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月兎と竜宮亀の物語Ⅱ永遠編 第三章 宝玉 

第三章その一

 シーラは驚いて彫像を逆さにしてその穴を覗き込み、なんとか取り出そうとするのですが、小さい穴にピタリと入りこんだ玉をとても取り出せません。穴を下にして彫像を揺するのですが玉は落ちてきませんでした。竜亀はそのとき思いました。『私はこの洞窟に来たとき 首飾りや身につけている黒い服を見て海女のユカリやクレオパトラと見間違ったのだけど シーラの顔もまた彼女たちとそっくりだな そしてこの黒瑠璃の彫像ともそっくりだ シーラも美しい女性だな』と思うのでした。シーラは黒玉を取り出すことをとうとうあきらめて言いました。「この黒玉はハフナー家に伝わるものです この黒玉の由来はまだ何も聞かされていないのだけど 1000年前から代々と女性たちに引き継がれているのです 今この黒玉が不思議なことにこの彫像に引き込まれてしまいました どういうことでしょうか」と言うと、やおらケントのほうを向いて、「このことも含めてケントさん 先ほど貴方がここへ来た理由は聞きましたけど 改めて聞くけど これはどういうこと 説明してくださらない」とチラリと竜亀のほうに視線を向けた後、ケントに問い詰めるのでした。
 ケントは困ってしまって、「僕は何も分からないよ ターレスさん これはどういうことですか」とターレスのほうを向いて言うのでした。
 竜亀はどう説明しようかとしばらく沈黙したあとに言いました。「この黒玉は理由はしらないけれど もともとその穴にあったものではないかな それよりシーラさんは この黒い彫像が何だか知っているようなことを言っていたけど どういうことですか」と聞き返しました。
 シーラはそこで知っていることについて想像を交えて言うのでした。
 シーラの説明では、古代エジプトに関する歴史書の中にクレオパトラの彫像と言われる黒い石の全身像があり、それがローマ兵士に目撃されたこともあり、でも海底の遺跡にもなかったことから伝説だとおもわれていたものが、100年前に北海の氷の中に閉じ込められた頭部も両腕もない全身像を、探検隊が偶然みつけ、現在は英国の博物館に所蔵されており、現代になって深海探査船で海底などを捜索したのだがとうとう発見されず、今日まで至っている、ということでした。この彫像がもしもクレオパトラの彫像の頭部だとすると、考古学上の大発見だということを、考古学者の立場から説明するのでした。
 そして、「たとえそうであるにしても この玉がここに入りこんだ以上 どうしたらいいのでしょう」と、彼女は竜亀の意見を求めているかの口調で言うのでした。
 竜亀もどうしたものかと考えながら、「玉のことはともかく この首がその彫像の部分なら 合わせてみるのがいいのではないですか 一体のものであるならば元の姿に戻してあげるのが考古学者の使命ではないですか」と言いました。シーラは竜亀のその言葉を聞いてうなずくのでした。
第三章その二
 シーラはケントに、「貴方のローランド家の執事のヨシダに言って 事情を説明してなんとか大英博物館に入る許可がほしいのだけど それにすぐに飛行機を手配して私たちをイギリスまで運んでよ」と言うと、ケントは、「シーラの頼みとはいえ 執事のヨシダがすぐに動いてくれるとも思えない 爺さんに直接頼んでみるよ」と言って携帯を使って執事のヨシダから祖父に連絡をとるのでした。しばらくするとローランド家の長老のヘッケルつまりゼットが電話に出ました。しかし、ゼットは竜亀とだけ話したいと伝えたのでした。ケントは、「ターレスさん 祖父が貴方とだけ話したいとのことです」と怪訝な顔をして携帯電話を手渡すのでした。竜亀は、携帯電話どころか電話というものが初めてでしたが、ケントに使い方を教えてもらいました。ゼットの聞かれないようにして欲しいという言葉を聞くと、島の頂上に出ました。そこで初めて竜亀はゼットに黒玉の事情を話したのでした。ゼットは大英博物館に入るための手配をすると同時にメルキアデスにも連絡すると言うのでした。そしてケントとシーラをなぜかその場から遠ざける方策を考えるとも言いました。竜亀は、『何が何だかよくわからないが とりあえずなりゆきにまかせるしかないな』と、洞窟に戻ると竜亀は二人に、「ケントの爺さんが 全て手配してくれるそうだ 大英博物館へ私たちを至急に連れていってくれるそうだ この彫像も一緒にね」と言いました。ケントは、「ターレスさんはすごい やっぱり爺さんとは懇意の仲だったのだね ね シーラ」と自慢げに言うのでした。
