見出し画像

「月兎と竜宮亀の物語1海洋編」第五章宝玉

第五章その一
 竜亀が崖をよじのぼり滝の上に消えてから、日回りのマンボウと金顎のカジキは竜亀のうわさをしていました。
 金顎のカジキが、「さて竜ちゃんはけっきょく何を見ることになるのかなきっと泉のところにたどり着いてわれわれの秘密を知ってしまうだろうね 石頭の天ちゃんよ」
 と笑いながら言うと、
 日回りのマンボウは、
「金ちゃんだって意地が悪い 織姫ちゃんだって小さい頃にあの泉でまだ竜ちゃんが卵のとき毬のように転がして遊んだよな 金ちゃんはいつもその硬い顎で卵を突っついて遊んだしね 知らないのは竜ちゃんだけだ あの竜巻でわれわれが天に巻き上げられ こうして海で暮らすようになったのだけど おかげで硬い卵の殻もとうとう割れて 竜ちゃんも殻から出ることができたのだ 今頃やっと自分の生まれ故郷があの池だと知ってびっくりしているだろうね アハハ」と笑うと、金顎のカジキは、
「でもわれわれだって泉の中のことしか知らない もうずいぶん昔のことだしな 可愛がってくれた竜王のおじさんもとっくに亡くなって あれから陸の竜宮もわれわれが居なくなってから廃れてしまった でも三百年前から浦島のじいさんがやって来てなんとか建て直し 島の人たちにいろいろ教えて 今は巫女になる若い女もいるみたいだしね 北の岬には大きな人の像を造るし 何か企んでいるみたいだな」と言うと日回りのマンボウは、
「そうとも われわれは何にも知らないと島の人たちは思っているけどね アハハ」と笑うのでした。金顎のカジキも笑って、「でもやっぱり分かないことが多すぎる 竜ちゃんがきっと もっと本当のことを調べてくれるといいのだが 酒を飲まされて裸になって暴走するのがちょっと心配だな アハハ」と、
 こんなことを語り合いながら夜を迎えたのでした。
 そうして朝になり南の滝の場所へ近づきはじめたころ 竜亀が反対側から近づいてくるのが見えました。
 金顎のカジキはていねいに、
「竜亀様 どうでした 何かわかりましたでしょうか」と言うと竜亀はやりきれないような表情で、「お前さんたちという奴は われわれはみんな小さい時から知り合いというか 同じ池で生まれていたのではないか どうして教えてくれなかったのだ この何千年も黙っていたなんて おまけに竜宮の姫様も 姫様だ」
 と言うと、日回りのマンボウは、
「お前さんはそのとき卵の殻の中だったから 幼友達というよりわれわれが転がして遊んだだけだ アハハ それより 陸の竜宮が今どうなっているのか教えてくれないか そもそも われわれは一体どういう生き物なんだい」
と問いかけるのでした。
第五章その二
 竜亀は池や泉のこと、そして浦島吉郎や巫女のユリカのことや竜王と呼ばれた人の話や山の洞窟の壁画のことなど、そして竜宮そっくりの宮殿の中で酒を飲み楽しくすごしたことなどを自慢げに話すのでした。
 金顎のカジキと日回りのマンボウは眼を輝かせて竜亀の話を聞きながらも、次々に分からないところや理解できないところを聞くのでした。
 竜亀も出来るだけ答えようとしましたが、分からないことばかりで、でもどうやら壁画に時々登場する杖を持った老人が秘密の鍵らしいこと、そして壁画にはまだこれから地上の世界で起きるだろう予言の絵が描かれてあるらしいことを告げました。
 そしておそらく千年後に竜亀と顔のない人がこの島の北の岬の大きな人の像の前で出会う絵があるのだとも言いました。
 杖の老人について日回りのマンボウは、「わたしは竜巻に空に舞い上げられ海に落ちた時に すべての記憶を失ったのだ 記憶が戻ったのはやはり杖の老人の魔法の水のおかげなのだ」と言うと、金顎のカジキが、「そうすると 竜亀さんが千年後にこの島に来ることが その絵で予言されているということかな」と聞くと、竜亀は月兎のことは言わずに、「ユリカ巫女が月のお告げでも聞いたそうだ」と言いました。
