作家と作品の評価は区別されるべきか

 答えの出ない問題ではあるが、つい最近、ようやく自分の中で納得できる答えが出たのでメモがてら残しておこうと思う。

 一人の文作家でもある私自身としては、是非とも作家と作品は区別して欲しいところだ。私という人間の恥が多い自覚があるため、せっかく生み出した私の作品たちが、私という人間を原因として貶されるのは非常に我慢がならない。

 同様に、たとえば自分の好きな作品が、作家が原因で貶されるのも気持ちよくはないだろう。私は百田尚樹さんの作品を読むし、好きな作品もある。だが同時に、百田尚樹さんが(政治思想や人格で)批判されがちな人だというのもよく分かるし、百田尚樹さんという人間が好きかと聞かれると、首を縦には触れない。しかし「『BOX!』が好きです」と言った時に「え〜、でも百田尚樹の本でしょ?」と言われたら流石にカチンと来る。そういう意味で、好きな作品や自分の作品が、作家が原因でけちょんけちょんにされるのは見ていてとても悲しいし、辛い。僕も含め、そういう人たちにとって「作家と作品は別だろ!」という意見が出るのは当然だ。

 さて、とは言え人間は多様であるから人間である。全ての人が「作家と作品は別」と思えるかというと、それは疑問だ。かくいう私も大好きな伊藤計劃先生の作品を読む時に、「『ハーモニー』は、先生が病床で書いた作品だからこその重さがあるな」と感じるのは、間違いなく作家という色眼鏡で作品を見ているからだ。そもそも、伊藤計劃先生の作品が語られる時に「早逝の天才、伊藤計劃の長編小説」というテロップが使われるのは、やはり作家の魅力が作品を後押ししているからだろう。

 更に言えば、現代アートなるジャンルでは、むしろ作家と作品を混同することが積極的に推奨される。「この作家は色覚多様性だから〜」とか「この作家は昔イスラエルで〜」とか、作家が持つ固有のストーリーを含めた作品が評価される。現代アートで自己プロデュースが重要視されるのはそういう理由もある。つまり、「作家と作品を同列に語ることでしか生起しない表現が存在する」ということでもある。

 ここまで読んでくれたあなたは分かるだろう。「作家と作品を区別する」というエシックスは、作品(表現)を守る盾になると同時に、作品(表現)の幅を狭くする諸刃の刃にもなりかねない、ということだ。これは表現の自由上、健全とは言い難い。

 ではどうするか。最も良いのは、作家側から「この作品は作家も意識して見てください」とか「この作品は作家とは別として読んでください」と言うことだ。だが、それはあまりにも馬鹿らしい。野暮だし、その一言で却って「じゃあ作家は意識しない」とか「意識しちゃう」となる可能性だってある。

 そう。問題はそこだ。「作家と作品を区別する」「しない」という行為は、完全に作品の受け手側に委ねられている。つまり、作家の都合の良し悪しに関わらず、全ては表現を受け取る側の自由なのだ。この「作家と作品を区別するべき」というエシックスが、結局のところ「するべきである」という範疇に収まっているのは、この表現者と受け手の非対称性に由来している。これは決して、ロジカルに解決できる問題ではないのだ。

 だからこそ、私は今までこの問題をロジカルに捉えようとして失敗してきたのだろう。ここで考えるべきは「作家と作品を区別する」という行為を倫理的観点から推奨することではなく、「作家と作品を区別する」「しない」ことによって生じる副作用を最小限に収める視座を持つことである。

 つまり、最初にも言ったように「作家が原因で好きな作品を貶される」というのは、最高に気分が悪いのだ。もちろん、作家という色眼鏡をどうしてもかけてしまう人間の感情はよく分かる。だが、「こんな作家が描いた作品だからクソ」と、わざわざ口に出していう必要があるだろうか? いや、無い。無いのである。

 「この人が描いた作品が好きな人もいるんだろうな」という視点を持っている人間に、最低限のエシックスがあれば「僕はこの作家が嫌いで、作品もどうしても色眼鏡をかけて見てしまう」くらいの発言で良いのだ。それだったら私も「そっか、僕は面白いと思うけど、しかたない」となる。

 本来はそれで終わることができるのに「こんな作家の作品が好きなんて、そいつはとんでもない阿呆だ」などと言われたら、もはやそれは作品を利用した人格批判であり、この問題点はそもそも「作家と作品を混同している」ことではなく、「人を貶すための道具として、人の創作物を利用している」ことである。人を貶すなら自分の言葉でけなせば良い。

 そんなわけで、私の結論としてはこうだ。

 作家と作品を完全に区別することはできないし、区別しないほうが良い場合もある。だからこそ、自分が行なっている行為を、倫理的に問いただすべきである。もしも「僕、その作品好きなんですけど」と言われたら「ごめんなさい」と言うべきだし、「僕は作家の顔がちらついてどうしても」と言われて「ふざけんな」と突っかかるのも間違いである。

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