 シーラは逆に、『この人は一体何者 得体が知れない』と不審に思い、同時にこの突如現れた人物に非常な興味と好奇心をそそられるのでいた。しばらくするとシーラの携帯に深海探査船から至急に戻るようにと連絡がありました。またケントにもケントの父から用件を頼むので自宅に戻るように連絡がありました。それぞれは有無を言わせぬ命令としかいいようのないものでした。シーラはことの事情を打ち明けることも出来ず悔しがり、「こんなときに限って レアメタルなんてどうでもいいのに」とまくしたてると、ケントは、「何が商談だ どうせつまらぬ使い走りだ 糞親父」とわめくのでした。しかし結局、二人はしかたなく竜亀に、「ターレスさん しばらくここに戻るまで待っていてください」と言って、食料や水を出し合って竜亀に渡すとそれぞれ島を去っていくのでした。シーラは探査船にケントは近くの島へとボートで去っていくのでした。
 二人はこうしてゼットの計らいで、ていよく亀島から追い払われたのでした。
 シーラは一人になって考えました。『ゼム教授が言ったとおりだわ あの彫像もオニキスじゃない 重すぎるわ やはり黒ダイヤに違いない 知られたらもっと大変なことになるわ ケントは馬鹿だから気がつかないけど・・でもそんな固いものをどうやって作ったのかしら あんなに大きなダイヤを・・ それに私の黒玉 軽いけど・・ 輝きが似ている・・』。
第三章その三
 とても大きな大陸の近くに、とても大きな列島がありました。細長いとても大きな島のちょうど真ん中あたりにとても大きな休火山がありました。その休火山のふもとの樹海には人がいまだ入ったことのない奥深い森がありました。その森の中の小さな小屋の中でひとりの男がちょうどパソコンの画面を見てみていましたが、立ち上がるとすぐさまドアの横の帽子をとって走り出すのでした。道さえない樹海の木々の間を、まるでそこに獣道でも最初からあったように走るのでした。しばらく走り抜けたその帽子の人は、さきほど自分がいた小屋よりも小さな小屋の小鳥の巣箱のような木の箱の穴に向かって低い声で囁くのでした。「ゴドウさんはいませんか」。しばらくの沈黙のあと少年のような声がしました。「ゴドウさんはお出かけです」という返事を聞いて帽子の男は、「いよいよ時がきました ゼットさんからのお呼び出しです 首吊りの島へ至急に行ってほしいとのことです 竜亀さんが緊急だそうです 連絡お願いします」とあわてる様子も無く、まるでなにかの伝令のように正確に伝えたのです。中から、「はい 了解 ご苦労様でした」と言う声が聞こえるとその帽子の男はほっとした様子で足早にその小屋を離れるのでした。
 しばらくすると中から、「じゃあ 兄さん出発するよ」と言う声がして、その巣箱のような箱の横の小さな穴から巨大な蝿がまるで蜂の巣から蜂が飛び立つように飛び出していくのでした。蝿は樹海の木々の間をしばらく飛んでいたかと思うと空高く飛びあがり、その休火山の頂上めがけて飛びあがり上昇気流にのって、その休火山の何倍もの高さまであがると、一気に南の海へとすごい速さで飛び去っていきました。
 それは蝿王兄弟の弟の銀蝿王でした。
 ほとんど音速に近い速さで飛んで南海に浮かぶ首吊り縄の島つまり死者の島でありかつては亀島といわれた小さな島にやってきたのでした。島の頂上まで来ると、銀嘴のセキレイがイチジクの木に止まって休んでいました。
