真夜中にインターネットで祭りの続きを
6月、noteもTwitterもゆっくり追う時間が取れず、いつも そわそわしていた。
そんな中、ぽのこさんのツイートを見つけたのは素晴らしい偶然だったと思っている。真夜中インター?なんだろう。山羊さん、野やぎさん、サラさんの名前も上がってきている。
その日は訳もわからずTwitterを閉じた。
同人誌が発行されると知ったのは数日後の夜中。あ、そういうことだったんだ。迷わず申し込んだ。
タイムラインをさかのぼると、多くの方が『真夜中インター』を話題にしていた。今更かもしれないと思いながらも帯を考えてしまう。だってやっぱりこれはすごい。好きな書き手さんの作品だけが詰まった紙の本だなんて。
そっとシェアをしてTwitterを閉じると、張りつめていた心が少し緩んだ気がした。
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忙しい1ヶ月だった。
月初は息子のワクチン接種。中学校では地震を想定した保護者の引き取り訓練やPTAの役員会もあった。中旬からは授業参観に中間テスト。そして、ようやく実現した他県への宿泊学習。
週末の部活にも試合が増えた。うれしい反面、今まで通りとはいかない不便さも感じてしまう。対戦校へは各自で向かうのが条件だから送迎は保護者の役目。友達との乗り合いは基本NG。仲良しママとの交代制にもできない。
試合のない休日に歯科矯正を予約する。息子の反対咬合の治療は順調らしい。よかった。日曜日も診てくれるクリニックの受付は、福原遥ちゃんが年を重ねたようなかわいらしい人で、話すと心がほっこりする。自然に振る舞っているだけなのに相手の笑顔を引き出せるなんてすごい才能。
自分のことでもイレギュラーが多い月だった。リモートでのパソコン作業と要約筆記者養成講座は毎月のルーティン。そこに病院と美容院が追加された。定期検診も縮毛矯正も予約したのはかなり前だから忙しさを予測できなかったのは仕方がない。けれど講座の課題がこんなにも大変だったとはまったくの想定外だった。
そういう時に限って縮毛矯正もうまくいかない。担当美容師は別日に直すからと謝って、数日先に予約を入れてくれた。施術にかかる時間は約5時間、1日潰れてしまう。月末には要約技術の成果を試される模擬演習があるというのに。この前 叱られたばかりだというのに。
「すみません」ではもう済まされない。復習しなければ。自由に使える時間がもっともっともっと欲しい。
そわそわしていたのは忙しさのせいではなかった。
いろいろな方向に散らばっている自分の気持ちを集めきれていないからだった。
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中学生に3回目のワクチンを打たせるかどうか、ママ友のグループLINEには日々メッセージが飛んでいた。
打つとしたらいつ? 体育祭や中間テストに支障が出ないタイミングで宿泊学習に効果が間に合う日だよね。でもさ、試験前に学校休ませるの嫌じゃない? 土曜日は? あ、部活の遠征が入ってる。うちは塾の試験。うちはその日実家に行かなきゃ。っていうかさ、休日に予約の電話ってできるんだっけ?
目を離した数秒の間にメッセージがどんどんたまっていく。
ねぇそういえばみんな学校からの手紙、返事出した?
誰かが入れたメッセージに、トーク画面が静かになった。
今回の宿泊学習の参加は任意だった。学校からの手紙には、このタイミングで宿泊することについて意見を聞かせてくださいという設問があって、十分なスペースが空いていた。提出物はすぐに出す優等生の私が期限ギリギリまで迷って書けない。
締切当日、参加に丸をつけて持たせた回答欄には “頭では参加一択、けれど心が揺れた” という書き出しで、学級閉鎖が増える中、決断が難しかった理由と、送り出すことに決めた時の気持ちを書き添えた。
役員会で語られた学年主任の思い、しおりに載っていた子供たち主導のルール。どの言葉にも強い願いが込められていた。迷いを吹き飛ばしてくれたのはその言葉から感じる熱だったように思う。
noteをはじめて1年が過ぎた頃「心の適温」というタイトルで文章を書いた。私がここにいる理由はあのときから変わっていない。
初期の投稿を下書きに隠そうと考えた時期もあった。コメントをくださる方が増えたら、過去にさらけ出した感情を知られるのが急に怖くなってしまった。でもそうしなかったのは、そのままの私を受け入れてくれる人とだけ繋がれればいいと思えるようになったから。
Zoomもスペースも参加したことのない私に声をかけてくれる方たちがいて、そのやさしさに支えられて今日もこうして書いている。今年は桜色の景色の中、顔を見ながらお話しできた方もいた。数年前の私には考えられなかった出会いに心から感謝している。
始めたばかりの頃、noteは非日常だった。それが少しずつ現実と交わって、私の世界は広がった。ここで出会った人たちは ”知らないけれど知っている人”。曖昧で不思議な関わり方だと思うけれど、匿名でここに来た私には、今はまだそれでいいのかもしれない。
お祭りに間に合わなかった私の、勝手な後夜祭。
なぜ自分は書いているのかを考えたら、やっぱり私は書くことが、人と繋がることが好きなのだと気がついた。
思いが行き交う真夜中のインターネット。
ゆっくりでも、細切れでもいいから、私も書き続けよう。
今夜も、きっとどこかで誰かが書いている。
『真夜中インター』の到着がとても楽しみだ。