私の好きな人、好きだったものども
好きな作家は、私のくだらない放言になんの返事もくれない。かつての恋人は「おやすみ」と私にLINEを寄越した後眠れずにSNSを見ていた。姉は隣の布団の中で見知らぬ人が作った動画を見ている。眠れないまま気づいたら午前3時で、翌朝母はそんなんやからニキビがなくならへんのやでと笑った。そんな母は来春父と離婚する。
好きな作家の本がこの初春に映画化した。いつか見に行こうと思っていたら3月になっていて、慌ててその映画の最終放映予定日に新宿で観た。結果として東京は爆発し、主人公が片割れの男を殺し、想い人からは振られたのみならず決定的に嫌われた。正直めちゃくちゃで、意味がわからなかった。けれど1番最後、主人公の彼は120分の中で1番清々しい顔をした。見終わって私は、この映画は理解しようとしなくていいものだと思ったし主人公の彼のことは全く理解したくなかった。彼は救われたかもしれないが、私は全く救われなかった。純粋に主人公のような男が嫌いだった。むしろ映画について少しも理解した素振りを見せたくなかった。映画後にTwitterを開いたら一生懸命主人公の男の行動に共感したような言葉を書き連ねる観客がたくさんいた。自分を破天荒で底の知れない人間だと見せたい底の知れた人はこの世界に案外たくさんいる。わかってたまるか、東京は爆発してほしくないし。だから映画の意味不明さに手を付けないまま丸ごと飲み込んで、その後は映画のことを一切考えずに帰宅した。唯一言うとしたら、あの映画は3月のもつ意味不明な空気感に似ている。
高校一年の頃、好きな人がいた。彼はとても優しくて、話しやすくて、私は彼を好きだと思った。彼に連絡をとり、私たちは付き合うことになった。五ヶ月間付き合ったあと、私たちは別れた。理由は、彼に触れたいと思えないことに気づいてしまったからだった。
高校三年の頃、また好きな人がいた。端正な顔立ちをしていて、所作がきれいな人だった。他校の人だったから彼の性格は知らない。完全に彼の仕草で好きになった。話しかける勇気がなくて、そのまま会えなくなった。その恋は淡いまま消えた。
その時は、確かに彼らが好きだったのだと思う。ただ、その恋は多分憧れだった。きっとあの時、私は私の中の幻想に恋していたのだと思う。
大学一年のころ、恋人がいた。綺麗な顔立ちをして、可愛らしく、同性にも異性にもよく好かれる人だった。19歳の私と世界を見る目線の高さが一緒で、良く二人で一緒にいるようになって、好きになった。あまりにも彼のことを好きになってしまって気持ちのバランスが崩れて、彼がしてくれなかったことだけ数えて泣いていた。本気で二人だけの世界を作ろうとしていた。彼の女友達におびえていた。くるくる一人で回り続けて疲れきって、私から終わらせた。別れて約2ヶ月後に迎えた20歳の誕生日、その彼からプレゼントが届いた。中身はずっと欲しいと言っていたガラスペンだったけれど、箱から取り出したガラスペンは思ったより光を通さなかったように見えた。今は埃をかぶったまま棚にしまわれている。
そもそも思い返せば小学生の頃、同じ塾の女の子が好きだった。彼女はいつもニコニコと笑い、チャーミングで愛されて、よく勉強のできる賢い子だった。彼女は今どこで何をしているのだろう。今もあの可愛らしい笑顔で私のような人間を軽々とひっかけていてほしい。
どの恋が本当の恋愛だったかわからない。もしかしたら全部憧れだったのかもしれない。結婚は人生で2番目に好きな人とするべきらしいけど、私にはいまだに誰が2番目に好きだったのかわからない。好きだったものは私の中で全て同列で、好きだった時は世界をその人を通すことでしか見られなくなるくらい好きだった。いつも全力で好きなのに2番目に好きとかわかるものなのだろうか。わかるようになれば大人の仲間入りなのだろうか。私は大人という人種の存在を信じていないけど。
私の好きなものは変わっていく。向こうが変わっていくかもしれないし、私自身がその好きなもののそばから離れてしまうこともあった。絶対はなかった。絶対ずっと好きでいると平気で言えた幼稚園や小学生の頃を思い出す。まだ何も知らなかっただけだった。でも、何を知らなくてもよかったかもなともたまに考える。もうあのころみたいに好きという気持ちだけで結婚しようなんて言えなくなったし、言う度胸もなくなった。好きという気持ちだけでやっていくには難しすぎることもあると痛いほどわかってしまった。大好きになった人にも、もう「絶対傍を離れないよ」と言えなくなって久しい。確約をしないずる賢さだけ覚えた私もいつかまた、純粋に「結婚しようね」と好きな人に言える時が来るだろうか。
何事にも絶対はなかった。愛していたけれど絶対はなかった。愛情が醜い要求に変わることを知った。一度そうなればもう戻らないことも。
冷めた目で世の中を睨もうとしても結局バレてしまうのと同じで。
冷めた目で世界を見ている人は、本当は世界に期待している人だからだ。
でも実は、「絶対はない」という言葉に潜む矛盾も私は結構好きなんですよ。
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