全米黒人地位向上協会による差別抗議行動
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1955年、15歳だったクローデット・コルヴィン(Claudette Colvin)は、バスの中で白人女性に席を譲ることを拒否した。この行動は、ローザ・パークス(Rosa Parks)による有名な抗議の9カ月前のことである。では、パークス氏が公民権運動の象徴となった一方で、なぜコルヴィン氏はほとんど無名のまま消えていったのだろうか?
公民権運動における「事件」の多くは、実はNAACP(National Association for the Advancement of Colored People
全米黒人地位向上協会)によって綿密に仕組まれたものだった。コルヴィンは当時、未婚で妊娠中のティーンエイジャーだったが、NAACPを率いて、彼女のコミュニティで尊敬されている年配の女性であるローザ・パークスと事件を再現させた。NAACPは、簡単に信用を失ったり攻撃されたりするような人物を選ぶことを避けたかったのだ。
ローザ・パークスによる抗議行動には特定の目的があった。アラバマ州モンゴメリーでは、当時のバスは前半分が白人用、後ろ半分が黒人用と決められていた。もし "分離しているが平等 "というルールが本当なら、白人席が埋まったら、白人の乗客は追い返されるはずだった。しかし、そうはならなかった。それどころか、バスの運転手は白人席を拡大し、黒人の乗客を一列後ろに下げさせた。ローザ・パークスはバスの前方ではなく、黒人席の前方に座っていたが、席を譲ることを拒否し、逮捕された。彼女の逮捕は、「分離していても平等」"separate but equal"が誤った概念であることを浮き彫りにした。
数年後、自分の行動を繰り返すかと尋ねられたコルヴィンは、「自分のしたことをとても誇りに感じています。私がしたことは火付け役となり、それが広まったと感じています。失望はしていません。ローザ・パークスこそ正しいボイコットをした誇りにふさわしい人物であったことを人々に知らせましょう。でも、弁護士たちが他の4人の女性たちを最高裁まで連れて行き、人種隔離を終わらせるきっかけとなった法律に異議を唱えたことも知ってほしい」。