 竜亀はさらに、「不思議なことには金顎のカジキさんと日回りのマンボウさんもいつか人の姿に変えて人の世界に行くことになっているみたいだ」と言うと金顎のカジキは、「エエエ」と金色の顎を左右に振りながら驚くのでした。
 すると日回りのマンボウは、
「その洞窟の壁画はこの島の人が描いたものではないな」と言い始めました。
「金ちゃんも憶えているだろうが 竜王のおじさんが亡くなり百年ほどして 竜巻で空に飛ばされるすこし前に空から丸い船がやって来て 何人かの奇妙な服を着た人たちがその時の巫女と一緒に泉を覗いて われわれを眺めていた あとで巫女に聞くと洞窟の岩壁に絵や図を描き文字や記号も記して ふたたび空の彼方へ去って行ったということだ 巫女たちは何が描かれているのか文字も読めないのでわからなかったらしい」。
すると金顎のカジキは、
「そういえば昔は陸地の洞窟だったところが海底に沈んでしまい 洞窟の壁に奇妙な文字が描かれてあるのを見たことがある」と言
うのでした。
 竜亀は、『こんなに多くのことを最初から知っていたのなら どうしてひとつも教えてくれなかったのか』と金顎のカジキと日回りのマンボウのことを腹立たしく感じると同時に、相手を恨むよりも自分のことを情けなく感じたのでした。そうして海の生き物というより、もとはといえば陸地の同じ池の水に住んでいた三つの生き物たちはまるで人のように考え、さまざまなことを話し合うのでした。
第五章その三
 そんなことを話しあっているうちに太陽はいつのまにか空高く上がっていました。
 金顎のカジキは、
「俺はこんな体だから腹が減ってきた イカの群れでも追いかけて食べなくては力が出ない ところで竜亀さんは竜宮にもう帰るのかい」
 と言うので竜亀は心の中で、
『本当は金顎のカジキさんの秘密を知りたいと思って近づいたのだけど 昨日のことでわれわれの秘密が全部さらけ出されたようなものだ いまさら何の秘密があるのだろう さて月兎が言っていた友の秘密とは誰のことだろう 北海の白鯨の兄さんかな そうだとすると ここからはとても遠い百日で行けそうもない』
と思い、
「金ちゃんや 北海の白鯨の兄さんに会いたいのだけど 連れて行ってくれるかい」
 と言うと、金顎のカジキは、
「わたしもしばらく会ってないので 会って酒を飲みたいな では出発までしばらく待ってくれ 腹ごしらえをしてくるからね」と言って、どこかへものすごい速さで泳ぎ去って行きました。
 そこで竜亀は日回りのマンボウにこうして会うのも最後かもしれないと思い、以前から思っていたことを言いました。「ところで 日回りのマンボウさんはいつもこうしてこの島を年中というか何千年も回っているけど 飽きることはないのですか」と聞くと、
「考えることが尽きないので飽きないのさ それにどうしてだか この島を離れると息苦しくなるのだ きっと陸の竜宮から離れられない運命なのさ だから海の竜宮に行きたいと思っても行くことができない 竜亀さんが海の竜宮を離れられないのと同じさ どうしてこうなるのか今は謎だけど いつか分かる時がくることを信じている われわれは自身がほんとうは何者かいまだに謎だけどね いつの日かきっとすべて分かる時がくるのだ」と、言うのでした。
 竜亀は心の中でドキドキして、
『竜宮を離れられないことの理由はわたしだけの秘密だ』と思いながら、「そうだな わたしも竜宮を離れると息苦しくなるのだ どうしてだろうか これもきっと理由があるのだな」と日回りのマンボウに言いながら、自分で自分をおかしく思うのでした。