 銀蝿王は、「銀嘴のセキレイさんや 緊急連絡です ゴドウさんは今どちらですか ここまで至急来て欲しいのです」。それを聞いて銀嘴のセキレイは、「草の島だよ あんたに行ってもらってもいいけど 疲れただろう それにあの島は何度も往復している蝿のあんたには危険だ 今日は私が飛んでいくよ しばらくここで休んで三郎ちゃんと遊んでなさいよ イチジクの実も熟れているしイチジク酒もあるよ」と言うと、あっというまに空の彼方に飛びさっていくのでした。そうしてかつて竜島といわれた草だらけの島にやってきた銀嘴のセキレイは海岸の絶壁にある洞窟に飛んで入り、眠っているメルキアデスに向かって空中から呼びかけるのでした。「ゴドウのおじさん いいえメルキアデスさん起きてください」とメルキアデスを起こすと至急亀島に行くよう告げたのでした。
 メルキアデスは顔の無い人に向かって、「ここを離れるけど身の回りの世話は小鳥がする」と告げたのでした。

第三章その四
 メルキアデスはそこから直接海岸まで降り立ち、口笛を吹くと大きなイルカがすぐさま近づいてきました。その大きなイルカに向かって、「トリトンよ 大急ぎだ 首吊り縄の島まで急いで連れて行っておくれ」と言うや、イルカの背に黒い杖を股下に挟んで飛び乗るのでした。
 トリトンは、「ええ メルさん 落ちないように注意してくださいよ 最高速で行きますからね」と言うやものすごい速さで泳ぎだすのでした。かつての金顎のカジキがいなくなってからはイルカのトリトンが世界中の大洋で一番速いのでした。遠くから見ると海面すれすれにまるで老人が杖にまたがって滑空するように見えるのでした。途中、空を一機の飛行機が通り過ぎるとイルカは腹を上にしてメルキアデスが空から見えないようにするのでした。トリトンは言いました。「竜宮の亀さんがとうとう人になってやってきたのでしょうか 私もお会いするのが楽しみです でも予定より早くありませんか 満月はまだ先ですよ」と言うとメルキアデスは、「トリトンよ 確かに予想していた日よりずっと早い 顔のない人だって思ったよりずっと早くやってきたし あの顔の傷も癒えないうちから 何だか騒がしい 予想もつかないことだらけだな これからどうなることやら この世は やれやれ でも竜亀さんに会うのは1000年ぶりだ こんなに早く会えることになるとは 私もワクワクしているのだよ」とトリトンの背にしがみついたまま耳の穴に語りかけるのでした。
 そして、「銀嘴のセキレイさんが言うには 黒瑠璃の彫像を海底から引き上げたので 何かあったらしい 竜亀さんには手に負えないのだろうな 人になったばかりでこの人の世界に慣れていないだろうし ゼットさんが私の加勢が必要だと判断したのだろうな ゼットさんもあわてているに違いない どうもシーラとケントがそこにいるらしい 竜亀さんだっていつ正体がばれるか心配だろうし それより本当に人になったのだろうか 神亀島で暮らしていたときのあの顔なのだろうか ぜんぜん違う顔だったらどうしよう」と、トリトンにひとり言のように語りかけるのでした。そうしてイルカのトリトンとメルキアデスは首吊りの縄の島へと急ぐのでした。
 そうして首吊りの縄の島までやってくるとメルキアデスは岸壁をよじのぼりながらトリトンに、「物知りのクエの爺さんにあの彫像がどうなったか聞いておいてくれないかな」と言うのでした。
 トリトンが海底に潜っていくと、歯欠けのクエがやってきて、「トリトンの坊やよ メルおじさんとやってきたのかい」と言うと、トリトンが、「物知りのクエの爺さん久しぶりです」と言うと歯欠けのクエは、「爺さんじゃない 兄さんと言え」と笑って言うのでした。
 歯欠けのクエは、黒い玉をもった若い女性があらわれそのあと、人になった竜亀がやってきて、竜亀と力を合わせて黒瑠璃の彫像を引き上げたことをトリトンに自慢げに伝えたのでした。
第三章その五
 メルキアデスは、いつも洞窟からぶら下がっている縄がなくなっていることに気がつくと、杖を背中に差して岸壁を器用に登り島の頂上にいきました。丸い台座のような石の上で三郎蜘蛛と銀蝿王が小さな貝の皿とイチジクを前にしてなにやら言い争いをしていました。
「気安く三郎と呼ぶな これでも毒蜘蛛なのだから」と一方が言うと、「飛べないお前は永遠にこの島から出られないのだ なんなら俺を食ってみろ」と言い返し、「いまさら蝿なんか食えるか セミのほうがましだ」とやりあっているのでした。
