因果応報と5本指ソックス
ここ数年、年始の混雑を避けて初詣に出掛けている。歩行に不自由がある母もゆっくりお参りできるようにという理由だったはずが、参拝客の減った境内をゆっくり回れる心地よさを味わったらみんなのお気に入りになってしまった。節分までに行ければオーケーというやんわりとしたルールを決めて家族の予定を調整する。
家から車で数十分のところにある神社は、境内に続く長い階段も、神主さんの雰囲気も、祈祷の前後にしてくれるお話も評判通り素敵だった。母と妹家族と息子と私、まあまあの大所帯でも、時期を外しているので椅子に座って祈祷をしてもらえる。
”神様に祈るだけでうまくいくわけではなく、努力したことにお力を貸してくれるのが神様です” そんな神主さんの話を、今年は翌月の試験で使うシャープペンと消しゴムを握りしめながら聞いた。
私たちが座ったのは最前列で、目の前には賽銭やお供物が置かれていた。お堂を出たあと、自分の前はご神体だったとか、お酒だったとか、お米だったとか みんなが口にするのを聞きながら、私は目前に置かれていた棚の上の紙札を思い浮かべていた。「因果応報」と書かれた白い札。偶然座ったはずなのに今の私にぴったりだ。その4文字をしっかり心に留め置いた。
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「私もすごく緊張するから本を買って読んだりしたのよ」
過去問の質問に行ったとき、講師は心の整え方を話してくれた。彼女が読んだ本には、平常心を保つには心理的な部分に訴える方法(例えば手のひらに人と書いて飲み込むみたいなこと)ではなく、もっと直接的な方法をとるのが良いと書いてあったそうだ。5本指ソックスとかね、と微笑む姿に、ああ私もこんな女性になりたいなと心が上を向く。
近くのショッピングモールには靴下の専門店が入っていて、幾度となくその前を通り過ぎていたけれど、結局 手に取ったのは試験の3日前だった。体に良い効果があるとか、フィット感がいいとか聞くことはあっても一度も試したことのなかった5本指ソックス。物にすがるより、もっとやることがあるはずだなんてもっともらしいことを考えていたくせに、最終的には買うんだよね、私。割と簡単に決意を変えられるところも自分の長所かもしれないと思ったら、おかしくなって売場でちょっと笑ってしまった。
家に帰って早速試してみる。うーん、効果はよくわからない。そっか、今は緊張していないからか。でもきっといいんだよね。だって憧れの先生がそう言っていたんだもの。
テキストを開いても実技の練習をしても落ち着くことはなく、夢の中でも緊張しているような3日間だった。こんなに集中して勉強をしたのは久しぶりだったし、きっと受験そのものに不安を感じているのだと思っていたけれど、どうやらそれだけではなかったようだ。私は切実に試験を通過したかった。気づいてしまったのだ。資格試験に合格し、この仕事を本気でやってみたいと思っていることに。
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2月19日、全国要約筆記者認定試験の日。
2年間の講習を終えていよいよ成果が試されるときがきた。
同期の受講生が作った立派な てるてるぼうずのおかげで雨予報はくもりに変わったものの、当日は強風。春一番を受けながら海岸沿いの試験会場へ向かう。
家を出る前、挙動不審になっていた私にアドバイスをくれたのは息子だった。
「左手の親指の付け根のところを押すとリラックスできるらしいよ。本当かどうかわからないけど信じておけばいいじゃん」
うんうん、と頷きながら、いつからこんなことを言えるようになっていたんだろうと思っていた。いつだって自分ファーストの私は、この試験がなければ息子の成長にも気づけなかったかもしれない。
もともと、資格が欲しかったわけではなかった。聴覚障害を持つ友人のことを理解したかったなんて言うとかっこいいけれど、そんなに高尚なものでもない。友人にうまく心配りできなかった過去の自分を許したいだけだったのかもしれない。
学んでいくうちに知った思いもよらなかった世界。音声通訳と対人援助の双方向から、聴覚に障害を持つ方をサポートしていくことの難しさ。要約筆記者に求められるスキルは高く、資格を取ったあとも経験を積むごとに求められるハードルが上がっていくのだろう。自己研鑽を怠ることはできない。ましてや私の背景知識量では人の何倍もの勉強が必要になるのもわかっている。それでも。
今はただただ、やってみたい。
試験は難しかった。筆記は昨年までの過去問でそこそこ自信をつけていたつもりだったけれど、ここが出てしまったら捨てるしかないと思っていた”ここ”が出た。手書きの実技は咄嗟に漢字を思い出せなかったし、パソコンの実技はミスタイプや画面に表出するタイミングもうまくいかなかった。減点法の採点でそれらがどう響くのかわからない。正直、結果は未知だ。
でも、失敗も含めてそれが今の実力なのだと思うことにした。そう思えるくらいにはがんばったと思う。「がんばったが通用するのは高校までだ」と声高に言っていた人を若い頃に見たけれど、がんばったと自分で思えるのって悪くないよね。今なら胸を張ってそう言える。
結果は月末、まだまだ先だ。試験直前の数週間、仕事仲間は発注を止めてくれていたようで、終わったと報告をした翌日からまた作業をまわしてくれるようになった。受験のことを知っていたママ友は、春休みが始まる前にとランチに誘ってくれた。受講前はこんなに余裕があったのかと思いながら、今は適度に動きのある毎日を楽しんでいる。
家事や育児を含め、今後どの仕事をどのようなバランスでやっていくことになるのか、4月からのことはまだ何も決められない状況。不安なはずなのにどこか満たされている自分に驚いている。まずはひとつ区切りをつけられたことで自信を持てたのかもしれない。
チャレンジに年齢は関係ないことを身をもって体験した日々。
どんな結果になろうとも、私はこの特別な春を忘れないだろう。
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今回の試験に向け、コメントやDM、素敵な写真などを届けてくださった方々、講座に通うきっかけを書いた元記事を読んでくださった方々、本当にありがとうございました。あたたかな言葉やいただいたスキが心の支えでした。お心遣いに心から感謝いたします。
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