 ほんとうは竜亀の自分だけの秘密として誰にも知られたくないことがあるのでした。竜亀は竜宮の使いという魚でもあり竜宮の中では竜宮姫である人の女性をとても好きなのでした。
 恋や愛といってもいい感情を抱いていたのでした。
 それは月兎にも金顎のカジキにも日回りのマンボウにも絶対に知られたくない自分だけの秘密なのでした。
第五章その四
 竜亀が、
「日回りのマンボウさんも宝玉を持っているのだろう 見せてくれないかな」と言うと、
 日回りのマンボウは、「見たいのかい」と言って自分の左目を反転させると、ポロリと透明な宝玉が入れ替わって出てきました。
 竜亀も甲羅の中から取り出すと、ふたつの宝玉は空中に飛び出し、まるでお互いが引き合うように、衝突してもすぐにはね返りながらくるくるとお互いの周りを回転するのでした。
 竜亀があっけにとられていると、日回りのマンボウは、「不思議だろう こうして織姫ちゃんや金ちゃんと小さいころ陸の竜宮の泉の中で お互いに宝玉を見せ合って遊んだりしたものさ
 竜ちゃんの宝玉も一緒にね 竜ちゃんもまだ卵の中で大きさも同じくらいだったから 五つの玉でね 玉は玉同士で仲がいいのだ アハハ  わたしはこの宝玉の様子を長い間考えて解ってきたことがある そして壁画の図のことを聞いて確信を深めたのだが これらはお互いに引き合うのは もともとはひとつの玉だったに違いない だから元のひとつになろうとするのだけれど おたがいの玉が 高速で回転しているので 触れ合った瞬間反発してはじかれてしまうのだ おそらく竜王のおじさんの持っていた最初の玉が四つに分かれたのだ いつか一つになるのか永遠に分かれたままなのか もっと分かれていくのか今は何もわからない この宝玉にどんな力があるのかもわからない
 ただわたしたちからは決して離れようとはしない 海の竜宮の姫様の宝玉は 今は陸の竜宮の巫女の手元にあるけどね きっと宝玉には何かの意志か力があって わたしたちを守ってくれているに違いない  決して災いを招くものではないように思う いや 厄介ごとを招くこともあるかも知れないが 最後にはわたしたちを守ってくれるような気がするのだ」と言いました。
 竜亀は日回りのマンボウがそんなことを考えているなんてとびっくりしましたが、その考えの深さに感心しました。そして宝玉について何かが分かったような気がしました。
 竜亀は、
「そうか いままで邪魔になって何度も捨てたのに まとわりつかれて困ってしまって 甲羅に入れたのだけど 竜宮の姫様にも『宝の玉だから大切にしなさい』と言われていてね これからは大切にしなくてはいけないのだな」と言うと、
「そうとも 今は何の役にも立たない邪魔者だけどな」
 と日回りのマンボウが笑って返事すると、まるでその二つの宝玉はその話を聞いていたかのように、一瞬その周りを虹色の輪を広げ輝かせ宝玉も黄金色に輝くのでした。
 竜亀はそのとき、
『まるで月兎のいる満月の時のように輝いている』と思いました。
第五章その五
 金顎のカジキが戻ってきたので、竜亀は日回りのマンボウに別れを告げ、金顎のカジキは背に竜亀を載せて北へと泳ぎだしました。
 金顎のカジキは海流とともに来るイカや小魚の居場所をよく知っていたので、海流の流れに逆らわないようにしながら、魚の居そうな海域を移動して北の海をめざしました。途中で大きな陸の近くまで来たとき、空一面が雲のように真っ黒になって、なにかが移動しているのが見えました。
 竜亀は、
