアルバイト。そんなのあるんだろうか。どうしよう。


数週間にわたり、コンビニに置いてある求人誌を持ち帰り、webの求人ページを眺め続けた。何がやりたいかではなく条件に合うものを探さなくてはならないことはわかっている。わかっているのにそれがどうしても難しかった。私は「割り切る」ことができない性質らしい。

ある時、webの求人ページに見慣れた文字を見つけた。そこにあったのは産後、流通広告の世界に戻ることを決めきれなかった頃に勤めた幼児教室の社名だった。在職中に父の病が進行し、家族で一緒に過ごす時間を大切にしたくて5年ほどで卒業した講師の仕事。定年のない仕事だから戻りたくなったら教えてと声をかけてくれたマネージャーはお元気だろうか。同期だった彼女はまだ続けているだろうか。急に懐かしくなって、久しぶり、元気にしてる?とだけLINEを送ってみたら、講師の募集してるからまた一緒にやろうよというタイムリーな返事が届いて私はもっと揺れてしまった。

つい先日、テレワークの今しかできないと「要約筆記者養成講座」に飛び込んだばかりだ。その勉強は来年以降も続いていく。いろいろなことに手をつけたままの私が幼児教室に戻れるのだろうか。どうしよう。

他の講師も副業だし、経験者だから大丈夫。週に1日からできるから話だけでもしようと言ってくれる彼女に、もう少し落ち着いたら会いに行くと返事をした。




いったい私はどこに向かいたいのだろう。
いったい何をしたいというのだろう。

カードはどんどん流れてくるのに集めるマークを決められない。
絵札はたくさん持っているのにそのどれも手放せない。
これじゃまるで、永遠にあがれないトランプの51みたいだ。

でも、と思う。
どうせ私は「割り切る」ことができないのだ。
クローバーが揃いそうだと思っても、
ハートのキングとクローバーの5を取り替えることはできない。
マークを揃えるという理由では、集めてきた絵札を手放せない。

ならば、ごちゃ混ぜのまま51にすればいいのではないか。
ゲームに勝つことより、私は私を喜ばせることを選びたい。

会社に行けなくなって、悩んでもがいていたら自分の手札が見えてきた。
今まで懸命に掴んできた色も形も違うマークの絵札たち。
1枚で? 数枚まとめて? 使い方すらまだわからないけれど、
いつかそれを集めた自分を誇れる日がきたらいいと思う。


*


「食べ終わったらお皿くらい洗ってよね」
「はいはい、わかってまーす」

声を揃えて言う2人に、まったく生意気なんだからと言い返そうと思ったら、今日の炒飯すごくおいしかったよなんて先に言われて口元がゆるんでしまった。

でしょ?そうだよね?
このエビいいよね?

やっぱり次の企画にはダメもとで、むきエビを入れてみよう。
もっと考えたら何かいいアイディアが浮かぶかもしれない。


テレビ画面を見ると、いつの間にかキャラクターの服が変わっていた。武器もなんだか違って見える。なにか変えた?と聞いたら、さっきはふざけてたけどママは本当はエルフなんだよと言われた。伝説の服と伝説の弓を装備した攻撃も防御もできる超優秀職とか。よくわからないけどすごい。


きっと、明日の私も迷っている。
でも気付いた。それは悪いことじゃない。
だって「どうしよう」は勝利のキメ台詞で、
周りには一緒に旅してくれる仲間がいるのだから。


いろいろ欲張るのはよくないと言われてしまうかもしれないけれど、
自分が合格点を出したものから順に机に並べていきたいと思う。
マイルールはひとつだけ。
プロとしてお金をもらえるレベルに達していないものは外に出さない。
そのカードは手元に残して大切に磨き続けること。


今できると信じるものを、背伸びせずに全部やる。

これが私のはたらき方だ。






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