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乱歩さんと辻せき②
さて、どうして江戸川乱歩さんが辻せきに会いにきたのかという話です。
平井太郎さん、後の乱歩さんが生まれたのは横山文圭という医者の家の借家でした。
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辻母堂は、父の借家の家主であった横山医師の娘さんで、辻家に嫁したのだから、店子であった私の父母をよく知っているわけで、この老媼の母、つまり横山医師の夫人は、私の父の母とよい話し友達であったらしいのだが、私の生まれた時には、時間の関係であったか、産婆が間に合わず、横山夫人が、お産の世話をしてくれたと言うことであった。」
辻せきの母、よしえが乱歩を取り上げたのです。
乱歩さんが言う「私の生まれた時の状況を記憶している八十余歳の老媼」はまさにその場にいたのかもしれません。
辻せきは横山文圭の長女として生まれ、明治19年、せきが20歳の時に辻愛之助のもとに嫁いできたのでしたが、住まいは同じ町内で、実家からほんの数十メートルのところに住んでいましたので、駆けつけることができたのではないかと思っています。
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「私の母が一身田の本願寺の皇族出身の裏方に、行儀見習いとして使われていたために、大変行儀が良かったとか、父がその頃の郡書記としては珍しい大学出だったので、大いに羽振りが良かったとか、いろいろの思い出話を聞かせてくれた。」
せきの記憶ははっきりとしていて八十歳になった頃から書き始めた、手記や日記の中には、子どもの頃の思い出話なども色々と書かれていました。
乱歩さんにとってお話好きなせきとの会話はとても楽しいひと時だったのではないでしょうか。
乱歩さんが生まれて間もなく、父繁男さんの仕事の都合で名張を離れ、この地に思い出など一つもない乱歩さんにとって知らなかったふるさとを発見した瞬間だと思っています。
この後 地元では乱歩さんの故郷を残そうと生誕地碑の建設に人々が動き出すことになります。
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