トルコ留学紀(渡航編)
修士2年、4月。留学を決意しました。
6年間の学生生活でやり残したことの中に留学がありました。せっかくなら大学の制度を使い倒して卒業してやろう、と考えました。(交換留学なら学費を追加で払わなくて済むし、提携先との連携もばっちりです。)
また、留学生と接したり、周囲の留学経験者から影響されたりしたことも理由の一つです。
とはいうものの、ほとんどの大学の2023年度の秋学期留学は半年前に閉め切っていますし、
TOEFLかIELTSの英語のスコアは持っていないし、
一年伸ばすことになる就活で良い結果をだせる保証もないまま親を説得しなければなりませんし、
就活しながらの留学になります。(やばい)
大学の提携先からまだいけそうなところを調べることから始まりました。
留学するなら絶対に全く知らない土地がいいと思っていました。
その中で①申請が間に合うところ、②英語のスコアが足りているところ、③建築が学べるところ、で絞り込んだ結果、「中東工科大学」(Orta Doğu Teknik Üniversites/Middle East Techinical University 通称:ODTÜ/METU)が、英語のスコア以外条件を満たすので、ここに行こう!と決めました。
もう1つの決め手となったのが、METUの授業が全て英語で行われていることです。英語圏の英語のレベルについていけるとは思わないので、お互いが高められるレベルの英語話者が集まる大学というのはとても貴重だと思い、選びました。
※2023年度の秋学期留学の学内募集は、基本的に2022年度の夏に終わっています。まだ応募できるところがあるのは奇跡です。このようなスケジュールで留学を決めることはお勧めしません。
留学課との協議の末、ここ!と決めたので、すぐに学内選考・ノミネーションに向けた英語のスコア取得です。
私はIELTSを選択して、4月後半と5月後半の2度受けてなんとか要求スコアを超えることができました。(別の記事で詳しく書いています。)
この英語の試験の最中は本当にしんどかったです。大学受験も失敗し、外部への大学院受験も失敗、一年目の就活も失敗、ここで得意な英語ですら結果をだせなかったらもう何を頑張っても結果が出ないのではないかと、二度と頑張れなかったと思います。
晴れてスコアを手にした私は、学内選考を突破し、ノミネーション(大学から留学先への応募)に進み、無事にアプリケーション(自分で必要事項に記入して応募)まで終わらせました。
夏インターンのエントリーも少しずつ始まり、ESを書きながら留学準備も進めていきました。
そして無事、7月26日に受入書がメールで届き、正式に派遣が決まりました。
派遣が決まったため、海外旅行保険や宿舎の手配、ビザの手続き、学府への連絡、航空券の予約など一つ一つ進めていきました。
このビザで!渡航前にてんやわんやすることになります!eVISAで渡航し、現地でイカメットと呼ばれる滞在許可を取るよう、領事館から案内されていました。ビザ申請のためには、宿舎が決まっていること、チケットが取れていることが必要でした。
宿舎が決まったのが8月28日、秋学期始めのオリエンテーションの開始日は9月25日、宿舎が決まって直ぐに(ほぼ一か月前!)航空券を取り、ビザも申請しました。
ここで私が取ったビザというのはeVISAと呼ばれる、ネットで申請が出来、早くて24時間以内、遅くとも3日以内でビザが発行されるシステムになります。
しかし、渡航がせまった一週間前、準備を進めているときに目にした情報が「eVISAは観光と商業の目的のみ使用が可能です」という文章でした。
言っていることが違う、領事館にメールで問い合わせて返ってきた情報と、大学から案内されたサイトの完全に信じていたので、寝耳に水の状態です。
「トルコ 学生ビザ」で調べると取得に2~3か月かかるらしい、、、
終わった、、、
渡航まであと5日の9月15日、三連休を目前にした金曜日でした。
三連休が開けて9月19日、朝から在日本トルコ総領事館や在中国大使館に電話をしまくり、ビザのことについて聞く。総領事館からは「そのままでいける、eVISAをもって入国できる」との返答をもらうが信用できず、中国にいる母親にも手伝ってもらい大使館に問い合わせるが、30回以上電話しても出ない。夕方になってからトルコの友人に助けてもらい、トルコの移民局や中国大使館に高い通話料を覚悟して電話するも出ず、、、
結局、19日は40回以上電話したにも関わらず進展は0。
夜は諦めて就活ポートフォリオ作り。どちらにしろ締め切りが近いのでオフィスアワーが過ぎた深夜は就活を進めます。
焦燥of焦燥!!!!!!私の確認が甘かったのが悪いんですが!!!
