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JOYSHiPの原点
祖父 喜三郎翁が、大正8年 長塚工務所を始め、昭和25年の建築士法制定に応じて、翌 昭和26年5月 一級建築士事務所、長塚建築設計事務所が開設されました。良一伯父とトシ伯母が発展させた後、従弟の長塚 威 所長が継承しています。
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三男の父 敏夫が埼玉県庁を退職して、昭和33年に始めたのが長塚青写真工業です。トレーシングペーパーに描かれた設計図を感光紙とガラスに挟み、天気に応じて光に当てる時間を調整、現像、井戸で水洗い。洗濯物のようにロープに干して、筒に丸めてお届けする、今はない仕事です。私も子供の頃の様子をよく覚えています。
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当初の四畳半プレハブ作業所跡はお稲荷さまとなり、実家駐車場の約半分、車1台分程の事務所へ移転。今残る3台分の広さに増築。その後、コクヨの机や椅子、リコーの複写機販売も加えた事から、昭和49年5月 株式会社ナガツカと商号を変え、倉庫として借地を2度変えて、3度目に現在の自社ビルになりました。
1986年(S61)から「ニューオフィス」推進が始まり、生産現場に加えて知的生産活動が重要と、アメリカと日本のオフィス環境の差から、内需拡大も含めた政策が始まりました。オフィス家具類の販売が好調なのは幸いながら、父たちにとって、次のコンピュータ時代にハードルがありました。
全国的に、「紺屋の白袴」や ” 設置料 箱を潰して帰るだけ " と揶揄された、パーソナルコンピュータの販売初期です。当時、ミュージシャンだった私も、ハードディスクレコーディングの波を受け、ヤマハのシーケンサーやリズムマシンを使い始めていました。MAC SE30の時代です。
NEC PC-9801UV2の購入に始まり、ソード(ソフト+ハードの造語)のPIPSが進化したリコーマイツールの発売で、いつしか私にもリコーつながりから、事業継承の準備が始まっていたようです。三田のNECや、MUG(マイツール・ユーザーグループ)に通い始め、気づいたら事業継承になっていたというのが正直な感想です。
「戦略会計」~売上高は役に立たない~ 西順一郎著にも出会い、西研究所 西順一郎先生の下で始めた戦略MGとMT(マイツール)、それを皆でやれ!と言ってくれる西先生に傾倒した事が転機となり、30年後にロイヤル化粧品、健康への関心と、時代の更なる変化から、JOYSHiPへ " シンカ "(深化・真価・心価・進化、そして神化)することができました。
喜三郎翁の喜びが、父の求めたやり甲斐創業へとつながり、多くの方々のお力添えを頂きながら、私のポジティブ・スタイルと、妻 ゆみ子とのコラボレーションで、喜心、JOYSHiP となりました。お陰様(ご先祖さま・お客さま)のお力にも深く感謝を思う11月1日の朝です。
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