 メルキアデスは、「これこれ いい加減にしないか まるで子どもの喧嘩じゃないか」と言うと、急に声をかけられた銀蝿王と三郎蜘蛛ははずかしそうに、「メルさんだ もう来たのですか 竜亀さんなら下の洞窟にいますよ」と声を合わせて言うのです。その声があまりに綺麗にそろっているので、メルキアデスは笑いながら、「何だ けっこう気が合っているじゃないか」と言って洞窟へと階段を下りていくのでした。メルキアデスが洞窟に入ると、竜亀は座り込んで黒瑠璃の彫像を眺めているところでした。メルキアデスに気がつくと、立ち上がって、「メルキアデスさん」と言い、メルキアデスは、「竜亀さん」と言い返し、ふたりは互いの手を固く取り合ってしばらく無言のまま見つめあったのでした。そしてメルキアデスが、「なんだ どのように変われたのかとおもったら神亀島で暮らしていて最後に別れた時とあまり変わらないじゃないですか」と言い、竜亀も、「1000年経っても貴方もちっとも変わらないですね」と微笑むのでした。そうしてふたりはその場に座り込み甕の水を飲みながら、これまでの1000年間のことはさておいて、この状況についてどうしたらいいかと話し合うのでした。
 そのうち銀蝿王と三郎蜘蛛が仲直りしてやってきたので、機嫌よくなって三郎蜘蛛と銀蝿王は緑の甕の縁に乗って三郎蜘蛛が弾く弓の曲にあわせて銀蝿王が歌うのでした。「はるか~時を越えて~俺たちは生きる~この世はすべて~夢また夢~どうせおいらは蝿なのさ~どんなに嫌われようが~かまやしない~実は~おいらは羽ある天使さ~」。その歌と調べが洞窟に響き渡るさなか、しばらく二人の会話が続いたあと、最後に竜亀は、「この彫像をその大英博物館というところに 誰にもわからず運びこむ方法があるのですか」とメルキアデスに問いかけたのでした。メルキアデスはそれを聞いて手を顎にあててなにやら考える仕草をしたまま、「ひとつだけ とんでもない方法があります でもじっさいに出来るかどうか初めてなのですが」と言いました。そして懐から宝玉をひとつ取り出したのです。「それはどうしたのですか」と言う竜亀の問いかけに、「陸の竜宮の泉の中でみつけたのですよ ところで竜亀さんは 宝玉はまだ持っているのですか」と言い返しました。竜亀は、「そういえば すっかり忘れていた どこかに飛んで行ったのかな 甲羅だって消えてしまったし」と答えました。

第三章その六
 メルキアデスは少し困惑した様子で、「じつは宝玉が四つそろえば 世界中どこへでも行けるかもしれないのです 私もまだ試したこともないのですが」と気落ちしたように言うのでした。
 竜亀は、「でもここにひとつあるだけでは 私の宝玉も期待していたのですか それでもあと二つ足らないですよ どういうことで」と聞くと、メルキアデスは、「いいえ ここに三つあるのです」と言ってあぐらをかいている竜亀と自分のあいだの空間の洞窟の床を自分の掌で埃をはらうように撫でて、中央にその宝玉を静かに置きました。そして片手で卵を割るような仕草で持ち上げて岩の床にコツンとたたき落としました。竜亀にはその瞬間、宝玉は揺れ動いたように見えました。そして今度は両手で同じように床にたたきつけるとまるで卵を割るときのようにして両方の手で宝玉をつかんだまま引き離すと、宝玉は二つに分かれました。その二つに分かれた宝玉を同じようにして繰り返すのでした。一方の宝玉は何の変化もありませんでしたが、もう一方の宝玉は二つに分かれたのです。
 メルキアデスは微笑んで、「これらをまたひとつにすることもできます やり方は少し違いますけどね」と言いました。竜亀はおどろいて、「これらはどうしたのですか」と聞くとメルキアデスは、「これらも無人の陸の竜宮の泉の中で見つけたのですよ どうやら私だけに 光を放って発見されるのを待っていたようです」と言いました。
 メルキアデスは少し考えたあと、「竜亀さん 久しぶりに 二人で火を起こしましょう」と言うと洞窟を見渡して、朽ちて原型をとどめないような古い二本の木の棒を洞窟の隅から見つけると、竜亀の前に置きました。メルキアデスが両手で床に横に置き、竜亀は垂直に立てた細い木を錐のように両手の掌でこすり合わせて回転させるのでした。
 数分のうちに二つの木の間から煙が出ると、メルキアデスが周りに落ちて散乱していた縄屑や自分の衣の裾を細かくちぎり、そこにかぶせて、大きく口を膨らませて唇をすぼめて空気を強く吹きかけると、あっという間に小さな炎があがりました。