20日、これはもうさすが学生ビザが1日でとれるわけがないので諦めて航空券のキャンセルや保険の解約、奨学金辞退に動き出そうとしていた時でした。
航空会社にキャンセル料金及びキャンセルのデッドラインを確認した電話をしたことを、両親と留学課に連絡したその時、トルコの友人が領事館に聞いてくれた返答が届く。「eVISAで渡航可能」とのことらしいが、疑り深くなっている私は「そんなことがあってたまるかい、、、留学で来てるっていうのにMAX30日しか有効じゃない観光ビザで入国できるわけないだろ、、?」と信用することが出来ず、、、
とそこに、朝一で大使館に再度電話してくれていた親からも返答があり、やはり「eVISAで渡航可能」。本当か、、?!数か月の準備と気持ちの高ぶりに蓋をし、諦めようとしていたので一縷の望みにすがるしかないと、20日11時、渡航を決意。(しかしビザ関連の不正になるかもしれない不安はぬぐえないので、ネットで他の方のトルコ留学記など血眼になって探し、日本人でビザなし渡航をした学生を発見。正直に留学で来たことを伝えて入国拒否されたら帰ろう、と決めました。)
家を出発まで残された時間20時間。
まず時間のかかる洗濯 -12:00
留学課へ報告 -14:00
友人に育てている植物を託す -14:30
次に郵便局に行き、多少の現金を引き出し、定額貯金から普通預金にお金を移し、 -15:30
イオンで必要物資を買い、 -16:00
学校に戻って入国審査で見せる書類を印刷し、 -17:00
ポートフォリオの手直しをし、 -21:00
家に帰って荷造り、残り9時間。
4か月間家を空けるので、布団を仕舞ったり食べ物を処分したりしながら、服を片っ端から洗濯して乾燥機にぶち込み、必要なものをリスト(これ要るかもな〜と逐一メモしていたリストが役に立ちました、オススメです)通りに2つのスーツケースに詰め込む作業を徹夜でやりました。本当に一睡もしませんでした。10:00の飛行機なので6:30出発、途中で意識が飛んでくじけそうになりながらも荷造りと料理を終え、学校に荷物を取りに行く。-5:30
よし、終わった!出れる!となってからお皿を洗っていなかったり、冬用の靴を入れていなかったりで結局7:33発のバスに駆け込んで、ぎゅうぎゅうな通勤電車にスーツケース2個で乗る迷惑な人になり、電車の上でオンラインチェックインをし、国際線ターミナルにダッシュで向かい、最後のお客様がきたようです!とチェックインカウンターのお姉さまに言われ、最後のお客様目印としてシールを貼られ、保安検査を通過し、搭乗がすでに始まった列になんとか滑りこんで着席ーーーーーーーー
毎度毎度こんなぎりぎりになってしまうのは、前世で何かしでかしでもしない限りないですよね分かります。
一本目のフライトは、福岡→シンガポールです。
初めてのシンガポール、チャンギ空港!とわくわくしながらほとんど飛行機の記憶がほぼなく、緊張の糸が切れてご飯以外ずっと爆睡していたようです。となりのカップルが自撮りとかしてる時に生気のない肌荒れした顔でひたすら寝てました。彼らはシンガポールに旅行行くようでした。
そしていよいよチャンギ空港着!
チャンギ空港のハイライトだけまとめます。
トランジット時間は10時間あったので、散策→JEWELの滝見る→ご飯→ポートフォリオ完成・提出と予定を立てていました。
ハイライト:
①本物の植物いっぱい!
②スカイトレイン(無料)乗ってJEWEL通過できる(中で買い物とかは一旦空港から出る扱いになります)
③椅子と充電する場所がめちゃくちゃある、Wi-Fiも強い!快適!
④〇〇ガーデンと名のついた庭が空港内に数か所ある。バタフライガーデンには見たことない蝶が沢山いて蝶の楽園でした。これただでいいの、、?
