「48歳の(ほぼ)新入社員?!仕事とスポーツの関係性」
自分は1983年4月に東京美装興業株式会社へ入社しました。
本当は高校3年でスキーを諦めて実家でトラックの運転手をするつもりでしたが、スキー部の顧問はシーズン中盤で少し飛べる様になってきた自分に何とかスキーを続けさせたいと思い、2月過ぎにいろいろな会社へお願いをしてくれましたが時期が遅くほとんどの会社から入社を断られていました。
そんな中で東京美装興業(株)一社だけ自分を入社させてくれるというお話しを持って来てくれました。
この時に顧問の先生が就職先を見付けてくれなかったら今の自分は無かったですし、会社が自分を拾ってくれなかったらオリンピックの金メダル獲得は出来なかったと思います。
そして入社した東京美装興業(株)の故八木会長は日大スキー部監督と元JOC会長までされたスポーツにすごく理解がある方でした。
会社はビルメンテナンス業で主にビルの管理がメインの仕事で、スキー部は入社してまず最初に自分たちがどういう人のおかげでスキーの活動ができているか知る為にも現場での仕事を命じられ、ビルの清掃やホテルのベットメイクなど現場のパートのおばさんおじさんと一緒に仕事をしました。
そこで学んだ事は、現場で清掃業務などを行うパートのみなさんが一生懸命がんばって働いてくれたおかげで、自分たちはスキーが出来ていると言う一番大切なことを学びましたし、パートのみなさんに感謝するようになり、金メダル獲得した時は真っ先に現場の皆さんにメダルを見せに行きましたよ!
それと高卒の自分は清掃というと地味でかっこ悪いというイメージしかなかったのですが、こう言う仕事をしてくれる人がいるからみんな気持ち良く生活出来ているんだと言うのを知って仕事に自信を持つ事ができました。
そして入社してから自分を拾ってくれた会社や就職先を見付けてくれた顧問の先生への恩返しの為に必死に練習をして、ノルディック複合の日本代表になりオリンピックに3回も出場することが出来ました。
社会人11年目でようやくオリンピックの金メダルを獲得した時に故八木会長は日本選手団の副団長で現地に来ていたので、自分は八木会長に褒めてもらいたいたくて真っ先に金メダルを持っていきました。
その時「故八木会長」の最初の言葉が「金メダリストになったんだからもう廊下の真ん中歩くなよ!」でした。
これは金メダリストは廊下の端を歩いていても金メダリストには変わりはないので廊下の真ん中を偉そうに歩かずに謙虚にしなさいと言うことでした。
日本のみんなが金メダルで盛り上がっている中で、自分に厳しい声をかけてくれた故八木会長の一言はすごく心に響きましたし、今でも自分の心に残っていて忘れずに行動出来ていると思います。
高校でスキーを辞めるつもりだった自分を拾って育ててくれた故八木会長(上写真右)には本当に感謝しています。
そして自分は2014年にコーチを辞めて、48歳でほぼ新入社員の感じで仕事をするようになりました。
最初に配属されたのが営業とかでは無く、総務部だったのでスキーの経験を生かす事が少なくかなり苦労しました。
でも仕事でも負けたくないと思い出来ないなりに一生懸命頑張りましたし、周りの方のサポートがあり少しずつ仕事が出来るようになりました。
それと仕事を始めて少し救いだったのは、選手時代からパソコンが好きで操作等では教えてもらわなくてもある程度出来たので良かったです。
自分が仕事をするようになり1年が経って少し気持ちに余裕が出てきた時に、名寄市から冬のスポーツ拠点化を目指す為に名寄へ来てくれないかとの依頼があり、自分を育ててくれた会社を辞めるのにはすごく悩みましたが、嫁さんの後押しもあり「スポーツで経験し学んだ事は、スポーツで恩返ししよう!」と思い切って転職することが出来ました。
自分は名寄市からのお誘いで人生が大きく変わりましたが、これも「名寄青年会議所65周年記念」で講演させて頂いたおかげだと思っています。
この講演をきっかけに多くの人が自分を応援してくれるようになり、名寄の観光大使に任命されて名寄市との繋がりがどんどん深まって行きました。
このきっかけを作ってくれた講演も1992年4月に初めて講演会を引き受けて現在(令和2年3月)まで275回も行っています。
最初の講演依頼はオリンピック金メダルチーム補欠の後で、東京のIT系会社が「若い社員が多いので金メダリストの成功した話しででは無くて、補欠で悔しい思いをした自分の話しを聴きたい」と講演依頼がありました。
しかし自分は人前で話しをするのは得意ではないし、今と違ってパソコンやパワポも無いのに300人を前に60分も話しをする自信は無かったです。
それで行ったのは大学ノートに自分が話したい事を箇条書きで書いて、講演まで約1ヶ月間毎日壁に向かって話しをして、それををカセットレコーダーに録音する練習をしました。
でも何度やっても途中の話しが抜けて短くなったり、同じ事を繰り返し話したりとちょうど60分にはならずに苦労しました。
講演会当日もホテルの壁に向かって最後の練習をして会場に向かい、もし話しが行き詰った時の保険で箇条書きの紙を内ポケットに忍ばせて登壇しましたが、ステージに立って聴衆者を見たら頭が真っ白になってしまいました。
でも話し出したら何度も練習したおかげで次々と箇条書きを思い出しながら話しをする事が出来て話し終わったらちょうど60分でした!
講演を引き受けてから約一ヶ月間すごく苦労したけど、最初の講演会が成功したおかげで自信がつきました…もしこれが失敗していたらその後の講演は引き受けていなかったと思います。
スポーツも仕事も結果を求めるよりも「準備と練習を怠らない、できることの最大限のことをする」そうすれば結果は後からついて来ると思います!
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