20歳になって知ったこと、これからの十年間


小学生の頃、20歳は立派に大人だと思っていた。みんな恋愛をして、仕事をこなしてかっこよく生きるものだと思っていた。先日友人と話していて、小学生の頃何歳で結婚しようと思っていたかの話になった。彼女も私も、24歳くらいで結婚して25歳くらいで子供を産むと思っていたし、私に至っては3人は子供が欲しい、と思っていた。むしろ24歳での結婚は自分の好きなことを一通りやり終えた後の少し遅めの結婚とすら思っていたのだ。そしてそれを現実的な未来だと思っていた。


現在20歳で、まあもうすぐ21歳になるけれど、今もし12歳の頃の自分と話す機会があるなら、私はきっと彼女に「20歳は全然大人じゃないし、思ってたよりあなたの人生はやることが多かったよ」と伝えてしまうと思う。


20歳は思っていたより大人じゃない。想像の何億倍も。友達の中にはまだ恋愛をしたことのない子もいるし、働いたことがない子もいる。20歳になっても、税金のことも、政治のことも、両親のことも、好きな人が本当に思っていることも、私たちは何も知らなかった。むしろ知らないままでも20歳までのうのうと生きられたのは、先人たちのお陰なのだろうなと思う。そして法律上大人になって初めて、あまりにも多くのものに守られていたことを知った。私より数年先を生きた人たちの優しい嘘で守られ続けた現実は若干20歳の私たちの前であっけなく本性を現し、そこでようやく私たちは大人になるということの意味を知る。17歳くらいで見え始めたと思っていた世界は、大人が用意してくれた額縁から見えたたった一部であり、本物のむき出しの世界ではなかった。大人になるということは、結婚して子供をもうけることでは全くなかった。自分を守ってくれていたものたちの存在と思いを知り、自分の未熟さを恥じる。そのうち自分が守りたいものを見つけ、今度は自分が優しい嘘をつく側になる。そういうことが、真に大人になることなのかもしれなかった。




小学生の頃、大人になるということについてどう考えていたのか私はあまり覚えていないけれど、中学生のころは大人になりたくないなと思っていた気がする。周りの働く大人たちを見て、「きつそうだなあ」と思ったとかそういう感覚だったと思う。しかし20歳になった今、思うこととしては、大人は思ったよりやることが多くて面白い。労働をしなければならないことだけが大人の義務ではなかった。死ぬほど働いて金を稼ぐのも良いし、後先考えずに遠くへ行く片道切符を買うこともできる。全くの未知や未体験に思いつきで飛び込むこともできる。10代の頃のように毎日なんとなく生きることもできる。そして何より、24歳で結婚するなんてもったいないという気がしてしまうくらい、20歳の恋愛は10代よりも圧倒的にグレーで、気色悪くて、痛々しくて、切ない。高校生の頃の恋愛とは比べ物にならない痛みが私たちに襲い掛かる。私はもう「さっさとそんな男忘れなよ」なんてナンセンスな台詞を友達に吐けなくなったし、10代の頃の恋愛セオリーは通用しなくなった。もう素面じゃ歩けない道や聴けなくなった曲ができた。なにより、私にだけ傷がつくようにできた時限爆弾がそこら中に存在するようになる。


20代の恋愛は痛々しい。刹那的で、快楽にまみれていて、騙し合いのような恋がある。「身を切るような思い」を身をもって経験するなんてことが本気で起こる。恋愛の曲が書き起こしすぎて知ったような気になっていた恋愛のかけらたちの生の重さと痛みを身をもって知るのだ。それを12歳の私も、17歳の私も知らなかった。



それでも20代のはじまりは、案外悪くなかった。10代よりなんだか汚くて、リアルで、初々しくて、損得勘定が絡んでいるような気もするけど、それでも20代は面白そうだなって今のとこは思っている。これからの10年間で私はどんな人たちと出会うのだろう。次の恋人はどんな人なのかな。親友はこれから増えるだろうか。先が見えないと言ったら暗い10年になりそうだけど、どうなっても生きていけるということは忘れないようにしたい。少なくとも10代の最後より今の方が幸せだから、17歳の頃の自分のようにはなりたくないな。私と私の大切な人を幸せにしながらこれからの10年生きていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?