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じいじ 保育士を目指す! 猫の目

今朝は

 南東の空に月齢26(じきに新月)の細い目のお月様が、東の薄いオレンジ色の空の近くにいた。丁度、経由地の駅から見えた。夜から朝への境の時。

月の出は、4時ごろ(東京)で、日の出は7時ちょっと前くらいだろうか。

 暦だと、06時45分。修論の小道を歩いていると、東側の林から太陽が見えた。10分程地平線から登った感じだろうか。

 晴れているが、雲の多い(明日の天気は雨予報だから)下り坂の天気だ。直近の予報だと夜の降り出しで数時間で止む事になった。ちょっと前までは朝に雨か雪だから、低気圧の移動が早く影響がそれほどでもないらしい。

 大学院が有れば、丁度帰宅時にふられるという感じの予報になっている。こういう時は、大学院が終わってほっとする(ふられる人には悪いが)。

 修論の構想は、第一章第一節を描き始めたいが、先行研究が何をどれだけされたのかという部分なので、参考論文(先行研究のリサーチ済み)を精密にまとめる作業が待っている。大体、2月がこの作業と執筆になってくるかと思う。などと頭の中で考えながら車窓からの猫の目を眺めながら考えていた。

 実は、バスの中で本が読めない(車酔いする)人。何故か、電車(ただし、振り子式でない場合)は大丈夫だけど、読んでいると気持ち悪くなってしまう。だから、バスの中で本など読んでいる人が羨ましい。読めれば、論文一本読める時間があるのだから。

 だから、英語を聞きながらとか、読まないで勉強できる方法を採用している。それと、こうやって思索を巡らせて取り留めもなく考える訳だ。

 さらに、再来年度の進路を考える前の何を研究として進めるのか、修論とどう接続させるのか?博論としてどの程度妥当なのかなども漠然と考えているから、かなり広範囲な(悪く言えば、まとまりがない)思索だ。

 M2になると、自分のこれからを、はっきり見つめないといけない。実際に今いる職場を出て、どうするかという具体的な転職を決めて行く時期でもある。だから余計に考える事になる。60を目の前にして、進路を考えるとは、50代では予想もしなかった。保育士となって保育の世界を目指し進んでいる中では、その模索の只中にいる。そして、今の進路(修士課程)の先を、実際に進まなければならないフェーズだと認識している。

 計画や予定はあっても、その通り進まないのが人生だ。そんな事は、多々経験して来た。20代の頃の未来への期待しかない時とは違う事も、理解している。しかし、不安しかないという、先の見えない感覚とも違う状況だ。言葉にすると難しいが、人生の残り僅かな(もう折り返し地点を既に過ぎた)現在でも、それをどう有効に使うかを考えられる年齢になったという事か。

 どうにでもなるという悟りなどないが、どうにもならないとも思っていないという心境か。

さて、今日はこの辺で。

追伸
乗り継ぎできた。
富士山はうっすら見えた。

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