なんとか搭乗前にポートフォリオなどを提出し、深夜2時のフライトで今度は11時間かけてイスタンブールに飛びます。
搭乗前にも保安検査があり、荷物を全部スキャンされ、パスポートとチケットを2度確認されて広い待機室へ通されました。
ここまででもう48時間横になっていません。
足のむくみで、元々ブカブカのスニーカーはパンパン、足首は疾うに無くなっています。しゃがむとふくらはぎが破裂しそうです。
11時間、、、狭い飛行機内で耐えられるか心配でした。
結果ですが、疲れが勝ってずっと寝てました。
映画を見ようにも途中で寝落ちし、2度のご飯以外ほぼ寝ていました。
椅子をおそるおそる倒したり、足を延ばしたり寝やすい環境を整えるとすぐに入眠、しかも結構ぐっすり寝ることができ、イスタンブールにつく頃には元気になっていました。若いね、、、
私は長時間のフライトのときの座席は通路側派です。
いよいよイスタンブールに朝の8時に到着。
関門の入国審査を経て、国際線に乗り換えです。
お待ちかねの入国審査です。
私が朝一番の利用者のようで、ガラガラでした。緊張しながらパスポート、搭乗券、ビザを差し出すと、パスポートと搭乗券をまず数秒見られました。入国印のインクが足りなくなったようで、試しに何度も別の紙で押してから、入国印を押されました。でもビザは?となって、“No need to show this?”と聞くと、"I can see."とだけ言われ、“You can go.”と通されました。まじか、、、禿げるぐらい心配したのに、、、
どうにか無事に入国できたわけですが、あと1フライト残っていて、そこから大荷物で寮まで行かねばならないので、まだまだ気は抜けません。しかも市内は英語があまり通じません。(deeplなどであらかじめトルコ語に「Astiにいきたいのですが、どのバスに乗ればいいですか?」などの想定質問を翻訳しておくのが良いです。)
イスタンブール空港では、トルコの電話番号を持っていなくてもパスポートを使って空港内の機械で文字コードを発行すれば、2時間無料のWi-Fiが使えます。
2時間で方々に無事に到着した旨の連絡をし、トルコの友人に大学までの行き方を教えてもらい、アンカラ行きのフライトに搭乗。
1時間弱でアンカラに到着しました。
しかし1時間半待っても荷物があらわれず、Lost and Foundのスタッフに尋ねたところ、国際線を見てくれ、と言われたので国際線の方に行くとありました。このくらいの誤差で良かったという安堵と共に荷物をひきずって、両替する場所を探します。大きい両替所でしか日本円を扱っていなかったので、国際線エリアに行って両替をしました。空港で両替するとレートが良くないです。大学か市内の銀行を見つけるまでの生活費で必要なだけ(2万円ほど)両替しました。
GoogleMapが4Gなくても位置情報だけ分かるので、自分の居場所が見えるならいいや、と結局シムカードも空港で買わずに(空港で買うと2~3倍の値段します)バスを探しに行きました。
トルコの友達がカンペを用意してくれたので、それをタバコ休憩している警察官に見せ、無事バスに乗ることができました。
バスに乗ってからチケットを買うタイプで、手を挙げて待っていましたが、気づいてもらえずそのまま発車してしまいました。
目的地のAstiまでだいたい45分で着きました。35リラ(190円)でした。
トルコ語はまだ喋れないし、ネットも無いから翻訳できないし、バスの降り方分からないしで、Astiに近いバス停でここでいいやと降りました。
あとはタクシーを使って寮までいけば大丈夫です。
ラッキーなことにすぐ近くに停まっているタクシーが見つかり、あらかじめ用意していたトルコ語のカンペを見せて、行き先を伝えました。
ここで一つミスをしたのですが、大学の中のどの施設かを伝えていなかったんですね。後で知ったのですが、METUはめちゃくちゃ広いです。大学内に寮も複数個あるので、どの寮かを伝えなければなりませんでした。
なので初めは全く違う寮に行ってしまい、多めにお金がかかってしまいました。それでも20分で125リラ。700円ないです。タクシーやすい。
そしてなんとか寮に到着!
早速管理人さんを探そうとすると、「今礼拝しているからあと5分待ってね」と言われ、全く文化圏の違う海外に来たんだなあと改めて感じました。
寮は、4人一部屋で、それぞれ個室があり、リビング、キッチン、お風呂、トイレが共用です。部屋の天井高が3mぐらいあって、全く圧迫感がありません。しかし壁が薄く、音は全部筒抜けです。
やっぱり綺麗さというか清潔さは日本が勝ちますね、、、日本は本当に綺麗で住みやすいことを海外に来ると思い知らされます。日本は素晴らしいです。
窓からは木々が見えるので、冬の間の積雪が楽しみです。
荷解きをしつつ、お腹がすいたので大学内にある寮から徒歩2分の小さいスーパーに食料を買いに行きました。
水とヨーグルト(と思っていたけどプリンだった)とワッフルを買って、飢えをしのぎました。近くにカフェがあるらしいで、平日になったら行ってみようと思います。
夜はルームメイトに挨拶をし、ルームメイトの友達と話をしました。トルコでもお茶がよく飲まれるようで、暖かいお茶を飲みながら、お互いのことを話しました。そして泥のように眠りにつきました。
渡航編はここまでにしようと思います。
就活と並行で進める不安ももちろんありますが、まずはここでしかできないことを目一杯やりきろうと思います。