「あれは何だろう」と金顎のカジキに聞くと、「あれは 蝿の大群だ 昔はあんなに群れることはなかったのだけどね 陸の人間どもが戦争をして死人がいっぱいでると ああして蝿が群れるのさ それに大空の機嫌が悪いと雨も降らないので 人が作る畑のものがいっぺんに不作になって それに頼っている人々がまたいっぺんに死ぬのだ そんなとき蝿どもが押し寄せるのだ」と言うと、竜亀は、「それは変だな コウモリじゃないのだから 蝿は勝手気ままに生きて自分の家を持たないはずだ たとえイナゴのように群れることがあっても あんなに集まるのは変だよ」と言うと、金顎のカジキは、
「そうだとも でも三百年くらい前から 銀蝿王と金蝿王という蝿の兄弟が世界中の蝿を束ねたのだ 蝿も増えすぎて蝿たちは 腐ったものや死体や糞便を探して ああしてさまよっているのだ きっとこのあたりでも家畜や人がいっぱい死んだのさ」と言うと竜亀は、
「蝿は一年も生きないだろう そうするとその兄弟は何百年も生きているのかい」と聞くと、金顎のカジキは、
「もしかして竜ちゃんの甲羅の粉を食べられたのではないかね」と冗談のように笑っていうので、竜亀は亀島の三郎蜘蛛のことを思い出しました。
 三郎蜘蛛が、「三匹の蝿が竜亀さんの甲羅に止まって水晶で削られた甲羅の粉をなめていたが 一匹だけ捕まえて食べたけどあとの二匹を逃がした」と言っていたのです。
 竜亀は、「そうだ それに違いない そうであれば それはわたしにも責任がある 子どもたちにいたずらされて 甲羅を削られおまけに蝿に口先の舌みたいなもので甲羅をなめられるなんて 怖くはなかったけど 棒でつつかれたりして閉口していたのだ 気を取られて気づかなかった きっとその時の蝿が蝿達の王様になったに違いない」と言うと、金顎のカジキは、
「でも蝿たちのせいで 陸では伝染する病がはやるのだ 彼らはそれもいいと思っているかもね」と言うのでした。竜亀はその蝿の王たちは人のように話すことができるのなら、会って何とかしなければと思うのでした。
 でも会ったとしてもどうすればいいのか分かりませんでした。自分とかかわって蝿たちの世界がそうなったことに少し責任を感じたからでした。
 そして蝿の兄弟王と運命のようにいつか出会う時があるのかも知れないと考えるのでした。
第五章その六
 竜亀と金顎のカジキは何日かして火山の島までやってきました。
 竜亀はふと思いだして金顎のカジキを沖に待たして島に上陸しました。
 そこは大きな陸亀のいる島でした。
 竜島の洞窟の壁画に、自分とこの島の長老の陸亀が出会う絵があったのでした。
 島の一番の年長の五百歳の陸亀に会うと、陸亀はいきなり、「竜亀様 お待ちしておりました 三百年前に杖を持った老人が わたしの甲羅の裏側に記した四つの印を あなたにだけに伝えるように頼まれました」と言ってひっくり返ると、甲羅の裏側に凹んだ傷のような跡の印を見せるのでした。四つとは〇と十と卍と∞の記号でした。
 竜亀はこれが何のための印で、何の意味があるのかわかりませんでしたが、
『またしても杖の老人がかかわっている』
 と思いながらも、
「よくわかりましたたしかに見ました ところで この島の火山がまた噴火するよ 今のうちに海岸まで逃げておいた方がよいよ」
 と長老の亀に忠告するのでした。
 竜亀は壁画の絵の火山が火を噴いているのも見たのでした。長老の亀は、
「ありがとう そろそろ火を噴く頃と思っていた 危ないときには隣の島まで泳いで逃げなくては さっそく仲間に伝えないと でも困ったな この島のすべての仲間たちに告げるには 時間が足らない」と心配そうに言いました。
 竜亀は、
「では カジキの友達といっしょに島を回って 海岸から見える亀達にも伝えてあげるよ」と言いました。
 竜亀は金顎のカジキの背に乗り、島を一周しながら、海岸から見える亀達に長老の亀の名を告げて、火山のことを教えてあげたのでした。
 そうして島の全ての亀達が海岸に集まりました。竜亀と金顎のカジキが島を十分離れた頃、島の火山は突然に大音響とともに噴火しました。
