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自信のない猫と私




私には自信が欠けている。
そもそもどう生きたら自信が身につくのか知らない。でも世間は、自信がなさそうな人を見ることを嫌うらしい。不安そうにしている人間をみたらこちらまで不安な気持ちになるからか。好きな本にある記述だ。だから自信のあるふりをした方がいい、とも。
でも自信のあるふりは残念ながら難しい。喜怒哀楽がはっきり表現できる人間は自信があるように見える。にこにことよく笑う人間も自信がありそうだ。私もよくへらへらするけれど、でも全然自信がない。自信のつけ方を模索してもう10年くらい経つ。
そういえばこの前たまたま自分が写っている動画をもらった。なんかのゲームで10秒で何ポーズ決められるかみたいなそんなもの。後からその動画をもらってワクワクして見返したら、画面には少し眉毛をハの字にして自信なさげに写るやせ型の女が写っていた。自分の猫背をまじまじと眺め、自信のなさそうな女だなと他人事のように思ったのだった。

それからたまに、手持無沙汰の時考える。自信とは何か。嫌いだった部活の先輩が引退あいさつの際ドヤ顔で「大事なのは自信をもつこと」と幼児用プールより浅いコメントをしたことを今でもたまに思い出す。自信ってなんだ。どこで捕まえられるんだ。一体…。そして私は思った。自信のなさそうな猫って見たことがないなあ。世界中の猫に聞き取り調査すればそりゃあ自信のない猫もいるのだろうけど、少なくとも猫カフェでは見たことがなかった。猫カフェの猫はすごい。猫の皆さんはあたしは可愛がられるためにここにいるの、という顔をしている。可愛いから結局人間どもはデレデレになってしまうのだけれども、猫カフェの猫たちの振る舞いを見ていると来世は猫になりたいと言う人たちの気持ちが少しだけわかる。いるだけで可愛がられる存在。無関心から最も遠いところにいる生き物。私も来世はツンツンした性格のペルシャ猫になりたい。


もし仮に自信のない猫がいたとして、私はその猫になんていうんだろう。他人には自信がなくてもいいよ、自信なんてつけようと思ってつけられるものじゃないんだから。とか言える。でも本当は言うべきことはそれではない。そんなわかりきった事はもう言いたくない。でもなんて言っていいかわからない。そもそも私に、自信があったことがないからだ。人は自分自身で経験したことしか語れない。

もし本当に自信のない猫がいたら、私と一緒に暮らしませんか、と言おうかな。自信のない者たち同士、いつか別れるまで一緒にいよう、と。

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