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じいじ 保育士を目指す! 金木犀

ちょっと前から

 外を出ると金木犀の香りがする様になった。

 まだ、結局背広に衣替えをしないで長袖のシャツで通勤しているし、周りの学生達も夏服を見かけるし、我が付属の子達も夏服だったりともう10月半ばではあるが、依然として暑い日があったりしている。

 そうなると背広は億劫になって、この格好でいいか。。。となるが、どうも来週もまだ暑い日(夏日)がちらほらあるらしいので、衣替えは再来週辺りだろうか。

 香りの記事では

 秋といえば、松茸の香りをすぐ思い出すほど松茸を食べていないし、さんまの焼いた香りを思い浮かべるほど最近はさんまさえ高級魚化してしまってまだ一回しか食べていない(それも油がのっていなくて不味かった!)し、秋の香りと言えば、やはり金木犀のどこからかわからないけど、香ってくるのは秋の香りと言っていいだろう。

 金木犀の甘い香り(トイレの芳香剤とかだという人もいるが。。。)。秋を感じる外の匂いの代表だろう。散歩をすると住宅街のどこかから香ってくるし、公園にも植えてあったり、そこかしこから微かに(もちろん、強く香る時も)漂う香り。

 この金木犀の香りと遥か昔の保育園児だった頃の微かな記憶と香りの思い出についてちょっぴり書いたけど、まさか保育士になるなんてつい最近まで考えていなかったのだから人生とは不思議なものだ。金木犀と園脱走の思い出がある保育者は、他にいるんだろうか。

 お遊戯が大嫌いだったから抜け出したのか、お遊戯を拒否して立たされたから脱走したのか。そもそも脱走してその後どうなったのかさえ記憶にはもうないのだけど。。。

 金木犀の香りが甘い優美な秋の思い出というより、保育園児だった頃のその思い出として結びついているけど、嫌な思い出と香りが結びついている訳でもなく、その出来事の中で感じた香りの記憶がミックスされているという感覚は、記憶の風化とその風化に抗う香りの記憶の結果、香りの記憶が優っているからなのだろうか?

 金木犀や常緑樹の中をくぐる様に抜けて行くそんな光景と香りだけが断片的に、既に映像的ではない(時間的な動く情景には既にならない欠落した)記憶が薄らと思い浮かぶ。

 そもそも、保育園の記憶さえほとんど残っていないし、保母さんの思い出も残っていない。園の友達の事さえ、記憶がないのだ。

 だから、保育園が子ども達にとって幸福感に満ちた思い出(漠然と感情として残る)の記憶があり続ける様な素敵な場所であって欲しい。そういう保育の世界を作りたい。

さて、今日はこの辺で。


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