 真っ赤な溶岩が島を埋め尽くし、空から黒い小石がいっぱい落ちてきて、いくつかは竜亀の甲羅にも当たりました。
 竜亀は、
「あの火山は何百年に一度は噴火しているのだ 陸亀さんたちは大丈夫かね 無事に隣の島まで泳いでいけるといいのだが」と言うと金顎のカジキは、「陸亀は泳げるのかい 竜ちゃんみたいに器用でないからなあ」と言うと、まあなんとかなるさ 長老の亀さんも四百年前の噴火の時もなんとか泳いだそうだから」と竜亀が応えると、金顎のカジキは、「ところで 竜ちゃんは 火山が噴火することを教えに行っただけなのかい」と、いぶかしげに聞くので竜亀は、「そうだとも わたしがあの長老の亀に教えることになっているのだ 壁画のとおりにね」とすまして得意げに言いました。
第五章その七
 竜亀たちはラッコがいる島までやってきました。
 ラッコは貝を獲っては器用に両手で貝殻をかち合わせて、割れた貝の中の身を食べていました。
 そこは緑豊かな樹木の生い茂る島でした。
 ところが海岸には人の死体が砂浜のあちこちにあり、無数の蝿が死体に群がり卵を産みつけていました。
 竜亀は蝿の群れに向かって、
「ここに蝿王はいるかい いるのなら返事しておくれ」と言うと一匹の緑色に輝く銀蝿がやってきました。
 それは鶏の卵ほどの大きさの巨大な蝿でした。
「もしかして 竜亀さんかね あのときはごちそうさま おかげで長生きさせてもらっています」と羽をブンブンさせて言うのでした。
「銀蝿王さんよ どうしてこんなに人の死体があるのかい」と聞くと、
「まあ これははやり病さ ここの島の人たちは豊かな自然の恵みに慣れてしまって火を使わないのさ だから病がはやると大変 みんなに広がるのさ 俺たちにはうれしいけどね」と銀蝿王は言いました。
 しばらくすると群れとともにどこかへ飛んで行ってしまいました。
 竜亀は金顎のカジキから宝玉を借りるとラッコのところへ行き、自分の宝玉と合わせて、二つの宝玉を渡して、
「これは珍しい貝でとてもおいしいのだ でも硬くて割れない 半分あげるから割ってくれるかい」
 と頼むとラッコはよろこんで二つの宝玉を力まかせにかち合わせると、宝玉はとつぜん熱を発して赤く輝きました。ラッコは驚いて竜亀にあわてて宝玉を返して海中に潜ってしまいました。
 竜亀は顎のひげを一本抜いてそれに灯しました。
 そうして海水で消えないように持ち上げたまま陸地に上がり、島の村まで行き、病にやせ細った人たちに言いました。「わたしは神様から頼まれた亀です これを種火にして火を起こし水は沸かしてから飲みなさい 魚や肉は火を通してから食べるのです そうすれば病は広がりません この種火は洞窟で大切に守り続けなさ」
 と言って燃えているひげを渡すのでした。
 島の人たちは火の起こし方も知らなかったのでした。
 早速それで木の枝を燃やして湯を沸かすのでした。また魚は葉っぱでくるみ、蒸し焼きにして食べるのでした。
 村の人々はお礼にと竜亀に椰子の実の酒をさしだすと、竜亀は遠慮するふりをして喜んでその酒を飲みました。
 酔って機嫌よくなって金顎のカジキのところへ戻ると、
 金顎のカジキは酔っぱらった竜亀を見て、
「竜ちゃんよ こんどは何の用かね 火の使い方を教えてあげたのかい でも本当は酒を飲みたかったのだろう」
 と笑って言うのでした。
 竜亀は本心を見透かされたように思いましたが、「人助けだ」とすまして言うのでした。
第五章その八
 さらに竜亀たちは北の方角をめざしました。
 金顎のカジキは北の方角が正確にわかりました。金顎のカジキはとても眼が良く北極星の場所を知っていたからです。
 竜亀は北斗七星をぼんやり見つけることができましたが、北極星は小さくてよく見えませんでした。
 竜亀は、