 メルキアデスは彫像の穴をのぞきながら、「さあ クレオパトラや 貴女の出番だ」と言うと、黒玉はまるでその言葉を聞いていたかのように、コロコロと転がり出てその小さな炎の真ん中にすすむのでした。そしてかつて竜亀も見たこともあるクレオパトラが小さな姿になって、黒玉に乗ってあらわれました。「メルキアデス様 竜亀様 おひさしぶりです」。メルキアデスは、「この顔の彫像をここから遠いところにある胴体に合わせたいのです それでいいですか」と聞くとクレオパトラは、「ええ それが私の最後の望みです 貴方たちに任せます メルキアデス様 貴方が今何を尋ねたいのか分かりますよ 炎が消える前に言いますよ 実はこの黒玉もそこの三つの宝玉と同じ宝玉です」と言うと炎も消えてクレオパトラも消えてしまいました。

第三章その七
 メルキアデスが言いました。「竜亀さん 私はあるとき四つの宝玉があればこの地球上のあらゆるところへ瞬時に行くことができると知ったのです この平らな岩の上に何か線で描きたいのです チョークのようなものはありませんか」と言うので竜亀はケントの残したリュックの中に何かあるかと探したところ、なにやら棒状の茶色いものがありました。メルキアデスがそれを見て、「チョコレートか それでもいいかな」と笑いながら包みを開けてとりだしました。さらに、「床を傷つける硬い尖った石を欲しいのです」とのメルキアデスの言葉に、竜亀は紫の水晶のことを思い出して、昔に隠した場所から取り出しました。そのとき紫の布は触れた瞬間にぼろぼろと崩れ粉になり、しまいには埃のように消えてしまいました。水晶でまず大きな円を描き、真ん中に十の記号を大きく描き、その四つの先端に∞と○と十と十を小さく描くのでした。同じくそこにチョコレートをなぞり塗り付けました。そして円の縁に杖の先を触れ、中央に四つの玉を置き、呪文を唱えました。でもなんの変化もありませんでした。竜亀は、「この記号はどうしたのですか」と聞くと、メルキアデスは、「あなたも 火山の島で亀の長老から教えてもらったはずだが」と逆に問い返すのでした。竜亀が、「十の形ではなく卍の形」だと言うとメルキアデスは、「そうだったのですか」と書き直して、また同じ呪文を唱えるのでした。でもなんの変化もありませんでした。メルキアデスはこんなはずはないという表情で首をかしげましたが、竜亀はふと竜宮姫の部屋の床に同じものがあったことを思い出し、そのときの描かれた線が白い絵の具で描かれていたことを思い出しました。竜亀は、「これは白い線で描くべきじゃないですか 竜宮姫が描いていましたよ」と言うとメルキアデスはうなずいて、島の頂上に行きしばらくしてイチジクの小さな実を両手で抱えてきました。そしてさきほど描かれたチョコレートの上をなぞるようにしてイチジクを絞りながら、もいだ部分から垂れる白い樹液を垂らして重ねて白く描くのでした。やっといくつものイチジクを使って描き終えて、再び呪文を唱えると、その瞬間、円の中は水面のように青空を映したかと思うと眼下に竜宮の<時空(とき)と予知の泉>で眺めるものとそっくりの光景が浮かびあがりました。ただ竜宮の泉とはちがい、ゆっくりといくつかの光景を数秒ずつ変化していくだけでした。竜亀がおどろいて、「これは月の方角から見ている世界なのですか」と聞くとメルキアデスは、「これらは全てわたしの知っている場所だ」と言いながら、銀蝿王と三郎蜘蛛に向かって、「お前たちも行くかね」と言うのでした。三郎蜘蛛と銀蝿王は、「行く 行く」と声を合わせてうれしそうにするのでした。
 メルキアデスは左手で黒瑠璃の彫像を脇に抱え右手で杖を立てて握りしめると微笑んでこう言いました。「竜亀さん 大英博物館の中の光景が見えたら この円の中に一緒に入るのです」と。

第三章その八
 円の中に浮かび上がる光景は次々と場所を変えていきました。英国のバッキンガム宮殿や大きな時計のある塔を映し、そのあと下町の路地のようなところの酒場が映しだされました。そして急に床が大理石の大きな部屋が映しだされました。
