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「アスリートが地域に入り、協働するということ」

自分は1995年の札幌でのワールドカップ最終戦で現役を引退しました。
その後は2014年ソチオリンピックのシーズンまで19年間ナショナルチームのコーチをさせて頂きたくさんの事を経験しました。

そしてコーチを辞めた後は、会社で総務の仕事をしていた時に名寄市からスポーツで街を盛り上げてもらえないかと名寄市長からお誘いがありましたが、50歳の自分が名寄に行って何が出来るか自信も無かったのですごく悩みました。

この時に悩んでいた自分を後押ししてくれたのは嫁さんの一言でした「あんたコーチをやめて仕事で頑張っているけど全然笑わなくなったよ…今会社で頑張っている仕事はあんたより出来る人がたくさんいるけど、名寄が求めているのはあんたしか出来ないんじゃないの!?」
この言葉に後押しされて名寄に行く決心が付きました。

2016.4.2北海道新聞

しかし自分は9歳でジャンプを始めて現役を29歳で引退し、その後48歳までコーチをしていたので人生ほとんどをスキーしかして来ていない自分に何が出来るのか全く自信がありませんでした。
そして名寄市は自分の出身地では無いので、地域の皆さんに受け入れられるかすごく不安でしたが、それを救ってくれたのは名寄へ行って一番最初に行動した「ナイトラン」でした!

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札幌では仕事終わった後に仲間と一緒に走る「ナイトラン」は定着していて多くのランナーが楽しく交流をしていたので、名寄でも市民のみなさんと一緒に走って交流できないかと思い、名寄で一番の理解者でもあるスポーツ店社長へ相談し「マサシナイトラン」をスタートする事になりました

ナイトラン

今も雨の日吹雪の日でもほぼ休まず毎週水曜日の夜はみんなで集まって走るようになり、これをきっかけに少しずつ市民のみなさんに溶け込んでいけるようになりました。

そして2年前から、「夜は仕事が終わらず参加出来ないので、にランニング教室をやってくれないか」と言う要望が多かったので水曜日の朝に「モーニングラン」を開催する様になりました。

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現在は100名近くになったナイトランのメンバーとモーニングランのメンバーが、自分の一番のサポーターでもあり、いつも応援してくれているのですごく力になっています!

そして自分は2016年から名寄警察署の少年補導員の活動もするようになったのをきっかけに、月に一回ですが警察の方と一緒に街中を走って見守る「防犯ナイトラン」を開催する様になりました。
その活動が認められて表彰状も受け取る事が出来ました!

2020.4.16北都新聞
それと昨年から毎週水曜日にナイトランと同じ時間にスタートする「ナイトノルディックウォーク」も開催するようにしました。

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名寄市の水曜日の夜は残業せずにスポーツで盛り上がっている新しい働き方改革になっていると思います!

その他、小学校やいろいろな所での講演依頼があり、自分が経験して来た「悔しさや喜び、いろいろな人に助けられて金メダルを獲得出来た」と言う事をお話しさせて頂いたり、体育の授業などでもスポーツの楽しさなどを子供たちに伝えることをしましたが,、元気な子供たちと接していると逆に子供たちからパワーをもらっていた様な気がします。

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冬には雪を楽しんでもらいたいと言う思いで、学校などへ歩くスキー教室を積極的に開催していきました。
歩くスキーも遊びながら楽しんでスキー操作を覚えてもらえるように鬼ごっこやサッカーなど取り入れて行いました。

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この様な自分の活動をいつもメディアの皆様が毎回取り上げてくれるので、市民の皆さんに自分の活動を知ってもらえる事が出来たと思いますし、いくら自分が良い事をしてもメディアの皆さんが取り上げてくれなかったら市民の皆さんに受け入れてもらえなかったと思います。
本当にメディアの皆様に感謝しています!

2016.6.3金メダル先生

自分は名寄に行ったことは間違っていなかったと思っていますし、自分を受け入れてくれた名寄市の皆さんに本当に感謝しています。
これからも名寄市と一緒に協働して行きたいと思っています!


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