「どうしてそんなことを知っているのかい」と聞くと、
「竜宮の姫様に教えてもらったのさ でも姫様は竜王のおじさんに教えてもらったそうだ でもね 本当の北は北極星の方向と少し違うのさ 二千年ごとに動いてまた今の場所になったのさ それにね 渡り鳥たちや海亀が頼りにしている大地の磁石だって北極星の方角とは少し違うのさ いつだったか北と南がひっくり返って 渡り鳥たちは大騒ぎしたこともあるのさ 夏鳥と冬鳥が たとえばツバメと白鳥が入り混じってねアハハ」と笑って言いました。竜亀は海亀ではないので北と南は太陽だけで決めていたので磁石のことを知りませんでした。
 竜亀は感心して、『どうしていろいろなことを知っているのだろう わたしは海の中ばかり見てきたけど 金ちゃんは海の上を見続けたからかも』と思いました。
 竜亀は天の河という銀河のことも教えてもらいました。
 太陽も銀河の中の星であり、太陽のまわりを地球という丸い大地が回り、この地球の周りを月が回っていることを。
「昔 三千年前に地中海という海へ行ったとき 太陽を信仰する人達から教えてもらい いつも星や太陽を見つめてそう確信したのだ でもマンボウの天ちゃんも知っていたよ 天ちゃんは島を回りながら毎日空を見ているだけで宇宙のことも全て知っているのだ 信じられないほど賢いのだ」と言うのでした。
 竜亀は、
『わたしは海の中の生き物ばかり見つめて サンゴやイソギンチャクやきれいな魚など何でも知っているつもりだったけど 海の上のことは何も知らない 宇宙だなんて まして人のいる世界なんてまるで分からない』と、少し憂鬱になりました。
 そして金顎のカジキのいう宇宙の話を聞いて陸の竜宮のある竜島の洞窟の壁画を思いだしました。
 そこには太陽や月とともに金顎のカジキのいうような星の河の絵があり太陽の場所を示すような図があったのです。
 竜亀は、
『わたしもまたこの宇宙という広い世界の中の小さな生き物に過ぎないのか わたしの心やわたしの知識なんて何と小さいのだろうか』
 と思いました。
 こんどは憂鬱になるとういうより少し気分が楽になったような気がしました。
第五章その九
 竜亀と金顎のカジキはどんどん北の方角をめざして進みました。
 こんどは鮫が群れて人を食べていました。
 竜亀は近づいて鮫に、
「人の血のようだけど お前さんたちは何でも見さかいなく食うのだね」と言うと一匹の大きな鮫が、
「何を食おうと~われらの自由~自由こそ~われらの命~人が死ぬのも自由~」
 と歌いながら言うので、くわしく聞くと、崖の上から二人の若い男女が飛び降りておぼれて死んだらしい。
 竜亀は金顎のカジキに、
「金ちゃんや 人はどうして自ら死ぬのかな それも男と女が一緒に 戦争でもなく狼に追われているのでもなく どうして崖から飛び降りたのだろう 海には鮫がいるのに」
 と問いかけると、金顎のカジキは、
「それが人の分からないところだ でもネズミだって群れで自分から崖から飛び込むこともあるけどね それに昔 戦争で追いつめられた若い女たちが次々に海に身を投げるのを見たことがある また男と女は手をつないで 時にはうれしそうに飛び込むのだ 息絶えても間もないうちなら 竜宮に運んで竜宮の姫様に生き返らせてもらうのだけど 今度は間に合わなかったな」と言うので竜亀は、「そうだな わたしたちがもう少しここに早く来ていれば助けられたのに 人の世が嫌なら 竜宮で暮らせばいいのだ きっと人の世界には恐ろしい魔物が住んでいて人を狂わすのだ」と言いました。竜亀は心の中で、『月兎が人の世界がよく分からないと言うのももっともだ どんな怪物がいるのだろう』と人の世界の不思議さになんだか言い知れぬ興味と怖さを感じるのでした。
 金顎のカジキが、