 メルキアデスが、「ここです 一緒にこの円の中へ」と言って円の中に入りました。竜亀も一歩遅れて中に入りました。その瞬間、視界には博物館の部屋が映りました。すでに竜亀たちはそこに移動していたのでした。円の外に出ると光る白い線も消えてしまいました。床の四つの宝玉を手に取ると懐に入れてメルキアデスはあたりを見渡して、「そうか この部屋か」と以前来たことがあるかのような口調で言うのでした。そして、「三郎さんや 銀蝿王さんや 準備はいいかな」と言うと、「はい 了解」と言って三郎蜘蛛も銀蝿王もどこかへ消えてしまいました。
 メルキアデスが長い廊下を抜けてドアの無い大きな部屋に入っていきました。目的の部屋はずっと先なのですが、急にメルキアデスの懐から黒玉が飛び出して空中に浮かびました。古代ギリシャや古代ローマ時代の彫像や遺物が陳列された部屋でした。メルキアデスはそれらの彫像を見てハッと気がついたような表情をすると、もうひとつの宝玉を取り出し、「竜亀さん 黒玉とこの宝玉をたたき合わせてください」と言いました。竜亀が力いっぱいたたき合わせると黒玉は光を放ち、その瞬間、その黒玉を掌に載せてクレオパトラが現れました。
 それはかつてのような映像だけの姿ではなく、生身の人間の姿になって出現したのでした。そして、「今やっと私は長かった旅の目的地がわかりました ここがその到達の場所です 竜亀様 メルキアデス様 今までありがとうございました 私もようやく祖先の神々のいるところへ旅立つことができます わが愛した人 カエサルとアントニウスに別れを告げたいと思います」と言うと、その白い大理石の彫像達に向かって祈りの仕草をするのでした。
 クレオパトラの姿は白い光につつまれ 光が収まるとクレオパトラの姿も消えてしまいました。そして床には黒玉のかわりに透明な宝玉が二つ残されました。竜亀がそれを拾うとメルキアデスは、「さあ急ぎましょう そろそろ彼等がやってくれるでしょう」と言うとまもなく非常ベルが館内に響きわたりました。竜亀たちのいる部屋の横の階段を、捕虫網を持った警備員が走りながら上っていくのでした。竜亀とメルキアデスがたどり着いた部屋はツタンカーメン王の遺物などを含むエジプトの古代の遺物の数々が陳列されていました。レーザー光線による警報装置は遮断され、館内に響く警報の音も消えていました。
 奥のほうに首も両腕もない真っ黒な彫像がありました。メルキアデスは抱えている彫像の頭部を胴体にそっと載せました。するとピタリと合わすことができました。ほとんど隙間もなくふたつはひとつに合体したのでした。

第三章その九
 メルキアデスは、「さて竜亀さん 我われの役目はひとまず終わりました 早急にここを退散しなくては」と言って足早に階段を見つけると降りてくのでした。メルキアデスのまるで何度もここへ来たことがあるかのような足取りを竜亀は遅れないようにと追いかけて行くのでした。地下の博物館の職員が使う通用口をさらに地下のボイラー室の横穴のマンホールをすすんでいきました。いつのまにか三郎蜘蛛も銀蝿王も二人の頭に乗っていました。そして地下の下水道へと鉄の梯子を伝って降りていくのでした。ほとんど真っ暗な暗闇のわずかの水が流れる迷路のような下水道をしばらく歩くと、上に伸びた鉄の梯子のある穴がありました。登っていくとマンホールの蓋が見えてきました。銀蝿王と三郎蜘蛛が隙間から道路に出て彼らの合図を確かめると、メルキアデスはその蓋を持ち上げ、竜亀もあとに続いて地上にでました。そこは路地の酒場の裏口でした。メルキアデスに続いて竜亀もその店の正面のドアから入っていきました。メルキアデスは髭を生やした店主に何かひとこと言うと、店主は奥の部屋に案内しました。奥では眼鏡をかけた白髪の老人がテレビを見ていました。老人は振り返ると、「メルキアデス様 お久しぶりです 今夜もまた 大英博物館に怪人メルが現れたそうではないですか それに今度は何も盗まずに」と笑って言うのでした。朝のテレビでは深夜、例のごとく大蝿とタランチュラを連れた怪人メルが15年ぶりに現れて黒瑠璃の像の頭部を置いていったというニュースでした。そしてエジプト考古学の第一人者ゼム教授が、「信じられない 我われが長年探し続けてきたクレオパトラの頭部の彫像がどうしてここにあるのだ」と彫像の前でわめいているのでした。