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じいじ 保育士を目指す! 保育士の給与水準
かなり硬い話し
だけれど。。。重要な論点。
私は、保育士の給与水準が低すぎる事は問題だと常々語ってきた。この認識は保育職で有ればほぼ共通した認識だと思う。
更に言えば、保育という専門性を認識しない『保育』はそもそも保育ではなく、その行為が示すものは、別の『乳幼児預かりサービス』という経済的事由による経済的な行為でしかない。
保育が持つ専門性は、その対象が子ども達という、未来に向かって歩んでいく人生のその土台というべき時期を、その個別の育みを豊かに子どもと共に育てるという点にある。
そこには育児とは別に、子ども達の育ちをその保護者や社会と共に、専門的に子ども達の日々の営みの中で、それぞれに育てる教育の側面が存在する。
では、何故保育が置かれている低賃金での処遇が現在も続いているのか?
これは、第一に政策として低賃金で働かせている国の幼児教育としての文教政策上の予算配分という意味でのコスト認識がそこにあるからだ
当然、安く働く保育職がその給与水準を維持できるという事で本来の専門職としての対価を不当に搾取しているからである。
そして、保育職の不当な低賃金を維持する事のメリットが経営側にあり、その低賃金化が利益として経営側に行く事で成立する株式会社という存在があるからである。
保育所の株式会社参入がもたらした保育園の数という量的問題の解決手段は、当然株式会社という利益を生み出し、利益を吸い上げる事によって企業活動を成立させている以上、そこに利潤の源泉がなければ成立しない。
保育職が本来受け取る部分を低賃金化という部分から生み出すこの国の保育職低賃金労働というシステムは都合の良い仕組みとして機能する。
この低賃金化の固定がそれらの理由から生み出される訳であるが、その仕組みを固定化しているのは実は保育職自身の思い込みがあるのではないかと考える。
ニュージーランドでは、保育職は教員と同等の給与水準にあるという。更に言えば、小学校低学年までの守備範囲(8歳以下の子どもが対象)だとされる。まさに幼児教育の範囲をカバーしている訳だが、幼児教育の世界では『幼保小連携問題』として扱われる分野だ。
その中で、ニュージーランドの保育者は、教員と同じ賃金を!と言い続けて実現した結果だと言う。
我々保育者は、そう言う発想があったであろうか?
私自身も、低賃金を他の職種、特に看護職等に比較していたが、そもそも教員との比較を考えた事すらなかった。
つまり、低賃金化を固定化させてメリットを受ける側とその低賃金化の当事者の意識が低賃金化固定に向かっていたという意味で、このニュージーランドの事例は大きな意味がある。
保育者の賃金水準を教員並みに!というスローガンを当事者である保育者自身が世の中に発信しなければならないのだと。
さて、今日はこの辺で。