「この千年の間に崖から飛び降りる男女が増えているなあ 竜ちゃんはどう思う」と言うので、
「確かに増えている わたしも不思議に思う だから竜宮はこの千年はにぎやかだよ 姫様も忙しくて大変 わたしも何組の男女を運んだことかでも地上のことは聞いてはいけないことになっている 一度死んで助けられた人は竜宮があの世だと思っている このあいだ連れ帰った浦島太郎は特別だ でも彼も陸地に戻ってまた死んでいくのだ」
 と言うと、金顎のカジキも、
「でも人の心にはあの世があるのだ あの世でもう一度生きたいと望んでいる 若い男女は死んでもあの世で幸せになるつもりなのだ だからうれしそうにするのかも」
 と言うのでした。
 竜亀はそれを聞いて、
『ああ分からない わたしの心はまだまだ人の心というものにはほど遠い いやわたしは人のような心になりたいのか いや心は心だ わたしの心は人の心を知りたいだけだ』と自分でもわけの分からない自問自答を繰り返すのでした。
第五章その十
 竜亀と金顎のカジキはとうとう北の海にやってきました。北へ向かってから九十日以上が過ぎていました。
 そのあいだに竜亀は金顎のカジキの性格がすこし分かったように思いました。
 あるときカジキ漁をする船団に出合いました。金顎のカジキは船に追われるカジキの群れに割って入り込み、カジキの群れをばらばらにさせました。
 そうして金顎のカジキは船の後ろからその硬い金色の顎で船底を突き破るのです。
 そして穴から入り込んだ海水で船が沈没すると、海上に浮かぶ船の残骸に漁師がしがみついているのを見て喜ぶのです。そうして一隻だけ残してほかの船をすべて沈没させてしまうのです。でも海で大騒ぎになって泳ぐ漁師を狙って鮫が近づくと、鮫を追い払うのです。そうして猟師たちが残った船に助けられて、船にすべての漁師達が乗り込むまで鮫から守るのです。
 竜亀が、「金ちゃんよ お前さんのやっていることは理解できない」と言うと、金顎のカジキは「俺には俺の秘密があるのだ」と言うのでした。
 竜亀が、「お前さんは竜宮に戻らないので姫様も寂しがっていたよ」と言うと、「これも宿命さ」と、はぐらかして返事するのでした。竜亀は金顎のカジキが竜宮にいるときの人の姿をよく覚えていました。竜亀は自分のことをずんぐりしてさえない姿と自分でも思っていましたが、金顎のカジキの姿は竜宮にいるときは長身で眼光するどく、とても美男子でした。
 竜亀はもし竜宮姫が金顎のカジキを好きになったらどうしようかとか、嫉妬の感情が湧くこともあり、彼が相手なら自分は姫様のことをあきらめようかなどと勝手に空想したりするのでした。でも竜亀は金顎のカジキのことが大好きでした。海の友の中で一番好きでした。そんなことはおくびにも出さないで普通に話すだけでしたが、金顎のカジキのまっすぐな性格と妥協のしない決断力などの、竜亀には無いものをいっぱい持っていたからでした。
 あるとき別の大きな船と出合った時はわざわざ近づいて海面から船員に、「何を運ぶのか どこからどこへ行くのか」と声を出して聞くのでした。人々は背の竜亀を見ると、よけいに驚き珍しがって人のほうからも話しかけるのでした。
 竜亀は、『金ちゃんの知識は人から得たものだな 金ちゃんは人の世界に興味を持っているのだ 洞窟の絵の予言のように人の世界に行く運命なのかも そして日回りのマンボウさんも人の世界にいつか行くのだ これもきっと宿命なのだ』と考えるのでした。
 その北海では分厚い氷がいっぱい浮かんでいました。
氷の上には白熊やオットセイもいて海の底には多くの魚が泳いでいました。金顎のカジキは、「イカをおかずに白鯨の兄さんの樽酒を飲むのが楽しみだ」とうれしそうに言うのでした。竜亀は、『もしかして月兎が言っていた樽は 酒樽のことか』と考えるのでした。