クリップと名乗る白髪の老人は、「メルキアデス様と友人の方 ではキープしているウイスキーで一杯やりますか 大蜘蛛さん 大銀蝿さんもどうぞご一緒に」と言って奥の棚から緑色のウイスキー瓶をテーブルに置くのでした。メルキアデスは、「このセントジェイムスは15年ぶりですね」と微笑むのでした。竜亀も一口飲むとその水のような癖の無いまろやかな美味しさに感嘆するのでした。メルキアデスは笑って、「今は落ち目の大英帝国で誇れるのはまずこのウイスキーだな」と言いました。竜亀もなんだかそれを信じてもいいような気持ちになりました。それほどそのウイスキーは美味しかったのです。クリップ老人は、「いいえ この黒ビールも捨てたものじゃないです 息子も自慢していますよ アハハ」と笑うのでした。
 メルキアデスは急に真面目な顔になり、「預けていた例の箱をいよいよ使うことになりました 出していただけますか」と言うとクリップ老人は、「いよいよその時が来たのですね」と、奥から木の箱をとりだしました。
 竜亀はびっくりして、「竜宮の玉手箱ではないですか」と言いました。クリップ老人はその言葉に驚いて、「この方はどなたなのでしょう」と言いました。

第三章その十
 メルキアデスはすこし躊躇しながらも、「私の古くからの友です 1000年前からのね」と言うと、クリップ老人は、「そんなに古くからの友がおられたとは 貴方みたいな人がまだおられたのですね」と言うので竜亀は、「ターレスと言います ところでこの箱はどうされたのですか」と言うとメルキアデスは、「この箱の持ち主は ローランド家の宿敵でもあるのです 私と同じ不死の力があり でもようやく私は彼の弱みであるこの箱を手に入れたのです ターレスさん いえ竜亀さん この箱のことを知っているのなら是非教えてください」と言うと竜亀は、「これは玉手箱というもので 竜宮から地上に戻る人に渡す箱です 地上に戻ってこの箱を開ければこの世から消え去ることが出来るのです 私が沈没した船の宝石箱や金貨の箱などを竜宮に持ち込んだものです それに竜宮姫が貝の装飾をして絵柄や文字を描いたものに過ぎません この箱のなかには竜宮の<時空と予知の泉>の水が入っているだけです 命の箱とも思い出の箱とも言うのです 人の力では壊すことは出来ません もしかして綱渡りのピロリの箱ではありませんか」と言うとメルキアデスは、「やはりご存知でしたか ピロリ伯爵というのです」と言いました。
 竜亀は、「海賊船に乗り込んだアルルカンとピロリというふたりの曲芸師が嵐で沈没したとき私が助けたのです しばらく竜宮で暮らしたあと地上に帰るときアルルカンは玉手箱を開けて この世から消えてしまいましたが ピロリという男は箱を持ったまま姿をくらましたのです ピロリは竜宮でも性格悪くて 悪戯ばかりしていたのです 悪人と言うよりふざけた奴です でも自分で箱を開けない限り不死の力を持つのです」と言うと、メルキアデスは、「やはりそうでしたか たしかにピロリは悪魔や悪人というより俗物です でも人間にはピロリのような俗物でも不死ということで とんでもない悪魔に思えるのですよ それに悪賢いのでローランド家も閉口しているのです 竜亀さんが人の世界に来て 宝玉も四つ手にいれたので 彼をこの世から消し去る絶好の機会です 是非手伝ってください」と言うので竜亀も、「人になって最初の仕事らしいことがピロリ相手だとは なんだか面白くなってきました それにしてもこの竜宮姫様の作られた小さな宝石箱の玉手箱 懐かしいです でもここに書かれている文字は何でしょう」と言うのでメルキアデスは、「古代の言語で 『思い出は命の中に 命は思い出の中に この世を去るとき思い出とともに消え去るべし』と書かれているのです」と言いました。
 竜亀は以前には知るはずも無かった竜宮姫の書いた言葉を知ったのでした。そして、『竜宮姫はそんな古い言語を知っていたのか 不思議だ』と思うのでした。と同時に竜宮姫が手に触れそして書いた文字ということを知って胸が締め付けられるような感慨が湧いてきたのでした。
 メルキアデスが微笑んで言いました。「竜亀さん ではふたりで力を合わせましょう」と。