“みんな幸せに”は不可能?
こんにちは!普通の高校に通っている高校生のりんです!(ヘッダー名あだ名に変えました、すいません🙇🏼♀️)
今回のトピックは「みんな幸せには不可能?」です!
「どんな人にも、動物にも、植物にも、地球にも。誰にとっても幸せな世界をつくること。」
そんなことができたらどんなに幸せだろう?
と良く考えることがあります。わたしはそんな世界であって欲しいです。
この地球上にいるもの全てには幸せになる権利があり、全員で協力する義務があると私は思っています。そんな世界を叶えたいと思っていたのですが、ある一言を私は他人から言われてしまいました。
「みんな幸せな世界はできない。」
なぜ?と言い返したくなりましたが、でも自分でも難しいことだということは実感していました。
🌟「できない」のはなんで?
「みんなに優しい世界」を作りたい。
そうなった時に連想されるのが「誰の犠牲もないこと」
道にさいてる雑草を踏み潰さずに学校まで行ってください!
お肉、お魚、野菜はもう食べてはいけません!
そんなのできるわけがない………?!
ということは多少の犠牲は仕方ない。
じゃあどうしたら生き物たちにとっても「優しい」世界ができるのだろう?
🌟生き物たちの「優しい世界」
私が考えたものが感謝をすること
「いただきます」「ありがとうございます」
そんなの当たり前!って思ってませんか?
「いただきます」
食べる前に言えばいいんでしょ?と、流れ作業で言っていませんか?
手を合わせずに言ってしまっていることはありませんか?
「いただきます」の時に、手を合わせることだってちゃんと意味があるんです。
食べ物となった生命に対しての「感謝」や「敬意」を伝え、ありがたくいただきます、という気持ちを込めてするものだとされています。
日常生活の中で溶け込んでいる動作なので、忘れがち、意味を知らずに行っている。かもしれません。でも、「感謝」という意味なら忘れず、きちんとやるべきだと思いませんか?
🌟まとめ
そう考えるとやっぱり、「みんな幸せに」は難しいのかも………。
でもだからと言ってたくさんの犠牲を出してしまうことはそれは違う気がする。
自然で生きているのなら、人間である私たちが環境のために配慮、行動しなければならない。
動物と生きているのなら、愛する家族になるはずの動物を容易く手放してはいけない。優しく接しなければならない。
地球と生きているのなら、少しでも彼らに優しい技術の発展を考えなければならない。
一緒に生きているのに、いい部分だけもらって生きていくのはきっとみんなに優しい世界ではない。少しの犠牲を生んで、難しいことかもしれないけれど私は絶対に「みんなに優しい世界」を作りたい。そう思わせてくれました。
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