エッセイ あばたもえくぼ
メンバーシップのご紹介に向けて
今回からメンバーシップに入って頂いた方限定で、
エッセイ「あばたもえくぼ」を連載していこうと思います。
あばた(痘痕)は昔の流行病である天然痘にかかった跡のこと、えくぼ(靨)は笑った時に出来る頬の窪みを指し、欠点であっても惚れた目から見れば長所に見えることを意味します。
日常生活で目に映る非現実的で受け入れ難い世の中のほころびを私独自の観点で美麗な着地点に収める試み、それが今回から始まる
エッセイ「あばたもえくぼ」
今回の寄稿をするにあたり、「エッセイ」の定義を調べたところ、私の表現したいエッセイとしては「ノンフィクションの散文」が一番馴染みの良いものでした。
無料公開で出している投稿も至極まとまりのない散文であることには違いないのですが、ここでは
より現実に肉薄した世の中の見解をさらに抽象的に曲解、希釈してお届けしたいと考えています。
簡単に言えば、熱くてうだるような夏というような一般的なイメージを「缶詰に閉じ込められたような夏」や「プールサイドに立つあなたとの季節」など、抽象的な解釈で持って現実とは違った地点に到着させることが目的です。
最近は感受性のスイッチを切っている人がとても多い気がしています。具体的な問題を直視し過ぎて、人本来が持つ繊細で豊かな感情がとても見えにくいのです。巷で騒がれるSNS、見てしまう他人の幸不幸、一時的でしかない流行、些末な与太話。自らと見比べ、見上げて見下げる。そして何か大切な物を見失う。「見る」という言葉そのものが世間の※相対悪寒湿度上昇につれジメジメとした印象を残しているようです。(※このような表現はありませんがこのエッセイでのお約束のようにこれから造語も使用していきたいと思います)
私はこのエッセイで無理矢理な正義感や耳障りの良い思想で持って何かを糾弾したり、自分を正当化するつもりはありません。時代や主観で変化する、正しさや間違いには今現在の私では答えの出しようがないからです。(しかし決して倫理的な物事を推し量っていくことに意味はないと申しているのではございません)
せっかくこのような散文を見ていただけるなら、
皆様と一緒に世の中のべらぼうに不条理なことを笑い合う日を作りたい。そしてあなたの胸のじんとした部分を大切にして欲しい。
誰かがこう言ったではなく私はこう思う
という日がくるまで勝手に気ままに、不明瞭で、柔らかく、取り止めもない、おせっかいでいじわるないやらしい考えをユーモラスに打ち出していきたい。
あばたもえくぼ。
少しは私の考えることが伝わっているでしょうか?
そんな私達のことを可愛がる誰かがいてもよろしい。そんなわけでこれからよろしくお願いします。
岡本みすず