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掘った芋イジるな!
What time is it now?
(ワッタイ、イジィナォ)
江戸時代に初めてその発音に触れた日本人は当然「え?」と聞き返す。
What time is It now!
異人さんは多少お怒りのようだ。
こちらとしても何とか意味を理解し、応対せねばなるまい。それがオモテナシというものである。
しかし悲しいことに、その姿勢は必ずと言っていいほど「え?」という態度になってしまう。そこには悪意など微塵もない。
What time is It now ‼︎
どうやら怒っているようだ。
何に対して怒っているのだろうか?
日本人は持てる想像力をフルに発揮した。
イジィナォ?いじるなか?ははーん、掘った芋イジるなと言うことであろう。
ちょっと待ってくれ。はるばる海を渡って来た異人が自前の畑でサツマイモを収穫するはずもなかろう。さらに当時の外国人は、身なりの整った上流階級の人たちであり、畑など耕したこともないはずだ。そんな彼らが「掘った芋をイジるな」などと言うはずもない。そもそも日本人の間に「掘った芋イジるな」という日常会話が存在したかも疑問だ。
当時鎖国中であった日本人の民度とは所詮その程度だ。しかしこれは、識字率が当時世界一と言われた日本人の知性を否定するものではない。
相手を理解しようとするときは、誰でも自分の物差しで計ろうとするだろう。30センチの物差しで60センチのネギの長さを計ることはできない。
私は日本人が持つ無限の想像力を褒め讃えているのだ。
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この文章に込めた意図がどこまで伝わるかはわからない。しかし、それこそが文章の醍醐味ではないだろうか。あなたは、この話をただの掘った芋と見るのか、それとも、そこに隠された問いを見出すのか。